■2008年6月15日(日)その2 Vol.800
ドリーム、会場で小便がしたくなって便所へ向かおうとしたら
ファンに宇野選手がサインをせがまれて通路は通行止め。
宇野くんは逢うと礼儀正しいよい子なんだが、
宇野くんのおかげで小便がもれそう(笑)
会場スタッフの気づきの無さにはあきれちゃった。
青木選手は相手選手を子供扱いで勝ったはいいが、
勝った嬉しさを父親と伴に味わおうと
花道から俺の席を飛び越えて
父親とハグして喜び合うのは、
父の日らしかったんだが、
興奮した青木選手が帰りがけ
俺のヘッドにグローブを当てて去る。
やられっ放していう訳にもいかねえから
この次は俺が勝負する。
慎一、取材の折、対戦要求を申しつけておけよ。
父の日なのに、横浜でジーコとデート、
何か変な1日だったぞ。
パラオ在住の井口優くんから
遊びに来て下さい、サメが待っていますよ
とメールが届く。
やっぱり海がいいよなー。
雀鬼
■2008年6月15日(日) Vol.799
岩手・宮城地方で大きな地震が起きている。
人災があったり、自然災害が起きたり、
良い報せがないですね。
悪どいことや悲し過ぎることが
無差別に起きてしまう社会が格差を作り、貧富を作り、
差別を競争の中で生み出すことで
公平の見せしめのために難事や悲劇が起きるんだろうか。
でもなー、そういう被害ですら、
強いところが助かり、弱いところに起きている。
恐ろしいこと不安なことが次から次へと起きていちゃ、
人間の心なんか壊れたり失ってしまうよな。
梅雨の合間か、天気がすがすがしい。
今日は今から横浜まで、ジーコさんのお伴で、
総合格闘技のドリームのリングを楽しみに行ける。
昨日も試合があった深夜に
一人一人の若者をとっつかまえちゃ
今川オバアチャンと、この本まものの爺ちゃんで、
技を極めてやる。
若くったって、力が余っていたって、
力を出せば出すことで技が入り、極められていく。
一人一人が久し悲鳴を上げちゃ許しを請う(笑)
俺の体調は最悪だったが少し汗をかいて気分が温まった。
いい年こいて、運動はお散歩が通常なんだろうが、
組み合ってさぁーと寝かしてすーと技を極めるのが俺の運動。
もう久らく若ぇのと楽しめそうです。
雀鬼会本戦の方は3回戦まで終わるが
金村1人がオールAで2試合を残して合格ラインを突破。
A'を取れれば御の字、Bを取ってOKライン。
10年選手や選抜選手達でもこのBの壁がきつい。
そのクラスだって、16名中1/3が評価点を取れない。
そんな中、町田の若手新人のひろしと新屋がB評価を取る。
どんなに大きな得点を取るより、
こっちの方が価値があるのが雀鬼流。
下のクラスの新人達はB評価を1回でも取れれば
凄く嬉しいもんなんですよね。
雀鬼
写真中央がBをとった新人のひろし
■2008年6月14日(土)その2 Vol.798
試合が終わってわかったんだけど、
どうりで町田道場に全員集合するわけよ。
明日は雀鬼会のゴットファーザーの日だったんだ(笑)
ちょっと前なら大黒柱、
先頭を走り切る親父らしかったんだけど、
ここんところダメじゃん。
だから父の日なんて忘れていたんだ。
それなりにかっこがついていた頃は、
道場生等に父の日を祝って頂くと
目ん球ん中が熱くなったもんですが、
今年は義理の一個ぐらいに感じてしまう。
それもこれもみんなの気持よりも
俺の生き様ののびしろなんだろうなー。
なんだかんだ言ってもやっぱり 「親方の日」
みたいな祝い日はシンプルだけど嬉しいもんです。
五年前のある一日に
「出世した、名が売れた、何かを得たというよりも
外と内で親父らしくいられたことに嬉しさがあった」
と、述べたことがある。
今でもその気持は変わらないんだが、
身体が段々追いついていけねぇ今日この頃なんです。
俺の周りの若い人達よ、
今年も本当にありがとうね。
雀鬼
こちらこそ、いつもありがとうございます!!(^o^)
万年筆は・・・、すみませんでした。(^_^;)
花岡さんに手取り足取り教えていただき
HP初アップの緒方でした。
■2008年6月14日(土) Vol.797
アルバムを苦労して送らせて頂いた方々から
心ある温かいメールがどんどん届く。
皆さん普段なかなかお逢いする機会がない方
なのでこういうメールって嬉しいよね。
メールを読むことで20周年パーティの会場の
盛り上がりが甦ってきます。
牌の音のパーティでしたが、道場生の他に
一般の方々にも参加していただいたことが
とてもよい型で思い出されます。
今日の町田道場は久し振りに
ピリッとしている。
町田で下北との合同試合があるということで
主だった者達が集合して
卓上に真剣な一打を打ち出している。
こんな感覚久し振りなんですが、
ピリッと来る感覚たまにはいいもんです。
神経や血の流れがピピッと活性化されてくる。
ここんところ町田じゃこんな感覚を作らず
常日頃どうすれば笑える、何すれば楽しい、
そんなんばっか。
たまに下北へ行っても、
なんか気が抜けたコーラだったもんね。
町田の小鉄なんて昨晩は、お前今日から
名前は「学校」って言われて番付名も
「学校」になる。
そこそこの学校の大学院を見事
卒業したことで学校って命名されちゃう。
常識的には認知されることなんでしょうが、
ここでは真逆。(笑)
「点取り虫やいいとこ取りより‘下’っていうこと!?」
と大声で叫ぶ小鉄に向かって
「そりゃそうよ、今までのあだ名の中で
最低ってこと」
と回りから突っ込まれせめられる。
俺も皆も一度学校を通り過ぎたのに
「学校」が最低ランクって
どういう扱いなのかなー。(笑)
雀鬼
こんな写真以前にも見たことあるなぁ(Vol.515とか)
■2008年6月13日(金) Vol.796
ちょいと前までは仕事をやっていても休みはいらなかった。
ところがこの頃、一週間に一度くらい倒れちまう(笑)
雀鬼会もなんもないという日に気が抜けちまう。
目が覚めて起きるんだが、
頭と体がかったるくって動いてくれない。
たいがいが毎日一時間ぐらい待つと
少しずつ動き出すんだけど、
一週間に一度ぐらいは待っても動かずして
又、床に入って寝に入っちまう。
あれほど起きていられた俺が
起きれないことを体験している。
若い頃は二日ぐらい徹夜しても、二時間ぐらい寝て
さぁーとすっきり目が覚めたのに
今は眠るのがヘタで起きるのもダメ。
ヘタとダメって弱いってこと。
日常がそれじゃ話しにならないね。
話しにならない俺なのに、出版本の取材とか
テレビの取材がまだまだやって来る。
来たって、言ったりやったりすることがヘボで
話しにならないのにねぇ(笑)
ちょいと前までは朝食で
すき焼きとかしゃぶしゃぶ食ってたのに
この頃一日腹がすかない。
そろそろ一食ぐらい食べなきゃな。
「橋本さん、源さんの出前お願いします」
雀鬼
「へい、おまちぃ〜!ラーメン源ですぅ〜」
会長ー、源さんきましたぁー!
って ・・・ あ、あれ? あのぉ〜もしもし?げ、源さん?・・・
い、いや ・・・ か、かいちょおぅ???(橋本)
■2008年6月12日(木) Vol.795
北村です。
11日のホームページ見ました。
なんといっても、一日中ず〜〜〜っとパソコンの前で、
プリンターとにらめっこをしていたら、
時々他のこともしたくなります。
鍵山さん、宇佐美さんに喜んで頂けて、
大変うれしく思います。
先日は、林田さんからも、
ご丁寧なお礼状をいただきました。
来週からは、数少ない(?)仕事がある予定なので、
すこしペースが落ちそうですが、
(今は一日15時間プリンターを起動して、
3冊というところ でしょうか)
今週末頃には、HPでご注文いただいた方々の分は
すべて行き渡ると思います。
ながいことお待たせして申し訳ありませんでした。
会長、サインよろしくお願いします。
(会長が南の島に行ってしまえば、
サインが遅れます!!。道場生の方々、
地方の支部の方々、出来るだけはやく仕上げます。
もうしばらくお待ちください)
それにしても会長のサイン、言葉、いいですね!!!
写真をこのようにして頂いて本当に感謝しています。
有り難うございます。
私の運動不足は、夜プールですこし歩くことで解消しています。
なんといってもそれをしないと、パソコンの前でかたまって、
電磁波浴び放題、固まったまま、よその世界に行きかねません。
とにかく、わがエ○ソンは、いまのところ
耐久テストには合格しています。
本当に皆さんには、このアルバムに
興味を持って頂いて感謝しています。
どうも有り難うございます。
北村泰弘
昨年の忘年会で還暦のお祝いの赤いジャージを着て
無邪気に喜ぶ北村先生!!
■2008年6月11日(水) Vol.794
俺の嬉しさをみんなにも
と、20周年のアルバム企画を企てちゃって
北村さんに米の一合でもと思っていたんだが、
俺は忙しさを一つ増やしただけ(笑)
今年はいまだ夏休みが決まってない。
悲しいやねぇ。
海に行って潜れねぇんなら
俺も方向を変えちゃって
秋葉原をうろつきに行っちまおうかな。
液晶テレビすら扱いがわからない俺だから、
電化製品には全く興味がないんだけど、
違った世界があるんだろうか。
世の中どこで何があるかわからん
物騒な時代になったらしく、
街には多くの警察官が見受けられた。
ところで北村さん、アルバムのお礼ということで
鍵山相談役より凄ぇ嬉しいお手紙を頂戴した。
「アルバムを家に持ち帰りまして
何回も繰り返して拝見しました。
何度も見て表紙を閉じると
また開いて見たくなるのですから不思議です・・・・・」
相談役にはまっこと不思議な良縁を頂きましてから
こちらから一方的なお願い事ばかり。
北村さんとの写真展の折りも
わざわざ駆けつけて下さって、
来客の皆さんの前で講演をして頂きましたよね。
物を全く欲しがらない相談役が
北村さんの作ってくれたアルバムを喜んで下さったのなら
なんとまぁ幸いなんでしょうね。
相談役、北村さんと、いい大人の方々と
御縁を持てた俺が一番幸せもんですね。
千葉の板倉から西瓜が届くと
夏が近づいて来るんだよな。
毎年ありがとう。
雀鬼
忙しさを一つ、、、どころか、町田道場はこの状態!!
Vol.792の彼が、もくもくと会長のそばでサインを乾かす、、、
■2008年6月10日(火)その2 Vol.793
今月初めて下北道場へ。
試合があっちゃ仕方がねぇ(笑)
金村大将がずーと下のクラスの
花岡と進藤、成島に胸を貸している。
他の卓の顔ぶれを見ると
打てない子や名前すら分かっちゃいない子が多い。
雀鬼会と来たら猛者ばかりだったが
空気が変って弱っちい子等。
が、少しずつ頑張って、少しでも輝やく姿を
作ってあげればいいんだよね。
今期、新しい型で本戦が始動し、
今まで手が回らなかった
ずーとずーと下の子等の打ち筋も気になって、
直接指導をすることが多くなっている。
町田の方に何冊か北村さんが、
アルバムを作って持って来ているらしい。
ふとそばを見ると、
「諸物価高騰の折り
生活苦でヒーヒー言って
おりますが・・・申込みます。」
というファクスが一枚。
だよねぇ。
この人の御意見が大多数だと思う。
皆さん無理をなさらないでね。
北村さんもこの方もヒーヒーなら
俺はフーフーもんです(笑)
もう一枚 竹書房の宇佐美さんから
「目に見える良さそうな物より
目に見えない『縁と絆』をこれからも大切にしたい。」
追伸で
後日の取材の後に、
「南の国」計画、お願いします。
とある。
だよなぁー。
俺、今出来るなら、暑い国へ行って
海へ潜って、サメに逢いたい・・・んだが、
機内の気圧の変化で耳が
激痛を起こしてしまう問題がある。
でも行きてえな。
青い空と海の夏の中をクルーザーを飛ばしてさあ。
そうすりゃ少しは身体も楽になるのになー。
試合の方は俺がエッチラオッチラやって来たのに、
2卓で8名が打って、金村と緒方だけが試合に参加して、
残りの6名はてんでダメのつまんねぇだった。
麻雀とは一点集中では、何かに囚われてしまう。
「ながら感覚」がなければ、変化に追いついて行けねぇんですよね。
一度に3つ、いや5つか、
それ以上の100や1000ぐらいのことが
卓上で一度に起きてんだもんなー。
雀鬼
海へ潜って、サメに逢いたいんだがなぁ・・・
■2008年6月10日(火) Vol.792
義理と人情をはかりにかけりゃ、
義理が重たい漢の世界てぇのがあるが、
今日日の若いのにはそんなの関係ねぇてえいうもんかもな。
人間として生きりゃ人情も大切だが
男づきあいには受けた縁や結ばれた
絆もあってそこを踏み外さないために
義理というものに、しがみつかなけりゃ
いけねぇこともある。
義理と人情は人の生き様であり、
義務と権利は社会の制度であろう。
雀鬼会でも居る時は雀鬼流だぁ、
仲間だぁなんて熱く語ったり口にするものも
多いがそんな熱さに期待しちゃならねえ。
期待すりゃその先に病理が待っている。
女々しい血が流れている者が置かれた環境で、
俺は男だ、男らしさをみがいたなんてぬかしたって、
少しでも環境が変われば元の血に戻ってしまう。
そういう生き様が無性に好きだというのと
そうならなきゃ、そうみせなきゃじゃ血筋が異なる。
それらしいことを言ってた奴が
スタッフや選手を上がったら
プツンと糸が切れるものもいれば
何かがあれば駆けつけて来るものも、
時間を作って違う型で変化を見せてくれるものもいる。
中にはジーコのように、
四年も家出して出戻ってくれて
以前より本当な絆や縁の大切さを知って
楽しそうに日々をめぐっている者が
見れることが人と人の関係の学びかも知んねぇな。
俺最近強く感じたんだけど
社会に出て何十年も仕事してきて
この男「たった一人」と伴に仕事が
やってこれたことが最高の喜びなんだと気付いた。
今日も彼はもくもくと俺のそばで雑草のごとく、、、、
雀鬼
■2008年6月9日(月)その2 Vol.791
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【選手紹介:その34】
【町田:北村泰弘】
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此処は選手紹介の場だと思っていたら、
[なまけもの]も紹介してくれるらしい。
まず、牌の音に行くきっかけは、仕事でした。
1997年11月18日だと思っているのですが、
今となってははっきりしません。
3日程前に、某雑誌の編集長から呼び出しがあり、
「今度、桜井章一という人の連載が始まるから
写真を撮ってください。」
といわれた。
「それは何者?」
「麻雀で、20年間無敗といわれている人。」
「プロか?」
「裏プロ。」
「今も現役でやってるのか?」
「もう引退した。」
「今何をやってる人?」
「麻雀荘の経営とかいろいろ。」
「お店で撮るのか?」
「とりあえず最初は、お店で会うけれど、
それ以降は、4ページで展開するので、
いろいろな場面を撮って欲しい。」
「だけど、雀荘の経営者だったら、
いろいろなところうろうろせんわな〜?
まあ行って考えてみます。」
ということで、下北沢に行った。
約束の10分前に行ったら、
もう会長が来られていて、挨拶をさせて頂いた。
最初の印象、
『カリスマがある。姿勢がいい。
男前。カッコいい。負けた〜』
待ち席に行って、カメラの用意をしていたら、
会長が横に来て、
「おまえ、いい顔してるから
俺が写真を撮ってやるよ。」
「いえ、それでは仕事になりません。
あの〜これから毎月一回いろいろな場面で
写真を撮らせて頂くことになると思います。」
「え〜毎月一回もか〜?」
「すみません」
等々話をしているうちに、
編集者とライターが来て、
今はなき《リマ》で取材と相成った。
なぜか、宇佐美さんもいる。
『このはげは誰だろう、まあいいか。』
1時間ほどの取材中、
もう夢中になって写真を撮っていた。
『顔だけで4ページもつな〜』
なんて考えながら、いろいろな話をきいていた。
『この人すごい・・・・・全部正直に、
真っ正面から、自分まですべてさらけ出してしゃべってる、
こんな人はじめてみた。
この人とはまっすぐに、誠実に、
正直につき合わなければならない。』
これが、会長と会った時の第一印象です。
それから、町田の雀鬼会選抜決勝の撮影、
順位戦の撮影、等しているうちに、
この麻雀、きれい、潔い、やりたい、と思った。
それから初めて、仕事以外で町田に行った。
案の定、
「今日は会長の取材があるのか?」
と聞かれた。
「いや、麻雀がしたいんです。」
「出来るかな〜??」なんて調子ではじめてみた。
なかなかうまく打てないのだけれど、
面白くて、面白くて・・・・。
それまで、友達と週に一回くらいのペースで
やっていたのだけれど、勝って帰った時でも、
女房が、「今日は負けたでしょう。」等と
言うくらいつまらなそうにしていたようだ。
もう面白くなかったんです。
50近くになってから初めて麻雀に出会った、
今までしていた麻雀はなんだ〜〜。
という気持ちでした。
それから、宇佐美さんとの酒の上での
麻雀談義から始まった番外リーグを何期かやった。
(何期だったか忘れた。)その頃には一期700打数という
今から思えば信じられないくらいの打数も打ったことがある。
もう雀鬼流麻雀にのめり込んだのです。
(おまえのは雀鬼流麻雀じゃないといわれれば
それまでなのですが)それから10年あまり、
会長の周りをうろうろしているのですが、
これがなかなか楽しい。
何が?ということはないのですが、
とにかく会長と一緒にいると楽しくなってくる・・・・
気がつくと、文章もだいぶすすんでいる。
よく読み返してみると、昔のことばかり・・・・。
これも年齢のせいでしょうか?
「ごめんなさい」もう未来については
何も思い浮かばないようです。
このままずーっと会長のまわりをうろついていよう。
今年もまた伊豆の海にぷかぷか浮いていたい。
もしかしたらアメリカまで行けるかも知れない。
それともロタ島で引っ掛かるかも・・・・
最後に、私はまだまだ引退しません。
みんなと麻雀を打っていたい。
次にバトンを渡すのは、いまだに医者だということが
信じられない先生、清水医師にお願いしましょう。
(もうちょっと地味な服ないのかいな〜?)