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■2009年5月21日(木) Vol.1080

俺はオヤジを越えた爺さんである。
年老いた幸せ感て何だろうか、 俺はこの20年間、 家庭なら子供から孫、 外へ出れば、 若い道場の中にすんなりと溶け込む。
社会的に何かを掴んだり持っているオヤジ以上の方々とのふれ合いは、 極力避けられた暮らしをさせて頂いている。
貧乏だったり色々と余裕が無いかもしれないが、 明るくて元気がある者達の中にいられるてえ、 かなりありがたいことだと思う。
学校の先生もそうだよと思うだろうが、 先生の後ろにPTAとか親とか教育委員会等の大人の姿が濃く映る。 先生同士も大人の関係だからちょいと違う。

何時まで出来るか分からんが、 若い者や幼い者の中にいたい。 その内、大人達の中に引きずり込まれてしまうだろうが、 それが来たら、もうそこには俺の姿はないような気がする(笑)
大人になったら大人の中に混ざって何かをするのが、 まっことの大人というらしいが、 俺はその場には行かなかった。

          雀鬼




とりあえず道場生のほとんど全員、 お金もなければ権力もありません。 この先もみんなそっち方面には縁がなさそうなので、 牌の音は大人の場にはならないような気がします。(ジーコ)

すごい良い雰囲気の写真ですね。 1000Upを終えた理絵さんも綺麗に写ちゃって(笑)お疲れでした。(花岡)

■2009年5月20日(水) Vol.1079

出版社から依頼が入る。
「どこから」 「輿石社長からの紹介だそうです」 「輿石からなら受けといて」 「会長、8冊あるんですけど」
いま関っている出版物が8本同時。
「知らなかった。1本か2本ぐらいだと思ったよ」 「いいんですか」 「いいよ、輿石からならば」
とは言っても、こんなに多くを一度にじゃ、 どこで何をやったかなんて混乱してしまう。
混乱してしまうからやっていることを極力忘れている。 輿石社長が他の会社の出版社の編集長と一緒に打ち合わせに来る。
「人間の器」の磨き方(仮)
50才からの生き方を雀鬼が語る。 第一章うんぬんと構成案が企画書にある。
二秒ほど目を通して分からん内に話が始まっている。 取材の準備もして来なかったが話は進む。 もう取材は終わったよね(笑)
本の方はどうでもいいんだが、 輿石はある仕事の件で10年ぐらい前に知り合った。 大きく有能とされる会社の社長とも知り合いが多いが、 多くの社長さんの中で輿石の生き様は何か気に入っている。 社長と思わせない輿石の姿が好きなんだ。 社長っていう看板背負ってて いい人って少ないかも知んないね(笑)

          雀鬼




輿石社長がいらっしゃるということで、 逆に、いつも通りに、構えないようにと ちょっと思ってしまったのですが、 会長が書かれているように社長と思わせない方で、 自分の思いは全くいらぬ余計なものでした。 最初に道場の入り口で対面させて頂いた時、 柔らかい表情で、良いお父さんという印象を自分は持ちました。
それにしても8冊同時って・・・ そういう方はどのくらいいるのか、 出版社の方にちょっと聞いてみたいです。 ちなみにこのHPを本にしたら 何冊分くらいになるんでしょうかねぇ、花岡さん?(橋本)
ん〜自分も考えないようにしてるんで、、、(笑) まぁ1つ1ページには入らないでしょうから、 最低でも2000〜3000ページでしょうか。。。 それにしても8冊同時って・・・ ひど過ぎですよ橋本サブマネージャー!(花岡)

■2009年5月19日(火) Vol.1078

ランドセルを背負った小学生が、 学校帰りに、翁婆や父親たちが集う大人達の中に 寄って帰っていた。 年齢差がある大人達が集まっていたが、俺は20代前半だった。
「大きくなったらさくらいさんみたいになるんだ」
と言われた一言が、今だに心に響いている。
それから20年が過ぎて、その子が一人の男となって 我が家の幼き子供達と触れ逢ってくれていた。
そして又20年が経って、その男は母親を亡くした。 50才にもなったが、家庭も、職すら持たなかった男だったが、 葬儀に顔を出す。 俺の気持ちを察してか、仕事を休んで子供達から孫まで、 桜井家総勢が参動する事になってしまった。
年老いた親族だけが列席する葬儀は寂しかった。 悲しみだけは、親不孝のまま母を亡くした その男だけが持っていた。
我が家だけで会葬者の半分を占める。 悲しみよりも、人の絆の寂しさが深まる。
その男の育った一族はある宗教団体に属して、 結構熱心な信者振りがあったが、現実に生きる姿は 俺ですら近寄りがたい乱れ、質の悪さを 何度と無く体感していた。 正しき教えがあって、 何ゆえに人間は教えの反対側を歩くんだろう。
寂しい葬儀を終えて会食の席へ。 その方々と離れて、信仰心のうすい俺は別の席に座る。 喪主であるその男が、俺の隣に来てしまう。
「自分じゃなくて、母さんが会長を呼んでくれたんですよね」 「そうかい親不孝」
葬儀を祭した坊さんまで傍に来て座ってしまうが、 別に語りが入らない。 黙って寿司を三個ほどつまんで、孫の相手をしている。

小学生の頃、桜井さんのようになりたいと言ってた男は 逆の道を歩いてきた。 人にはそれぞれの道があって良いんだが、 親から頂いた血の流れに沿って人生も流れる。
「血流」という逃れられない定めがあるような気がした。

          雀鬼




■2009年5月17日(日) Vol.1077

昨日は少々打った。 雀鬼会ここ数年、ずーっとトップ打数を続行中のチャッペと、 理絵と高野で卓を囲む。
「ちょっと俺の動きを見てみて」
手を伸ばさず、動かさずして、 動いてみせる打ち方を示す。
努力も工夫もそうだが、
「やってるよ」「やったよ」
と明らかに見せるのはどうかと思う。
動きも、
「動いて動かず」
という動きが良い。
三人は何かを掴むためにその場で練習。 俺が相手の動きの中で気付く事で修正が入り、 時折り彼等が何かを掴んだ瞬間が見れる。 掴んだというより、何かに触れた感覚と言ったほうが正しい。 だから、何度かやっていると、また元の 自分の動きに戻ってしまっている。
「個人レッスンを受けて良いよなー」と 古島の声が聞こえる。 導く方は、気付きを多く出したり、固まった悪い動きも 真似してやると、あちこちが痛がり、疲れる(笑)

「低い動作って何ですか?」
と、肩が動き過ぎる沓掛が問うてくる。 しょうがねぇから、その後は沓掛と小鉄の個人レッスン。 薬指の大切さを伝える。 あーあ、疲れた、と隅の俺の定位置に座っていると、 近くで今川と九州の久保が、誰かから指導を受けている。 教え方が違う、そうじゃない、と放っておけずに 今度はそっちを指導。 その場だけだろうが、彼等も良い方向へすぐ変化する。 俺もかなり疲れが増していた。
隣では、手を伸ばして引くだけで肘が張り、 肩がガタガタ上下するBIGを囲んで、 何人かでどうにかしてやろうとしている。 もう俺ムリ、疲れちゃった、と久しその囲みを 眺めていたんだが、やっぱり「手助け」に動いてしまう。
古島がBIGの後ろへ回って、動いてしまう、 暴れてしまう肩を抑える。
「いや凄ぇ!!」と古島。 無駄な重圧を受けて困っている。 BIGの動きは重症(笑)
動きを全て観察してからBIGの手の上に俺の手を重ねて、 どこか楽に伸ばせる場所を探すが、 どこを探しても苦しそう。
「うん、これ手じゃねぇ。オデコだ」
と俺の声に、囲んでいた者達が、 手の修正になんでオデコよ、又会長の冗談か、 という空気が流れる。 手の動きと同時にオデコを合わせてみる。
何とその瞬間、どうやっても暴れてしまう肘と肩が スムーズさを取り戻す。 困りきっていたBIGとその囲みから笑みが出る。
「楽になれてよかったね」
ただそれだけ。 気分は悪いより、良い方がいいだけなんだ。
古島やそこにいた者達は、目の前で面白い体験が出来ていた。
「ただそれだけ」

          雀鬼




昨日は23時頃から朝の4時まで、五時間ほども 皆んな色々と教えて頂きました。 今は卓評価点合格、選抜は皆んなで70点を目指し、 ジュニアはまずは50点を目標に、一人一人、卓全体で 良い評価をもらえる様に基本動作を練習しています。
ジーコさんが先日のジュニアで、会長に教わった感性打ちを やろうとし、見事にA´をゲットし、劇的な変化を見せています。 それに続けるように頑張って行きたいですね。 それにしても、麻雀にオデコが関係しているとは 思っても見ませんでした。(橋本)

■2009年5月16日(土) Vol.1076

恐縮です。本離れの皆様方へ。
この春に出版された二冊の本を 担当者の誠が持って来てくれる。
「新上さんからです」
と頂いた小さい本は、 俺の恩人である鍵山秀三郎相談役(著)の
「人生の作法」「仕事の作法」
どうでもいいけど出版元はPHP(笑) 普段、道場で心構え、体使い等を導いている俺でも 1ページ目から読み進めるごとに
「俺はやってない」 「俺にゃ到底出来てない」
と、読みが止まる。
さぁーと読めば、すーと読めてしまう 素晴らしい内容なんだが、
「出来てねぇ」俺じゃ反省 と自己嫌悪でストップしてしまう。
言うこととやることはまさに忠実にこなして 習慣づけられている相談役のお姿は百も承知していても、 相談役が「これだよ」とやってこられたことを 俺なんて少々しかやって来ていない。
少々読んで止まって、 又少々読んでやっと半分まで進んでいるが、 相談役がやってらっしゃることは 今までもやってないし、これからもとても出来まい。
「器が違うだよ」と言われれば、 「そうですね」 と納得する以外ない。
出だしから
「自分の贅沢のために浪費しない」 「できるだけ自分以外のことにお金を使う」 「少しでも社会をよくするために使う」 「間違っても、私や家族が贅沢な生活をするために  お金を使うことはありません」 「いつも心掛けているのは個人的な欲望でなく、  志高く生きている人の手助けになるようなお金の使い方です」
と並び綴られている。 これだけで俺なんか後ろめたさを感じずにいられない。
俺なんて到底そのレベルに届かないんだが、 道場生でも、橋本なんか10数年そばで見ているが、 それに近い生活感を持っていて、何時もこいつにゃ勝てない。 こういう若者と伴に暮らせている己に感謝心が起きる。
遠くに相談役がいて、そばに橋本がいる。 おまえ、ちったぁ学べよと差し出された御縁なんだよなー。

          雀鬼




まさか鍵山相談役のことを書かれた会長の文章の中に 自分のことが出てくるとは・・・ 恐縮すべき所かもしれませんが、 正直、素直にすんごくうれしかったです。 ただ、自分では全く身に覚えも自覚もありません(笑) 単に自分はホームレスなだけなんじゃないでしょうか。 いざという時に本性がバレちゃうかもしれませんが、 鍵山相談役と会長に恥かしくないようにしていたいです。(橋本)

■2009年5月15日(金) Vol.1075

「おめでとうございます」
と、講談社の丸木局長から一報が入る。 ここんところ忘れていたあの本が 10万部を突破したという。
「いや、おめでとう」
と、こちら側から返すんだが、
「凄いですよ」
と言われても、実感どころかまさに他人事。 「おめでとう」「凄いです」って言われても 全くピーンとこない。
次電で担当の高木くんからも同じ言葉が飛んでくる。
「凄いって何が?」
と問うと、 本ってぇ年間6万部出版されるんだってさぁ。 その中でこの時世10万部を超えるのは
「ざぁーと計算して0.2%弱ぐらいです」 「そうなんだ。それにしてもあんな本、  何で売れたんだろうねぇ」 「会長のお力ですよ」
それでないことだけは俺にでも理解できる(笑)
本もそうなんだが、俺ってほとんど力も入れない。 どちらかと言えば遊びながら進めている。 ただ、出版元には迷惑だけは掛けたくねぇなーとは思っている。
あの本だが、もう一回読んでみなけりゃいけねぇな(笑) タイトルと中味が違う本をな。

          雀鬼




10万部がどういうことなのか分からなかったですが、 0.2%と聞いて「おぉー!」と思いました。
出版関係のいろいろな方が仕事で道場にいらっしゃりますが、 会長と触れ合えて、楽しんで帰る方が多いです。(橋本)

■2009年5月14日(木)その2 Vol.1074

昔、昔、その昔、 「伝説の雀鬼」を書いて下さった 柳橋先生が取材に来てくれるという。 その時間に道場にやって来ると、 「ふくろう」のように小さく固まった先生が 薄目を開けて待っててくれる。 お宿からここまで来るだけで全ての体力を使われた様子。 今にも倒れそうな柳橋先生のお身体だけが心配。 先生は心残りである俺の作品を完成したいらしい。 そのお気持ちだけはありがたく、黙っていても伝わって来る。 担当の竹書房の誠が真ん中に入って通訳をしながらも、 つながらない中で取材をする先生のお耳を思って、 俺も何時の何倍ものでかい声で応答する。 明日が先生の誕生日ということで、 75才になられた先生を道場生等で祝う。 「私より500才年上が織田信長なんですよ」 と先生。 道場生は訳も分からず笑いながら聞いてくれている。 それでも取材は3時間になり、今にも先生が倒れそう。 取材が始まった頃、今川が何時のように立川の先から 道場で一打を打ち重ねるために通って来てくれている。 「今川、悪いんだけど、  先生も帰りがそっちの方だから送ってくれるかい」 俺の願いを気持ちよーく、嬉しそうに 「ハイ!」 と一言。 それから何時終えるか分からん取材を 卓にも着かずに今川は立って待っててくれる。 歩くこともおぼつかない先生を スタッフが介護役に回って車まで御案内。 先生も心一つでやって来て下さったんだろうが、 道場生の今川は立川の先までトンボ返しさせちゃった。 今川には本当スマンことしちゃいました。 俺の本の完成なんてどうでもいいんだが、 先生のお身体や今川の心遣いだけは記しておこう。

          雀鬼




なかなか自然に自分の都合や損得なく動けませんが、 今川さんのような存在があると 僕達もそう在ろうとする気持ちを持たせてもらえます。 いろいろな人がいて、良い影響を与えられる時も 悪い影響を与えてしまう時もありますが、 良いも悪いも学びとし、意味を残す道場は ホントおもしろく、すごいなと感じます。(橋本)

■2009年5月14日(木) Vol.1073

今方式の雀鬼会本戦では、 「卓上評価点」があって、 自分のことだけでなく、 打ってくれる周りの者達の調子や姿にも関心が増してきている。

大昔の暮らしや、 先住民族の方々のように獲って来たものは集族皆んなの物。
農耕民族から発生した蓄えて一部分の者達が豊かになる、 今日日の有り方のもっと戻った所へ、 雀鬼会は行っちゃっている。

雀鬼会は日々変化をもたらしているが、 進歩どころか後退していると言った方が的を射ている。 選抜やJrの選手の席に座ったとしても安全は無い(笑) その下のリザーブリーグといった初心者の集まりがあって、 のろのろとしていればその席が突如変えられてしまう。
全て決定している治まりでなく、 定まらない中で行われている。 固定観念というか、 定まりを求めてしまうことから 不自然が感じるんだよな。 とにかく皆しておもしろくやって 行ければそれがいい。ねぇ花ちゃん。

          雀鬼




写真はJr.リーグの評価点 発表シーン。

自分も昔はみんなの為に打つとかは、 頭ではわかっていても正直ピンときてなかったのですが、 今期になって自分の固い頭でもようやく心からわかってきた気がします。 みんなで作る卓上評価点、本当に面白いです。(ジーコ)

会長の、その場を面白くするための工夫というか、 気付きには、いつも驚かされます。 一見、関係無い様な方向や、一見厳しくなりそうな事でも、 ちょっとした工夫、意識の持って行き方で、俄然楽しくなってしまいます。 それはもう完全にマニュアルでなく、全体を見て感性を働かせ、 ひょいっという瞬間に出て来ます。 あまりに何気なくやられるので僕らはついていく だけになりがちですが、是非見習って自分らも出来る様に なりたいところです。(花岡)

■2009年5月12日(火)その2 Vol.1072

俺のやりたかない仕事を 引き受けるようになってしまった。
長年のお付き合いをさせて頂いている、
「賢い身体、バカな身体」
の共著で俺は楽をして お一人で大変な御苦労をかけてしまった。
古武術家であり、 今や文化人の領域まで登ってしまった、
甲野善紀先生と九州は八幡の方で 講演をする次第となってしまった。
甲野先生にとっちゃお手のもんの範疇なんだろうけんど、 遊びの旅しか行きたがらない俺にとって、 外まで出てやる仕事はどうもやりたかない。
甲野先生は今や大学の講師をなさったり、 今もフランスまで文化なんたらの集まりで招かれてお仕事中。
まさに甲野さんは先生を日々重ねて おられるんですからOKなんですが、 こちとらと来たら、たかが雀荘のオヤジ、
どう考えたって、 不釣合いな関係を承知で引っ張り 込んじゃった要因は主催者側にあるんだから、 その日どうなるかなんて正直 知ったことじゃありませんったら(笑)
賢い方は甲野先生に全てお任せして、 俺は馬鹿な方を引き受ける以外に道はない(笑)
一部では一般の方もOKらしいので、 俺のバカ振りを見たい方は、 どうぞ遊びに来て下さいやし。

          雀鬼




なんと会長と甲野先生のご講演が九州で開催される予定となっております。
公開対談型講演会 日時 7月4日(土)14:30〜16:30講演予定 場所 福岡市中央区天神 イムズホール (400名収容)
今の所、全て予定となっておりますが、 九州在住、近辺の方々はこの機会に是非と思います。 その他詳しい事はHPの続報をお待ち下さい。 よろしくお願い致します。

 

■2009年5月12日(火) Vol.1071

今期の雀鬼会は面白い。 牌さばきの無駄の無い美しさを求める体構えへ、 一打を決断する潔さを見せる心構えを持ってして、 打ち合う選手達に「評価点」がつく。
良く打てたなで、AからA'、 まあまあ打てたなでB、 少しなーでB'に落ちて、 全くダメでC。
選手ならば最低B評価を重ねれば合格点の領域に入る。 何戦まで試合が行われるかは今だ未定だが、 選手達は「打てた」という領域を目標に日々鍛錬している。 もちろん俺からの指導もその部分が濃くなる。

雀鬼会本戦で最も高く評価されるのが、
「個人評価点のポイント」
二番目に存在感を示す為の打数があり、 三番目に四人が打って、共鳴、共感、一体感、 卓上に清い流れや緊迫感を作り出させる、 四人の合計評価点が重要視されるが、 打ち合えるメンツは抽選で決められることで、 多少の運が入り込む。

唯一の選抜エントリー選手である、 金村尚紀と打つことを誰しもが願う。 彼の打ち筋に合わせられれば、 普段以上の打ち筋を残せる可能性が拡がるからだ。 俺もそうだが、本気でやる気がある者達の中で、 このラインを掴もうと狙っている。
四番五番と過ぎてやっとこ勝った敗けたという、 得点の差異が出てくる。 今や雀鬼会では世間では最も大切とされる得点上の、 勝った、敗けたは忘れられるほど、 意味を持たなくなっている。

先年、「牌離」を感じていた俺だったが、 今や雀鬼会という環境もそうなりつつある。 昔それなりに打てる者達に向かって、
「お前等はどうせかっこよく勝つなんて到底無理だから、  せめて卓上に向かったらかっこよく敗けてみろよ」
と導いたことがある。

得点上の価値には、 ほとんど正義は見当たらないもんなんです。

          雀鬼




今の雀鬼会は本当に勝った、負けたの得点が関係無く、 試合が終わっても評価点の話しばかりです。 得点は何日か経って、 そういえば誰が勝ったんだっけなーという程度の扱いです。 結果を求めず、みんなで内容を求める、 こんな事を本当にやっている、出来ているのは、 世の中でも雀鬼会だけだと思いますよ。(ジーコ)

肝心の選抜選手選出の時も、 いわゆる得点による順位表は見あたらなかったですね(笑 町田で発表があって、下北に戻ってから 「そういえば誰が予選優勝したんだけって?」感じでした。 とにかく、1試合終わっても、次は誰と当たるんだ? 何点位とれそうだ?と大変。 自分と当たる方々大変ですが、よろしくお願いしまっす!(花岡)


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