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■2009年12月22日(火)  Vol.1240

書いても書いても終わらない。 今日はてんてこ舞の一日だった。
原稿書いてらー、 映像の仕事人が来るは、 重なるように出版社からえらい人がやって来て また何かやるらしい方へ話しが進み、
原稿書いてらー、 新日本プロレスの中邑真輔が 幼子を抱っこして暮れの挨拶にくるは、
原稿書いてらー、 雀鬼会の本戦が始まっちゃうは、 現実的には一個一個しか片付けられないんだが、 目一杯のところへまだやることがやって来る。
自分じゃそれほど思わないんだけど、 この頃時々夢ん中で何かに追われる夢を見る。
起きている時は、ジタバタしてもしょうがあんめぇ と思っていても、夢ん中でなー。
まぁ今は今だから、 今やれるべきことをやっちまおう。
もちろん道場生達と遊び、孫と触れ合うことだけは 仕事以上に大切なことだからやめませんよ。
明日もなんか楽しいこと見つけて遊ぼうなーと。

          雀鬼




自分は高い所から降りられない夢や 思うように飛べない夢が多いです。 なんにしてもジーコさんが「遅い!!」と怒り出す前に 原稿を上げられて良かったです。(橋本)

■2009年12月20日(日)  Vol.1239

景気が落ちている。 まだまだ落ちていく。 そんな中、ありがたくも贅沢である、 箱根の高級旅館である武蔵野別館さんで、 雀鬼会の主立った者達で忘年会が出来た。
今日日、チェーン店の居酒屋クラスで 忘年会を開くことが多い中、 雀荘という麻雀を打つ仲間、 それも懐が決して豊かで 無い若者達が50人近く集合する。
道場生達では個人的にゃ とても敷居が高い宿を、 武蔵野別館さんの女将さんや 太田常務の快いお持て成しで、 一日を贅沢に過ごさせて頂けるのです。

我が家を出ようとすると、 娘夫婦と孫が駅まで車で送ってくれる。 ついでにドアが閉まる寸前の車両に飛び乗る。 電車の中まで送りに乗り込んで来てくれる。
可愛い孫がそばにいてくれればそれだけでいい。 孫を抱っこして遊んでいたら、 そのまま箱根に着いてしまう。 ならばとお世話になる 武蔵野別館まで連れてっちゃう。 そんな予定は全く無かったが流れに乗るだけ、 土曜日だから当然満室。 俺用の個人部屋で孫と遊んでやっている内に、 旅の疲れが出て孫は眠る。
可愛い寝顔を見守っている隙に、 娘夫婦はとっぽくも いくつかの良泉を楽しみに行ってしまう。 爺やが孫を見守っていると、 後から着いた道場生等が、 俺の部屋へ挨拶にやって来て、 満員状態になってしまう。 静かに静かに皆して会話を楽しむ。

温泉を満喫した娘夫婦が帰って来て、
「泊まっていくならどうにかするぞ」 「何の準備もして来なかったので今日の所は帰ります」 「そうか」
と孫を抱いて玄関まで送り出してやると、 孫は何時ものように しがみついて親の元へ行きたがらない。 又明日ねと暫しの別れがあって、 やっと部屋でのんびりしていたら、 娘から電話が入って、 太田さんが小田原まで送って下さる。
「太田さんにお任せしなさい」
と甘えてしまう。 宴会が始まる前から、 太田さんのおかげで 気分が最高に嬉しくなる。

宴会前にひとっ風呂と、 縦7m、横2m足らずの 檜の露天風呂に浸かると、 一人、五人、十人と冷たい風が吹く中、 道場生達が入って来る。
2〜5人で入るのがいいところ、 混んだって10人で終わりのところを、 40名近くでゴッチャ湯。 風流ものんびりも やっぱりすっ飛んでしまう。
外の冷気で温度が下がった湯が 人混みでどんどん下がっていく。 寒いと露天風呂を飛び出して 内風呂の温度に逃げると、 皆んなも寒かったのか、 皆んな付いてきてしまう。
皆んなが一気に出た檜の湯の 湯量は10cm位に下がっていた。 ていう事は俺達足湯より少ない量の 湯に浸かっていたことになる。

宴会の料理も部屋食並みの鮑の踊り焼きやら、 炙り松茸やらと豪華で温かい料理を頂く。 俺が大好きな道場生等と高級旅館、贅沢なお持て成し。 その上孫まで宿まで送りに来てくれたことで、 格別の忘年会になれました。

帝国ホテルや三井倶楽部なんて、 くそくらえだったが、 武蔵野別館さんと、道場生達の おかげで最高の一日を過ごさせて頂きました。 太田さん今年も大勢で御迷惑をお掛け致しました。 何でだか娘夫婦の利用代金が つけ忘れになっていましたので後ほど、、、、。

          雀鬼




例年そうなのですが、 今年の牌の音忘年会も凄く楽しそうです。 お金が無い道場生達にとって 一年に一度の贅沢なので、 楽しい時が過ごせて良かったです。 高級旅館武蔵野別館さん、 太田さんのお心使いのおかげです。 今年もどうもありがとうございました。 去年ゲロッペとして大暴れだったチャッペさんも、 今年は楽しいお酒で盛り上げて くれたようでめでたしめでたしです。(ジーコ)
おっジーコさんお帰りなさいませ! 宴会の席では、武蔵野別館の太田常務さんが、 私のところにもわざわざいらっしゃって、 HPを毎日の様に見てらっしゃると おっしゃってくださいました。 なかなか見てくださっている方の率直な意見は 聴けないので大変嬉しかったです。 今年は特にお湯でゆっくりさせて頂いた気がします。 会長、みなさん一年ありがとうございました。 って、まだまだ年末年始牌の音行事は続くので、 風邪などひかぬよう頑張りましょう!(花岡)

■2009年12月17日(木)  Vol.1238

今年も残すところ後半月。 1年を通して道場を中心にして守り通した者が確実にいる。 睡眠時間も遊ぶ時間も己の時間も削って犠牲をともなった分、 その者達は疲れ切っていることだろう。
それを少しでも補えるのは そこに道場生達が自ら参加する楽しみがあったからこそ どうにか皆して耐えている。
私の周りでも流行り病がはやっている。 疲れた身体にその病が食い込んでこないことを願っている。
二年近くも道場のスタッフとして一日も休まず 働き通してくれてきたジーコが、 法事のために2日間の休みを取って岩手県に帰っている。
亡くなられた御爺様には18年間お世話になったという。 大学生活以来、ほとんど東京に居っぱなしのジーコでも 岩手の自分が過ごした家庭には愛情を持っている。
育った家族や家庭を嫌って家を飛び出す子も多い中、 岩手に住まわれる御一家を少しも嫌いでないジーコは 幸せ者かも知れない。
先日道場の下の道路で倒れるように座り込んでいた若い女性は、 この近辺でも豊かな家庭、環境の中で育ったらしいが、 親が子に求め過ぎたものが厳し過ぎた為に 弱った自分の心にドラッグを打って逃れていたが、 外へ出てドラッグを必死で止めても症状が出て、 統合失調症のような日々を送っていたらしい。
厳しさを越えて生きれる者もいれば、 厳しさに負けてしまう者もいる。
社会的豊かさや能力を高めることを求める社会には 弊害が生まれる。 何かを強く求める親よりも、子供が幼い頃には 温ったかく温ったかく見守ってあげることが大切なんだ。
豊かな家庭で育った女性と貧しさに負けそうになった男性が 同じ心の病を持ち合わせて暮らしているという。
我が家で沢山遊んだ幼い孫が帰っていく。
「ダメ。泣き止まないの。」
と、娘が帰る車で戻ってくる。
ならばと立ち上がってダッコしてあげる。 正直俺の体調も優れなかったが、 孫が俺の胸の中で眠ってくれる。
30分も経って少々疲れたので そばのベットに横にさせると、 「まだよ」と駄々をこねられそうになる。
「分かったよ」と俺がベットに倒れて その上に孫を抱いてやる。 俺は少しも動くことが出来なかったけど、 孫を抱ける時を感謝している。
娘に
「今が大切なんだよ。  幼き時を親がしっかり触れ合ってあげないと  そのツケが必ず大きくなってお前自身に還って来るんだぞ」
と、きつく申し述べておく。
一方、幼稚園に通っている孫がインフルエンザにかかって 40℃で寝込んでいると聞き、電話を入れる。
「爺じだよ。はるししっかりな。治ったらX'masだからな」 「うーん・・・」 「そうだ、シンケンジャーにも  はるしが頑張れるように電話して頼んでおくよ」
と、小さい嘘までついてしまう。
身体の病は一つクリアすれば免疫力もつくが、 心の病はあっという間に拡がりをみせて 自覚出来ない領域まで連れて行かれてしまう。 普通の暮らしの中までその病は蔓延り続けている。
「どうしようかネ、全く」
ジーコが帰ったら相談してみようかな(笑)

          雀鬼




道場から電話であおちゃんに語りかける会長からも 言葉でなく本当にあおちゃんを想う気持ち、 護る気持ちが伝わってきていました。 はるしくんも小さい体で高熱と闘っていると思うと 代わってあげたい気持ちになりますが、 はるしくんもあおちゃんも 会長がそばにいて下さるから大丈夫ですね。 そして僕ら道場生も今の時代にあって 本当に幸運で恵まれているのを感じます。
岩手のジーコさん見てますかぁ〜 みんなで箱根で待ってまーす!! (橋本)

■2009年12月15日(火)  Vol.1237

定時になって、
「ラス半です」
の声が響く。 今日も一日終わりかと思っていたら、 待ち席のソファーで横になって眠っちまう。 スタッフがそーっと毛布を掛けてくれることで、
「あっ!!眠っちまった」
と目覚める。
20〜30分の眠りだったが、 これがすごく気持ちいい。 それほど眠たかったのに、 家に帰って一風呂浴びたり何だかんだやってたら、 朝が来てしまう。

それから数日経って深夜近くに、 又、ソファーに横になったら眠りそうになる。 そばのイスの袖に足を乗せとけば 眠りはしまいと思っていたんだが、 そのまんま又眠っちまう。
足のしびれで目を明けると毛布が掛かっていて、 一時間以上は足を苦しい型で眠っちまったらしい。 目が覚めるが左足が痺れて動けない。
「ジーコ、悪いんけんど足を持ち上げてくれるかい」
ジーコがソーッと床に足を降ろしてくれたが感覚が無い。
眠いというより倒れるように眠りに入っている、 それも一週間で二回も。
眠る事が下手な俺だから、 道場生等は
「会長は眠れる時に眠ればいい」
とありがたいお気持ち。

この先俺にも死が来るだろうが、 病院で延命処置の中で死ぬのはゴメンダ。 せめて我が家で死にたい。
一番願っているのは、 道場で皆んなが楽しそうに 麻雀を打っている中で、 眠ったように死ねたら 最高だとつくづく思っちゃった。
道場生達にはすまないが、 これからも道場のソファーで 眠らしてもらう数が増えそうです。 知らず知らずに俺って 何かに追われてんのかなー。

          雀鬼




会長がソファーで横になられる事は多いのですが、 本格的に眠られるのは稀なことなのでちょっと驚きました。 普段あまりお休みになられることが少ない会長ですので、 そんな時は道場生みんなでソーッと静かにして、 少しでも休んで頂ければと思っております。 これからも会長でしたら 何時間お休みになって下さっても大丈夫です。(ジーコ)

■2009年12月13日(日)  Vol.1236

下北、町田には 雀鬼会を楽しい方向へ存続するために運営委員がいる。 俺が枝でありボディーなら、 彼等は血であり肉でもあり神経でもある。
町田委員長の沓掛は、 一流大学を出た、責任感の厳し過ぎる男。 学校で得た学力を捨てて昼間も働き、 深夜も学生達に混じって 皿洗いみたいなことをやっているらしい。 池袋の先にあった住居から 今は町田道場の近くに越して来て、 ギリギリの生活の中でも何かを楽しんでいる。 学生時代ダンス部に入部してた割りに、 動きはあやつり人形みたいにかたい。
キノコ荘の住人である チャッペ・恒ちゃん・小鉄のおバカさんトリオは 今や町田勢の柱、 俺にとっても道場生にとっても、 そばに何時でも居なきゃならない存在になっている。 俺にとっては、モデルや女優よりも、 彼等は可愛いいし大切な若者である。 道場でも格闘技でも海でも、 俺といつも一緒の楽しい3人組である。
古参の歌ちゃんと今川も家族同然の子。 俺を深夜早くて2時過ぎ、遅くなると午前4時でも、 我が家へ変りばんこに送ってくれる。 その姿に暗い玄関先で深く頭を下げる毎日です。
理絵も今や女の子ながらキノコ荘の仲間入り。 小鉄と恒と理絵ちゃんで身心をさらけ出して 身も心も犠牲にしてまで道場を明るくしてくれる、 町田道場の看板娘です。
この7人の侍が中心になって、 道場を家族以上に楽しい空間作りを 作り出してくれている。

下北道場には最強の金村がいて 道場主の多田もいれば若手で打てる陽太もいるが、 運営委員の存在力は 町田10に対して3ぐらいの存在感しか見えない。
委員長のしげるはがんこな姿勢を持って 一人やるべきことをこなしているが、 色合いとか足並みの不ぞろいで一体感は伝わって来ない。
身心伴にいれば明るく元気な手本であるシャボがいるが、 何てったって生活の場が茨城っていうことで精一杯。 深山・横山・吉田・高田等も何かが不足だらけ。
花岡もいるんだが昔に比べて 活性力が消化しちゃって 陰をうすくしちゃって 道場を引っ張るという力を忘れちゃった。

雀鬼流道場も下北と町田じゃ全く別な顔を持っているが、 それでも俺を中心になって集まると、 2つの色が混ざり合っていい色を出してくれる。

          雀鬼




という訳でこの原稿が書かれた直後 月例会で優勝し、かろうじて存在を示した花岡です。 間に合ってるんだか、間に合って無いんだか。。。 その後町田で会長にお会いすると、 会長から笑いながら半分めし上がったおにぎりを頂き とっても嬉しかったです。(^_^;)
写真は町田委員7人の侍。 今日は町田道場で5つの公式試合があり、 その後の町田で撮られた写真。 結束力、一体感を感じます。
打数対決でくじを引く前から負けが決定という 完全KO試合をされた下北委員の面々は、、、 委員長を恐れてか、もちろん町田からバラバラに帰宅。 例の彼ももちろん千歳船橋で途中下車していきました…(花岡)

■2009年12月11日(金)その2  Vol.1235

道場下の道路で3日続けて変なことがあった。

一日目はすれ違ったアベックの女性が、 下を向いて何かにおびえて見えた。 気になって後ろ姿を眺めると、 角を曲がる途中で男から逃げようとする瞬間、 襟首を男に捕まって引き戻される。 ちょっとおかしいと身を返して早足で後に近付き
「どうした」
と声を掛ける。 瞬間男が俺の姿を見て、そのままダッシュ。
「大丈夫かい」
と残された女性に問うと、 か細い声で
「ありがとうございました、、、、」 「知らない人に、、、、、」

次の日も、 道路でヘナヘナと座り込む女性が見えた。 立とうとするが座ってしまう。 近付く瞬間、 座ったまま後へ倒れる。 手を向けてコンクリートに頭を強打することを防いであげる。
「酔ってんのかい」
目が虚ろの女性が首を横に振る。 今流行の薬をやってるのが分かる。
「この近くに知り合いは」
何気にそばの店の方へ指を差す。

3日目は小さい女性がゲームセンター前に止めてある自転車を、 腰をかがめてガシャガシャ動かしている。 自転車泥棒かと近寄ると、 何と道場の今川女史だった(笑)

一つ目と二つ目は事件性あり、 3日目の件は、無罪でした。 女性絡みの変なことばっか、 世の中おかしいよなー。

          雀鬼




町田はハッキリ言って治安の悪さは東京でも1、2を争う場所。 1日目、2日目は会長がその時その場にいて本当に良かったです。 3日目の今川さんは自転車のブレーキの音がうるさいと、 通行人に怒られたので何とかしようとしていたらしいです。
写真は世の中もおかしくなってますが、 会長のズボンを穿いてそれ以上におかしい今川さんです。(ジーコ)

■2009年12月11日(金)  Vol.1234

ちょっと間があったが、 選手達の働きで本戦が動き出す。
開幕らしく、金村卓や多田卓から先行する。 今や雀鬼会の顔である金村は 少しの崩れも見せず、 心と身体を持ってして打ち切り、 トップ評価の「 A 」を取る。
Mr.雀鬼会の多田は何時のように 「疲れちゃった」のか、 2段階下の「 B 」で終わっちまう。
試合が進んだ終わり頃、 金村・山田・多田・佐々木という 四天王が打つ組み合わせが出来た。
20年間の歴史を見ても彼等四人は誰しもが認める 雀鬼会の猛者であり、顔でもある。
こんな試合が本戦の中で組まれること自体、 何かの運命を感じる。
雀鬼会の運命を支える試合を 四人でどう打つかはこの俺も楽しみ。 四人がしっかり打てれば、 史上初のオールAの満点試合も不可能ではない。
しかし、今までの業績だけじゃとても打てない雀鬼流。 その日、その時の力が最善じゃなければ すぐに誰かおいてかれる。 最高で20点、崩れれば13点まで落ちる。
まぁ、12点の合格は確実だが、 四天王が打つ試合がそんな低レベルじゃ 誰しもががっくりくる。
俺も日々何かに追われる忙しさだが、 それが増えることがあっても 減ることはありそうもない。
昨日、いっぺんに3冊の本の依頼が入る。 もう無理の中に無理矢理が入り込んでくる。 それを可能にするためには 身心をどうにか保たにゃならないが、 どうなるかは先の話し。
まぁ、一つ一つやっていくしかありませんよネ。

          雀鬼




ホントすごい組み合わせになりました。 具体的に何をどうというわけではないですが、 四天王の試合に向かう気持ちを持って 僕ら周りの選手たちも 雀鬼会を作っていかなければならないです。 それにしても作家でもない会長に いっぺんに3冊もの依頼って・・・ 依頼者も他人事のように 「会長なら大丈夫!!」って感じなのでしょうか!?
正解です!!(笑)(橋本)

■2009年12月8日(火)その3  Vol.1233

風呂場から孫の泣き声が続く。 普段俺とは遊んでばかりで泣かない孫が泣いている。 湯を使わせている家人が悪いわけじゃないが、 多分、その空間から一時も早く抜け出したかったんだろう。 俺がだっこして出してやっても泣いている。 こりゃ何時もの調子とちと違うなーと、 娘に手渡すと、 抱かれて乳を吸う。 この時とばかり、
「この子は、強く母親のオッパイダケを求めているんだよ」
母親には幼子が欲しがる時、 何時でもそばにオッパイを持っているからこそ、 この子にとってはかけがえのないもんなんだ。
「俺なんかどう頑張ったってこんな時にゃ敵わない」
「母は強し」
とはこういう時に実感出来る。

俺が一生かかっても出来やしない事を、 新人の母親の娘がすんなりこなしている。

乳離れするまでそばにいてやれよと、 父が娘に願う。

          雀鬼




きっとアオちゃんが乳離れするまで母親はそばにいると思います。 会長もさすがにオッパイだけは無理でした。(ジーコ)

■2009年12月8日(火)その2  Vol.1232

道場に来れば取材取材が重なって、 少々飽きちゃった(笑)
多分日本で一番取材を受けている雀荘のオヤジは俺だろう。 雀荘って麻雀やって遊ぶところなのに、 どうとち狂ったのか、多方面から取材者がやって来る。 不思議なことに麻雀業界からは一つもお呼びでない。 今日の取材のテーマは何だか、、、、 知ったこたあないが三時間と短めでやめる。

家を出る時に取材が嫌だったんで、 元気な声が聞きたくなり、 電話を入れたら、
「この電話は海外へ繋げます」ときた、 あいにく留守電だったのでプツリと切ると、 折り返すように、
「今は香港の空港です」
と「元気っ娘」の早矢香の声がする。 早矢香の元気な声で取材を一つ終える。 いや取材中だったが早矢香から帰って来ましたと、 再び元気をもらって取材陣にはとっととお帰り願う。 何だか今日は卓球っ娘の早矢香に救われた。

ここ数日寒さが増す中、 日中に陽が差す。 縁側に座って冬の陽光を浴びる。 真夏の暑い太陽と違って冬の陽だまりは、 ポカポカと温かい。 子供の頃に感じた 「日向ぼっこ」を思い出す。 冬の陽射しもつくづくありがたいもんよと改めて思えた。

          雀鬼




世界を飛び回る平野さんから道場にお電話を頂きました。 電話口のいつもの明るい平野さんの声に、 「平野さんはいつも元気がいいなー」と自分も思いました。 会長にも元気を分ける明るいお電話ありがとうございます。
そして太陽さん、 夏だけでなく冬も温かい陽射しを くれいつもありがとうございます。(ジーコ)

 

■2009年12月8日(火)  Vol.1231

12月4日の雀鬼会サイトを読んだ 海上保安庁の方からメールが届く。 その中で
『 海上における人命救助というのは   海上保安庁の責務、任務であり、   言うならば医者が患者の命を助けることや   警察官が泥棒を捕らえること、大工が家を建てること、   はたまたお百姓さんが米を作ること、   やって当たり前、出来て当たり前のことであり、   我々は「すごい事をした」と他に誇るべきことではない   という感覚でいなければいけないと思いますし、   今回の潜水士たちもそういう考えだったと思います 』
とあった。
スポーツ新聞の小っちゃい記事を見て、 あの時の潜水士達は「すごかった」 と思えることには変わりはありません。
社会には責務、任務という立場に置かれた方々は ごまんと居るでしょうが、 この方があげてくれた医者にしろ、警察官にしろ、 その立場をしっかり分かった上で、使命感を持って 責務をまっとうしている業界は少ないと思います。
それも仕事だけに限らず、家庭の中の父母、 教育の中の教師の中でも 真からそれらしく見える存在は数少ない社会です。
大工という昔し存在した 職人気質の方々も見えなくなり、 今日日の住宅模様も 売れればいい、儲かればよしとする 金銭社会に蝕まれているのが現状です。
子供達に与える夢だって、 野球やサッカーをやって年俸何億も稼いで、 名前も売れる方に仕向けることで 業界が成り立っている。
国家の公務に身を置く人達も 自らの安定ばっかりを求めて、 それを長年の恒例として 仕事としている者も全国にごまんといることでしょう。
責務とか任務とかをはずしても、 困った人、弱った人を見たら
「やってあげて当たり前」 「手助け出来て当たり前」
という感性というか感覚を 子供の頃から身に付けさせることが はじめて人間らしいということかも知れませんね。
この方からも
『 レポートを拝見し、とても嬉しく思い、   一言お礼の言葉をを述べたくて   恥かしながらメールをさせて頂きました 』
とあったが、私もこの方に そのまんまのお気持ちを返させて頂きます。

          雀鬼




海上保安庁の方からメールが届いているのを知った時、 会長も喜ばれそうだなぁと思い浮かびましたが、 お二人の温かいキャッチボールがホントいいなぁーと なんもしてない自分も便乗して(笑) 嬉しい気持ちにさせて頂きました。 当たり前という感覚の人の存在に触れさせて頂く度に 自分の恥かしさを感じたり、強さを与えて頂いたりしています。(橋本)
この方のメールの全文はVoiceのVol.855に掲載しました。 お便り本当にありがとうございます(花岡)


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