■2009年4月11日(土) Vol.1050
男の子の孫が初節句を迎える。
武者人形かよろいでも祝ってあげようかと、
毎度おなじみの人形店に出かける。
「大きいのより小さめの方が・・・」
ならばこんなとこかと選んでやるが、
海外留学が長かった娘夫婦は
あまり興味がないらしい。
お父さんの五月人形を譲り受けるから・・・、
という話にまとまる。
進駐軍のそれなりの人や
骨董品屋さんが買い付けに来た折りも、
母親はその人形を手離さなかったほどの年代もの。
母親から俺へ、俺から娘の孫へと伝えられて、
俺よりずーっと後まで残り伝わって行く。
昨日は俺のお気に入りだった男の子の孫が入園式。
行ける時に行ってやるかと、
徹夜して朝を迎える。
ところが、
付き添いは二名様までだと!!
徹夜でその気になっていた俺が行けない。
園の方式かどうか知んねぇが、
つまらん社会になったもんだよな。
昔、我が子を連れて外に出ると、
俺の心身は何ものからでも守ってやるために、
最強のガードマンに変身した。
今日も孫を連れ、
その時の血が騒ぐのを感じていた。
入園式から帰って来た孫を
「おいで」と和室に伴なう。
仏壇の前に二人して正座をする。
「おじいちゃんの一番大切なジージのお母さんに、
温舟が大きくなれたことのお礼を言おうね」
男と男の子たった二人で、
静かにじっと頭を下げる。
初夏のように暖かくなった外を散歩して、
早目に道場に着く。
そこにも俺のお気に入りの男の道場生達が、
下北から名古屋からと集って来てくれていた。
奥の片隅のテーブルに座って、
道場生達、一人一人の顔を確認する。
多田もしげるも川原もいる。
沓掛も小鉄も恒もチャッペも歌田もヤンマーもいる。
毎日見ている顔が今日も見れるだけ。
それだけなのに、
俺にとってはこういう光景が生きがいに通じている。
俺も男、男から男へ、
俺が選んだお気に入りの在り方を
過ごさせて頂いている。
女、おんなは、
めんどくせぇかも知んねぇなー(笑)
雀鬼
■2009年4月9日(木) Vol.1049
陽気が急に変わったせいか体調が良かなかった。
ギリギリまで待ってタクシーを呼んで道場へ。
そこにはずーと体調を崩されたままの柳橋 史先生が、
久方振りの顔をして待っててくれた。
御齢75才を迎えた先生が
東京の端から俺に逢いにやって来てくれる。
「お元気そうですね」とは一目見てもとても言えない。
23年も前に講談社から
俺の自伝である「伝説の雀鬼」を
2年間を越す取材の上、
世に生み出して下さったのが柳橋先生。
それ以前に雑誌で取材を受けた折に
先生との出逢いがあり、
先生のお力添えがあって
鬼が世間に一歩踏み出した古い縁があった。
「伝説の雀鬼」があって「ショーイチ」が生まれ、
Vシネマの「雀鬼」の映像も25本も撮ることが出来た。
俺の方から先生の所へ出向けばいいものが、
腰痛や足を痛めた先生が逢いに来てくれる。
少々話をしたが、耳も口も不自由な様子。
何時ならボソッと話す俺が声を荒げて話している。
柳橋先生のお心の中に、雀鬼誕生に立ち会った者として
「それからの雀鬼」という結末をも示したいらしい。
先生が25年程前に取材した頃は、
俺の心身はカミソリのように鋭い刃を持っていた。
それから25年も経った今の俺からは、
刃も牙もかみ切ってすり切れ、失いつつある。
風のようにも成れずに、それなりの年を重ね続けて、
失ったものを顧みず、残った少々のもので
出来ることをやってればいいと思う自分がいた。
俺の日常の生活環境は、幼き者や
若者達とのふれ合いの中で過ごさせて頂いている。
それって凄ぇいい環境であると思わずにいられない
今日この頃である。
雀鬼
■2009年4月7日(火)その2 Vol.1048
66日間でチャッペが鬼打ち1000打数を達成。
これで連続133週連続100UPの大記録も達成。
この時、俺がチャッペから18000点和了ってチャッペが箱点終了。
俺も町田の道場生も、誰もその記録のことを忘れ去っていた。
偉業が単なる半荘の一回で終わっただけ。
久し経って、下北道場から連絡が入って、
やっと分かった状態で終わる。
毎度ぶっち切りの断トツを突っ走るチャッペだったが、
確かに今期は陽太、しげる、花ちゃんの下北クールが
先に頂に登っていた。
てぇ言うことで、チャッペの存在すら忘れ去られちゃっていた。
先日下北道場で試合があって出掛ける。
試合は、しげる、シャボ、緒方と小島でオールA'の
16Pを上げて合格。
明るくなって良いはずなのに、
試合が終わった雰囲気が厳しさに負けて暗い。
「川原、笑え!!
ずーっと笑ってないとぶっ飛ばすぞ!!」
それから俺が帰るまで川原先生は大口を開けて、
馬鹿笑いを連続してくれる。
同卓している横山が、こいつ馬鹿か、と
ムーとして打っている。
「同じアホなら笑わにゃソンソン」
俺も川原の笑いのファイトで仲間に入れてもらう。
賢い大人である横山も花ちゃんも笑っていられない。
利口じゃなきゃ、世間や仲間に馬鹿にされるのが社会人。
多田大先輩がカレーを頼む。
出てきた傍から、小鉄と恒と理絵ちゃんで横取りして食っちまう。
二度目も同じこと。
「お代は多田さん払い」
こんな理不尽なことを社会でしたら、マナー、礼儀違反。
バーッと荒らしてとっとと帰ってきた。
川原お疲れ(笑)
雀鬼
「川原、暗いぞ。笑え。」
「おい 暗いぞ。ぶっとばすぞ」 ということで
必死に笑い始めましたが、不思議な事に
本当に楽しくなってきて、ほとんど素で笑ってました。
「面白い」ことに笑い、
「変ダョオカシイよ」ということにも笑い、
ホントに力の抜けたいい気持ちになれました。
会長、ありがとうございました!(川原)
■2009年4月7日(火) Vol.1047
雀鬼会本戦の予選も
今週で終えなければならない。
終わるでなくて
終えなければならないんだよ。
と言うことは、
今期の予選に意味あるおもしろい期間を
皆して作り上げてくれたことで、
「このままずーとやっていたいなー」
と思えるほど未練が残る。
惚れた可愛い女の子と少しの間
逢えなくなった状況に似ている(笑)
今日日まで女性には星の数ほど
惚れられたことがあったとしても、
俺の方から惚れるという感覚は思い出にない。
何をかっこつけやがって、
うぬぼれるんじゃねぇ、
嘘ばっかつくなってか。
そりゃそうだ、
男っていうもんはそんなもんなんだよ(笑)
まぁまぁそれはさておき、
「今期の予選は充実していたし、
一番やっていておもしろかったことだけは事実です」
町田も下北も金村をトップにして
強い者と弱いもの、打てないダメな子達も混ってごった煮。
世間じゃ勝ちたいが優先されれば、
自分よりあきらかに弱い者と打った方が
勝つ確率が上がって嬉しいですっていうところだろうが、
雀鬼会では、どうせ打つなら打てる人、
強くてしっかりしている者同士で
打ち合うことの方がずーと楽しいんだが、
町田も下北も予選の組み合わせで打つメンツが大きく変化する。
この方式でやると、従来なら俺が直に指導したり、
面倒を見るのは選抜のトップクラスが重点。
その下のJrクラスになると
選抜の選手達が俺に教わったことを伝える。
それ以下の選手達には俺からの手ほどきは
まだまだ早いよっていうのがあったんだが、
この方式だと上から下まで全員
俺が目の届くところで試合をして評価を受け、
悪い部分を直接指導してあげられることが増大した。
普通、麻雀は勝てばいいという
結果の得点の良否を競う。
それを覆して雀鬼会では
どれだけしっかり心構えと体構えが出来たかという、
打てた評価点が重要視され続けてきた。
得点より評価点を価値付ける。
得点評価なら終わった後に誰だって優劣が分かり易い。
評価点となると、導く側が余程勝負の中の仕草や
精神性を感じ取れないと務まらない。
だから正直言って、
それが出来る人は麻雀界には皆無ということで、
真似てやっても決して出来るもんじゃないことは断言出来る。
そして今期から強い者、弱い者が混ったメンツ四人で
起こした、生んだ共同作業の卓評価点も出来た。
麻雀という個人の競いが初めて
四人で成すという公の内容が残る。
「みんなでさぁー、少しずつでも良くなろうなー」
が麻雀を通して初めて浮き上がってきた。
21年経って終わりを見せ始めた頃に、
俺がやりたかったことが少しだけ見えてきた。
「競走やってみんなが良くなる」
これが出来れば勝負の本質だろう。
そんな予選も今週で終えて、
新たなる選抜、Jr選手を選択して、
本戦の舞台が次に待っている。
拡がりが限界の姿と化す。
今期参加した全選手達に
先ずお礼を述べ、感謝心を伝えたい。
雀鬼
写真は脇が開いている悪い例を示す会長。
町田ではもちろん、下北沢でもいらっしゃるたびに、
下のレベルのモノ達にも熱心に指導してくださいます。
体構え(基本動作)、心構えを、
審判、会長が評価する評価点(A評価=5点,A'=4,B=3,B'=1,C=0)。
もちろんその日の勝ち負け、点棒には一切関係ありません。
B評価が一応の合格点で、それ以下は残念まだまだだよとなり、
それ以上は頑張ったねとなります。
さらにその評価点を1卓(4人)分の合計が卓評価点とされます。
つまり、その日の試合で自分は基本動作等が悪くC評価(0点)で
あっても、卓評価が12点とかなら嬉しい結果となり、
逆に自分だけが良くても卓評価点が悪ければ悔しい結果となります。
さらにそれらを1回戦2回戦3回戦と合計していくことで、
意外な選手の卓評価合計が良かったりして、また面白くやる気がでます。
そして、次の対戦は誰々なので、どうなるかなぁと、
他の選手に今まで以上に関心が出る効果があり、
それも楽しみな結果になっています。(花岡)
会長に声を掛けて頂いたり、
教えて頂けた時はホントうれしいですもんね。
特に下北の下の子は、
町田の子以上にうれしいんじゃないでしょうか!?
ダメでも打てなくても、
やってみた人にしか味わえないものが
それぞれにあったんじゃないかと思います。
選抜、Jrがどうなるかわかりませんが、
この後もまたいろいろな場面で参加して
みんなで楽しめたら良いですね。(橋本)
■2009年4月4日(土)その2 Vol.1046
はるなの花ちゃん、
俺って本当に馬鹿な大人なんだよなー。
「そうでしょう、分かります」
なんておっしゃって下さらなくとも、
はっきり自覚しております。
花ちゃんやしげる達が身を粉にして
道場を守って下さっている裏でさぁ、
俺がいる町田道場は深夜に何をしてたと思いますか、
そりゃ俺も馬鹿丸出しですがねェー。
一流大学を出た社会人となった小鉄がさあ、
必死になって、パチンパチンとメンコを床に張る。
賢いジーコは余りに幼すぎて興味を示さなかったが、
恒やチャッペも高野もそこにいた連中が皆んな参加して、
ぺシッ、パシッとメンコを張るが、
麻雀と一緒で基本動作が悪いと中々メンコは起きない。
メンコを麻雀牌を持つ時と同じように、
目一杯力を入れて持つ者は、
風の流れを作れない。
「そうじゃねえよ、こうだ」
と俺が手を出すと、勢い良く軽くメンコが
飛び上がったり引っくり返ったりする。
気付くとだよ、
明日も仕事や試合があるのに午前3時を迎えそう。
深夜にだよ、たかがだよ、
メンコなんてやっている社会人ってどこに居ますか、
居ねえよな、居るわけもない。
「それがねえ、花ちゃん」
町田という中途半端な町にゃ、
10人以上で夜中に出来もしねえ
メンコを打ってんだよー。
全く馬鹿だよなー。
今川も女の子なのに付き合うは、
小鉄なんてあくる日、
アッチコッチが筋肉痛だっていうんだから、
まっこと阿呆だろう(笑)
花ちゃんが、
「会長HPって世界中に発信されるんですから」
とお嘆きの事とは察していますが、
馬鹿で阿呆で生まれた俺ですから、
まだまだ続きそう。
この原稿チェックして、
余りの恥さらしと受け止めなさったら、
遠慮せずボツにしてやって下さいませ。
雀鬼
簡単に見えて意外と難しいメンコ、
自分も下手で中々出来なかったんですが、
これが引っくり返せた時はメチャクチャ嬉しかったです。
感覚や身体使いと言いますか、子供の遊びは奥が深いです。(ジーコ)
えっええ〜今日もですかぁまったく・・・・う、うらやましい…(^_^)
会長は勿論別格として誰が強いんでしょうね。
ちょっと興味があります。
下北の床は絨毯なのでまた違うかもしれませんが、
明日の試合が終わったら買いに行きたいっす。(花岡)
■2009年4月4日(土) Vol.1045
料理の味付けにも、
濃い薄いがあり、
遺伝や環境の有り方や
体調によっても、好みが変わる。
俺の中にも人間関係を保つ濃さと薄さがある。
親族や子供や孫達の中でも
その味は違っている。
濃いものに情が移入される度合いも、
ほぼ比例することも見掛ける。
男女の赤い糸とか友達という有り方も
濃さや薄さで選択されていることも多い。
俺にとって道場は21年間
切っても切れない濃い存在だった。
そこに集まった者、そこを去った者も
数万という人間の縁があった。
10年前に濃かった者が、
俺の中で消えてしまうほど
薄れ去って行ったものもある。
今も道場を大切に思って
存在して来れる者達とは、
そこに居なきゃならないという
関係を保っている者達が何人もいる。
下北本部の多田という古者も長い継続価値を保たせる。
高槻に城を持った山田英樹も俺の死に水に値する男。
今期も下北道場では金村、しげる、花岡、陽太等が
濃い色合いを残している。
それに準ずる川原やシャボ、金子、吉田達の色合いも濃い。
町田道場でもキノコ荘の
住人と伴に歌田ドライバー、
ヤンマー、古島、沓掛という
年代者に、紅二点の今川、理絵との関係は、
仲間意識を保てるほどの濃い
色合いを作ってくれている。
佐々木丸や清川、高野も厳しくても
楽しい空間作りの作業に参加してくれている。
週末、静岡の遠い地から
やって来てくれるBIGの週末の色があり、
清水ドクターとも公私に
渡って濃い関係を保っている。
名古屋色を輝かした竹田もいる。
竹田のおかげで名古屋勢との縁も濃くなった。
立場上、昔は俺と下北の繋がりは深く濃かったが、
今は俺が町田に現れやすい環境ということで、
下北より町田に濃さを感じている。
俺が生まれ育った下北、
町並みだけ見れば町田の100倍も、
俺の好みに合っているんだが、
時と伴に変化があるんですよね。
雀鬼
■2009年4月3日(金)その3 Vol.1044
コンビニに寄ったらメンコが目に入り二袋を買って来る。
武者絵に混じって、
俺が子供の頃のヒーローだった、
丹下左膳や鞍馬天狗や、
羅生門の鬼退治の源頼光、地雷也等の絵柄が見れる。
恒、小鉄、ヤンマー、沓掛等と、
道場の席でメンコを打つ。
昔の角メンは一枚紙で、
本勝負が出来るメンコだったのが、
今のメンコは四枚位の紙が貼り付けられた厚メンの飾り物。
皆んなも子供の頃、多少遊んだことがあるらしいが、
メンコを扱う所作が素人っぽい。
男の子にとってメンコは、
遊び道具の一種だったのが普通なんだろうが、
俺にとってのメンコは楽しみを全て賭けた勝負事。
敗けたら明日から遊べない。
身体を賭けた勝負ものだった。
スピードと的を射る、
微少な隙間を感じて打ち切って、
風を起こしてメンコをおこす(裏返しにする)
俺の今の勝負の原点がメンコに詰まっている。
近所の仲間内で勝負して少々遠めの町まで、
勝負打ちに出向く。
一打必勝のメンコおこし。
周りではメンコの名人として名が通っていた(笑)
陽が暮れるまで勝負して勝ち取って来たメンコを、
リンゴ箱にきちんと並べて、
二階にあった物干し小屋の中に、
何箱も積み重ねた思い出がある。
道場で五分ほどやっただけで皆して、
あっちこっち身体を痛がっている。
それを俺達子供の頃は、
朝から晩までやり続けていたのだから、
子供のエネルギーは大したもんだ(笑)
冬は右手と左足の太ももが真っ赤に打ち腫れて、
血がにじり出ていても、
次の日も痛みを忘れて勝負したものでした。
俺の子供の頃の楽しみは、
親や大人を一切頼らず、
自分で見つけて工夫して、
自分が作らねばならない背景があった。
たかが遊び、それもメンコだが、
俺の人生の原点がそこから始まって、今に至っている。
メンコがなかったら、
雀鬼と言われる俺の存在は生まれなかったことだけは確実である。
我が家の畳が擦り切れるほど鍛錬して、
土の上で勝負。
相手が誰であれ、
敗けられない遊びがあったのです。
雀鬼
会長のメンコの猛者ぶりは有名です。
大人から見れば遊びでも、子供にとっては真剣勝負、
会長は子供の頃から勝負事は異常に強かっただろうと思います。
メンコも麻雀も基本動作が大切ということで意外と共通点も多いようです。
会長の強さの秘密、原点はメンコにあり!? (ジーコ)
なかなか迫力が伝わってくる写真、ありがとうございます!
自分はベーゴマはやった覚えがありますが、
真剣にメンコをやった記憶はありません。
微少な隙間を感じとる。見えないモノを見る力を感じます。(花岡)
■2009年4月3日(金)その2 Vol.1043
「お父さん、桜を見に行きましょうよ」
と嫁から声が掛かる。
我が家の裏道にも桜の木の遊歩道がある。
「お父さんがきっと気に入る桜が見れるんです」
「ならば道場へ行く前にちょっとだけな」
俺が出ると決めただけで、
他の子供が孫達を連れてやって来る。
その桜、確かに見事だった。
いくつかの桜並木を越えたところの民家に、
天に放つ夏の花火のようにライトアップされた、
枝垂紅桜が夜空をピンクに染めている。
そこの住人である方の好意で民家の庭にまで、
入れて頂いて見る事が出来る。
樹齢39年高さ11m、半径20mを越す枝垂桜が、
地まではって咲きほこる。
住人の方に聞くところ、
例年2週間程度で散るらしいが、
今年は寒さの影響か一週間延長して俺が行くまで待っててくれた。
「今年も明日までですよ」
嫁の好意が俺を間に合わしてくれる。
枝垂紅桜も美しかったが、
庭の古木に目がとられる。
梅の実が小さく芽吹いている。
樹齢1200年の梅の古木が人知れず、
仙人のように静かに身をひそめていた。
ずーっと先には竹林すらも見れる。
桜に梅に竹林、
いいもんを見させて頂いた。
雀鬼
何年か前に道場生一同もご一緒させていただいたことの
ある、ご自宅裏の桜の遊歩道。
その後みんなでお風呂に行ったのも懐かしいです。(花岡)
■2009年4月3日(金) Vol.1042
キノコ荘の住人であるチャッペさんをお送りしたついでに、
深夜だったが今川と理絵とで、
ちょっくらとお邪魔する。
昔そこへ伺った時は、
余りにも汚くて土足のまま上がり込んだキノコ荘。
入ったそばのキッチンの板の間に、
新入りの小鉄の薄くて寒々しい布団が敷いてある。
部屋とは言えない場所が小鉄の棲家。
まるで中国人か東南アジアの人達の出稼ぎ部屋だ。
俺は一人暮らしの体験が一度もない。
男同士の同居も体験してない。
小鉄部屋の奥の左側の部屋を覗く。
小型の冷蔵庫があったりそれなりの生活用品が、
残す畳を囲んで所狭しと置いてある。
久し経って隣の部屋の住人の姿を覗く。
恒ちゃんが近代麻雀の俺のコラムを広げて、
眠りについていたんだが、
俺を感じて飛び起きる。
寝ぼけ野郎とは恒ちゃんを指す(笑)
どこの部屋にも何枚ものトランクスが干してある。
皆んなの洗濯はチャッペがやってくれてるらしい。
そこに、恒ちゃんが住み着いてチャッペが同居して、
部屋が無いのに小鉄までそこへ、
仕事こそ別々だが、
道場でも寝る時も三人は伴にしている。
ある意味そんな生活を羨ましがっている俺がいた。
それにしても小鉄の布団がなー。
月例会賞品に布団を出すことから始めようと、
今川と目を合わす(笑)
お水一杯出なかったが久し振りに生活感を見せてもらいました。
雀鬼
昔々、部屋にキノコが生えたことからキノコ荘。
今風に言えばルームシェアなんですが、そんな風にはとても思えません。
三人の男が半ば無理矢理同居するキノコ荘、
実は雀鬼会本部はキノコ荘という話しもある位スゴイ所なんです。
まだまだ一緒に住みたい人を募集中ですが、
4人目に住む人はベランダか玄関が部屋となってしまう予定です。(ジーコ)
■2009年4月1日(水) Vol.1041
「我が輩は雀荘のオヤジでもある」
たかが、しがない場末の小さな小屋の中で
商いをしている。
授かる高も小銭の100円玉。
「我が輩は雀荘のあるじでもあるが」
何でか、今まで何10冊という麻雀以外の書籍を
世に出させて頂いて来た。
普通はこういう依頼があるはずがないのが雀荘。
今日も講談社から出版された、
賢い身体バカな身体(甲野善紀氏と共著)
運に選ばれる〜、人を見抜く技術、と
出版された本の重版の報告が届いている。
「我が輩は雀荘のオヤジでもある」
が不思議な現実が見える。
「我が輩は・・・・」
しつこいか(笑)
それなのに、今月も2社からの出版物が始まるわ、
その裏で俺ものが、熱血ライター神山氏の元で進んでいるらしい。
もう一本もやるかどうかはわからないが、話が来ている。
「我が輩は・・・・・」
いいのかなー、こういう流れで。
学ぶことが幼少の頃より苦手な俺が、
どうしてこういう流れになっちまったんだろう。
話しはすーと変わって、
牌の音という雀荘も21年が経ったばかり。
共に歩いて来た、竹書房の宇佐美殿を始め、
皆さんに祝って頂く。
昨日の事、道場で一番小っこい今川姉さんが急に立ち上がって、
小さい身体と同じ小声で、
「皆さん、ぶつぶつ・・・・」
歌田、小鉄の42回目と30回目ぐらいの誕生日を祝うらしい(笑)
オマケに、近々に生まれた恒ちゃんと金君まで、
ついでにジーコさんまで祝いの仲間に入る。
正直、俺らは自分の誕生日は分かるんだが、
子供や孫や女房の誕生日は全く定まらない。
今川や理絵ちゃんという女の子があってこそ、
道場生達の誕生の日が通達される。
「他の者に関心を抱くんだよ」
と道場生等に教えている割りには、こういったことには
全く関心も、こだわりも持たない。
俺ってやっぱ変ですよね(笑)
ところで、花ちゃんはおいくつ?
知ったこたぁねぇやと申されれば、そうなんですがね(笑)
雀鬼
写真はお祝いがあった、歌田・小鉄・恒・金・ジーコです。
今川さんがブツブツと誰にも聞こえない声でつぶやき、
誕生日のお祝いが始まりましたが、ジーコさんから
バッサリと一言。
「今オーラスなんで、これが終わってからでも良いですか」
えーっ!もう皆準備して止まっているのに!それはないでしょう!
ジーコさんには心は無いんですか!酷過ぎる!!
と皆のブーイングが飛びかう中、しっかり跳満ツモって
トップをまくり、ジーコさんがご機嫌な中、
始まりましたとさ(笑)(ノック)
花も後数日で、44回目位です(笑)。。。
自分も誕生日は昔からあんまりぴんと来ないタイプです。
特に、誕生プレゼントとかは、いいのがあればいいんですが、
無いのに無理に探すのもなぁと思ってしまいます。
その代わりその人に送りたい物を見つけた時は
記念日と関係なく送ったりします。
会長のお誕生日は例年、大物が捕れるので楽しみですが(^_^)y(花岡)