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■2012年1月29日(日) Vol.1940

大阪高槻Jr決勝から、 ただ今、帰って来ました。
行く前から、勝者なんて誰だっていい、 まぁ、今回もそこで、 「皆んなが集まれればいいや」 って感じ。



本部の金村と向こうの山田が仕切ってくれて、 初期の頃の男っぽさを思い出す。



高槻の子らも頑張ってくれていたので、 東京から、わざわざパゲラーパンをごさあと持って行って、 ご褒美にあげる。



高槻じゃ、頭2つ強さをリードしている仁尾が優勝して、 涙ながらに言葉を失うほど感動する姿が見れただけで、 OKでしたよ。



向こうじゃ毎度試合の後に 打ち上げの酒の席がある。
酒なんかどうでもいいんだが、 山ちゃんの料理は味わうが、 何でだか、ナスばっか2皿ぐらい食っていた。



山田ん家に、清水夫妻、しげる、 理絵達と泊めてもらう。
朝6時頃まで話しは続いていたが、 山田が落ちちゃって、 大イビキが聞こえて来る。

俺なんか、清水夫妻と新幹線のグリーン車で のんびりタバコを吹かしながら、 楽チンの行程だったが、 恒や小鉄等のような深夜バス組、 貧乏な子等を乗せて、 片道7時間はかかる遠場を一人で運転して、 向こうでも、やることやって、 その足でトンボ返しで運転して帰って来たシャボは、 やっぱ凄いよな。

そういや、行きの新幹線で原稿を書こうとしたら 揺れるんでストップして、 隣に座る不健康で体調の悪そうな 清水Drの体を触ってやる。

ど〜よ、雀荘のオヤジが本物のお医者様の 身体を治療するって、あるか(笑)

         雀鬼




約一年にかけて、いつ始まったのか、 どのように始めたのかすら思い出せない高槻リーグ。
どのように進めていくか? どこを目指していくのかさえ、 マネージャー船長とそのつどそのつど決めていき、 行き着いた港には会長がいらして下さり、 師範をはじめ本部の方々が迎えに来て下さり、 ようやく一つの旅を終えることが出来ました。
そして最後の宴の席でふるまわれた パゲラーパンと呼ばれる様々なパンは 選手たちに喜びも楽しみも達成感も苦しささえも与え、 共有することができました(笑)
長かった船旅よりも パン一つ食べきることのほうが辛くて苦しい、 なんていうのも雀鬼流なのかもしれません。
会長、今期もありがとうございました
高槻Jr. 仁尾 俊治

■2012年1月26日(木) Vol.1939

麻雀屋さんなのに、集まって来た皆が パゲラーパンの一口食いやったり、 その後に、雀卓の上が食卓に変わっちまって、 九州の久保が送ってくれたハムをハム寿司にして、 芝エビのから揚げ、金目の頭の煮物、 ジャーマンポテトが並んで、今からディナー。
下北からしげるや深山達もやって来ているが、 町田はこんなもんなんです(笑)
いっそ、雀荘やめちゃって、 飲食店にしちまおうか。
俺が厨房に立って料理したり、 ウエイターやったりして、
「いらっしゃい!!」
「まいど!!」
とか、威勢よくやっちまう、 どうよー。
そこへ金さんとヘッドがやって来た。
甘口のパンを食べたヘッドはパンに泣かされてギブ。
そこは大者の金さん。 大きめのパンを3個一気に口に入れ、完食。 毎度のことながらおみごと。
その後すぐに お釜にごっそり入った御飯を食べている。
どうみても人間じゃない。 熊だね、金さんは。
俺の一週間分を一食で平らげてしまうんだから おみごと、おみごと。

         雀鬼




しかし、キムさんはよく食べるねぇ〜 食事をあまりうけつけない会長を あんだけ楽しんでいただくんだから、 たいしたもんだ!
それにくらべてヘッドは菓子パン一個で涙目で吐いちゃったね。 吐いたところでオレが指突っ込んで 無理やり口につめこんだけどけどダメだったね、 おしい!
しかし30過ぎのいい大人がすることかな…
するってぇとなんだい? ここは麻雀屋かい? ご飯屋かい?
長屋かなぁ〜?
(新屋)

■2012年1月26日(木) Vol.1938

顔が少々火照りを感じ、 血圧を測ると上が250とか出る。
こりゃおかしいやと、 しばらくしてもう一度測ると 下がっていた(笑)
今から仕事の打ち合わせがあって、 どうもその後、清水Dr.夫妻による 血液検査があるらしい。
こんな俺の身体を気遣ってくれて、 本当申し訳ない。
この年まで病気知らずでやってこれたんだから ありがたいやね。
「不健康、まっしぐら」
に走って来た割りに、 親から頂いた身体はどうにかいまだ保ってます。
それもこれも全て 道場生との関係があってのこと。 彼等が俺を助けてくれたんですね。
土曜日には小学校時代の同窓会があるらしい。 みんな仕事も引退して、 ひまな爺ちゃん、婆ちゃんやっている。
それなりに皆さん、 趣味とかで日々を紛らわしているんでしょうが、 俺なんか、この日、道場生と大阪の高槻まで行って、 向こうの道場生達と混じって、 また一日ワイワイ過ごさせてもらう。
出来るうちに若者達と混じって 何かをやらせてもらえる内が花だよな。
「ありゃりゃ」
原稿もつまってます(笑)

         雀鬼




タバコは吸う、コレステロール満載の食事を召し上がる。 「不健康、まっしぐら」の生活を送っていながら、 会長の御身体は本当に不思議です。 医学的に動脈硬化の所見が全く出て来ないんですよね・・・・。 でも、大事な御身体ですからどうぞご自愛ください。
同窓会、私は一度も出席したことないですね。 医者は早死にだから同級生で、 もう生きてない奴も結構いますし・・・・。
同窓会よりも「現在」を優先していただき、 道場生一同感謝しています。 高槻もよろしくお願いいたします。
清水 雄介

会長の健康管理頑張ります。 どこまでも行きますよ。
典代

■2012年1月24日(火)その3 Vol.1937

俺、いまだに麻雀はちょこっと打てるんだが、 眠るのが下手なんだよな。
眠るのは本当にめんどくさい。 その上、この頃、めしを食うのも めんどくささを感じてしまう。
睡眠障害の上に 拒食症も加わったのかなー。
海に潜って遊べれば、 この2つも解消できるんだけどなー。
我が家は皆して風邪でやられている。 俺んところへも来るんかいなー。
まぁいいっか。

         雀鬼




会長の奥様、すごい風邪声でした。 必要があればいつでも「おばちゃん」が 買い物カゴにネギ持って 会長ん家にかけつけまーす!
(橋本)

■2012年1月24日(火)その2 Vol.1936

火曜日ってことで、 金村部屋の連中が七人もやって来て、 町田勢を圧倒している。
下北勢が高校生なら、 町田勢は小学生に見えちまう。
また雪が降ったね。 何故だか温っかさを感じちゃって、 また暖房なしで起きたり寝たりしていた。
雪が降る前は あれほど寒さを感じたのに おかしいねぇ。
孫達もインフルエンザにかかっちまって、 日々が静か。
めんどうなゲラをチェックしたり、修正入れて、 ひまをもて遊ぶ。
今日も
「はぎちゃん」
の取材。
女性の担当者の注文が多くってさぁー、 「毛筆で自筆の文字を書け」や 「笑っている写真を出せ」や 「落款を押せ」やと、うるせぇことばっかり。
「主婦の友」
やっぱり主婦はめんどくせぇよな(笑)

         雀鬼




町田小学校の放課後に「おばちゃん」登場!! 次回の「主婦の友」の取材は この「おばちゃん」が受けますんで よろしくでーす!
(橋本)

「はぎちゃん」からメールが届きました!

先日も長々と取材にご協力いただき 誠にありがとうございました。
めんどうくさくて申し訳ありません……。 次は撮影も入らないので それほどめんどうくさくはならないかと……(多分……)。
火曜日は金村さんたちがいらっしゃる日だったのですね。 前回も今回も桜井会長と金村さんたちの 触れ合いの時間を取材によって削ってしまったようで 申し訳ない限りです。
とはいえ、取材は続きます。 次回は「めんどうくさいこと」に関してもいろいろと お話を伺えればいいなと、今、思いました(笑) 引き続きよろしくお願いいたします。
萩原晴一郎



■2012年1月24日(火) Vol.1935

一ヶ月振りの、 町田・下北卒業組との合同企画、 順位戦は楽しめたと思う。
下北卒業生組でも やはり一番顔を出してくれていたしげるが、 何かの力が働いたのか、驚異の単独72pを叩いて、 たった一人で13チームをぶっ飛ばす。
チーム戦でおまけに入っていた チャッペ・哲・熊代で断トツの優勝の100P。



準優勝は町田の小鉄チームが、 小鉄・橋本・新屋・芹澤の4人で 力を合わせて56pの2位。



3位入賞は理絵・清川・ノックで そこそこ頑張って55pの3位。



20p以上は50人余の中で5人しか獲得出来ない中、 しげるの3倍を越える力は凄かった。
この日、初っ端から 何となくだるみを感じていたので、 久し振りに俺が場をしめる。
その勢いで、 何時もなら「ウィッ!!」なんてツラで、 でかいツラしていた多田が でかい体を小さくしていたっけ。



しげるが72pと大働きした中で、 ヘッド、深山、横山、金子なんか1pも取れない(笑)
一日の長丁場だったが、 やはり場を盛り上げてくれたのは、 金村師範を先頭に、シャボ、川原という下北卒業組が 圧倒的な存在力を見せつけてくれた。



町田の6人衆なんか、かすんでいたっけ。
企画も俺が発案したんだが、ビシッとしねぇから、 久し振りに俺が全て一人でやるつもりで仕切る。
楽しみもいいが、たまにゃ
「活」
も必要だよな。
上位チームは皆して、 上等な寿司食ったり、理絵の手料理の角煮と、 豪華食品を残るほど平らげていたが、 ブービーの恒チームとビリッけつの深山チームなんか、 パゲラーパンを淋しく食すだけ。



今川チームはビリ候補だったが、 今川の熱心が伝わってか、難を逃れて、 旨いめしを全てありつけた。



「やる時は皆してやれよ!!」

         雀鬼




日曜日は上位2卓、中位2卓、 下位4卓に別れての順位戦でした。 ウマのポイントの付け方は複雑ですが、 とにかく浮けば最低1ポイントは獲得出来ます。 それなのに、ああそれなのに、 一日がかりの大会にもかかわらず、 4名もの0ポイント者がでるとは・・・。 一人は下北卒業生の横チン。 まあ出るとペナじゃ少々厳しいです。 金子のおじきも指が限界なのでやむ無しです。 後の2名はなんとリーダー。 一人は下北卒業生の深山。 そしてあと1人は町田唯一の我らがヘッド。 ああ、かつてヘッドリーグと深山リーグに別れて 一期を過ごしたあの日々はなんだったのでしょうか。 ほんと返してもらいたいです。 大体名の通った方々は20ポイント台。 百武なんかちょっと来て3回打って15ポイント。 弱い佐藤さんでさえ、1回打って5ポイント。 弱小名古屋支部の竹田でさえ2ポイントは取っている。 かつての下北のふんどしかつぎの デタラメ手順の森でさえ1ポイントはとっている。 0ポイントってCといっしょ。 っていうかありえなくねー。 しかもペナのおまけ付きじゃあ何が何やら。 町田は元気がないし、いったいどうなっているんだ。 っていうか、
町田のヘッドはどうしちまったんだ。

回数とかの問題ではなく、そこを間に合わせてこその雀鬼流。
そんな姿のヘッドだけは見たくなかった。

なんか下北がなくなった以上に
無性に悲しくなりました。

しげる

■2012年1月20日(金)その2 Vol.1934

家から道場まで、 たいがい家人か、娘が車で送ってくれるんだが、 ここんところ、帰りまで久美子が送ってくれる。
行き帰りの女性陣の世話、 なんか、ちょっと情けない(笑)
免許がねえんで、 若え頃は社長が運転して、 俺が助手席。 ドライブなんかもドライバーが女の子で、 俺は隣に乗せてもらっていただけ。
こうなったら、 無免許で運転しちまおうかな(笑)
車イスをなー。

28日には、皆して、 又高槻Jrの決勝戦に駆けつけるらしい。
京都までの新幹線だが、 未だにゆっくりタバコを吸わしてくれるから、

「偉い!!」

         雀鬼




「えらい!!」です。
世論に負けず、 いつまでも喫煙車を走らせ続けて欲しいです。
そして今夜の帰りも、 今川さん、よろしくお願いいたします!!
(緒方)

■2012年1月20日(金) Vol.1933

旭川では零下20度とか、 東京もちらちらと雪が降った。 深夜にコンビニまでタバコを買いに行く。
何時なら、暖房を30℃をつけて、 その上、石油ストーブをつけて、 何枚か重ね着してベッドに潜る。
それでも寒い。
それがどういう訳か、 この日暑苦しくって全ての暖房器具を止めて、 毛布も布団もかけずに寝込んじまう。
部屋の温度は12℃だったが、 少しの寒さも感じない。
体感温度が壊れちまったのかもなー。

         雀鬼




12℃で寒さを感じず寝込んでしまうのは、 よくドラマでありそうな、山で遭難したときの、 「寝るなー!!眠ると・・・だぞ〜」 のような感じ…、
ではないと思いますが、 会長のセンサー調整のためにも、 もしかすると、そろそろ南国が必要なのかもしれません。
(緒方)

■2012年1月17日(火) Vol.1932

新年初めの取材が入る。 担当者がはぎちゃんなのでやり易かった。
道場には金村や成島達の下北卒業組が 6人ぐらいやって来てくれていた。 群馬や千葉からの遠方組も混じっている。
我が家の元旦の新年会で
「皆してなんかやりましょう」
金村師範の発言を受けて、 今度の日曜日には 町田と下北組が混じって チーム戦による順位戦を行う。
卒業式はあったが、また皆して ワイワイ楽しい一日が過ごせればいいね。
我が家では、 どこへ行っちまうのか、家人の姿を見ないが、 アオトのパパがアメリカ出張10日間っていうことで、 アオトの存在頻繁度が増す。
アオちゃんも3才を過ぎて体力が育ち、 遊びっぷりが濃くなる。 こちとらは日増しに下り坂の体力。 これが結構きつい。
やんちゃになった小さい手から放たれた 固いものが近距離から顔面に。
家人も孫も俺には何でもありなんかなー。

         雀鬼




運命です!(笑)
(橋本)

■2012年1月15日(日) Vol.1931

午前一時、シャボが 何事も無かったように帰って来る。
何でだか、涙腺がゆるむ。 戦争へ息子を出した親の気持って、 どれほどのものだったんだろうか…。

10ヶ月もたつと、 俺が見た、 「どなたでも何でも持っていってください」 と張り紙があった津波で半壊していた店も、 それなりの店に変わっていたという。

シャボがダンボールを2つ抱えて来た。 現地でも漁が出来るようになって、 タラのでかいのとヤリイカが詰まった箱。
以前なら、持って行くだけで、 笑顔もありがとうも受け取れなかったのに、 今回は新鮮な魚のお土産つき。

大人達は苦しみを酒で紛らわせることも出来ようが、 子供達に言葉も元気も笑顔も まだ戻ってないと言う。
「津波、怖かったろうねー」
俺の幼少の頃も、 戦争で全てを失った浮浪児が沢山居た。

とにかく、シャボが帰って来て、 腹もすかない俺だったが、 シャボを囲んで温かいシャブシャブを食う。
徹夜続きの強行軍で疲れているはずの、 シャボが行く前より元気で、 3時間近く話し、笑う。
下北卒業生のしげるにも 強制的に木の子荘泊りを命じちゃって、 シャボの帰りを待っていてくれた。
しげるを乗せて、木の子荘の中まで、 久しぶりに土足で入室(笑)
「シャボさん、家に来る?」
と振ってみるが、 任務から解放されたいシャボを止めることも出来ず、 シャボは寒い寒い自分の車の中で、眠る。

3月11日に津波から逃れ、 心身を寒さで凍らした現地の人達が 倒れこむように集まって来ていた あの緑の木々に囲まれた体育館も、 今じゃ、何時の姿に戻ったらしい。
「災難は忘れた頃にやって来る」
あの恐怖、 忘れていいもんか、 忘れちゃいけないのか、

「それすら、分からない」

         雀鬼




日本に生まれ暮らしていくうえで、災害は避けられない経験です。 真の被災者は二度と言葉を発することもなく、 次なる被災者は残された者達です。 災害の心傷性の体験に圧倒されないように、 茫然として無表情、無感動になり笑いを忘れたとしても、 いずれは克服して立ち直っていくのではないでしょうか。
被災者でなければ支援者か傍観者しかないのですが、 必要とされる限りは支援者として踏みとどまるタフさが 我々には必要だと思います。
シャボ師匠、緒方お疲れ様でした。 会長お疲れ様でした。
(しげる)


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