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■2008年5月5日(月)その3 Vol.760

5月5日端午の節句。
子供の日ですが、我が家の孫達と過ごすこともなく、 今ある道場の子供達30名余りで浜松まで、 ヒクソンが主催する柔術大会に行ってきます。
道場生等も生のヒクソンに逢えることに 楽しみにしている様子です。
今期から4年ぶりに、格闘技研究家の 山下ジーコさんが道場に復帰したことで、 そちら方面の情報はもれなく入手出来てます。
それにしてもジーコさんは格闘技の事なら 何でも知っていますが、実技のほどは弱っちいです。
「知っている」ていうことと、 「出来る」とは異なることなのですね(笑)

             雀鬼




町田のアイドル達から復帰の洗礼を受ける 格闘技研究家ジーコさん。(町田:ノック)

■2008年5月5日(月)その2 Vol.759

Vシネマの雀鬼シリーズを見て 8年ほど前に道場にやって来た坪子夫婦。
パパもママも打っても打ってもあがらない。 当然、トップなど夢の夢。
ある日のこと、 ママがアンコの7ピンを切ったと思ったら、 次の人が切る前にツモの声を響かす。 麻雀には即ロンはあっても即ヅモはない(笑)
ママの手の内には16枚のトイツが並んでいる。 チートイのあがり、それもツモ。 その上、16枚の牌であがってしまうママ(笑)
パパだってママとはそうは変わらない腕前だ。 そんなパパと麻雀を打つ。
今日のパパは凄かった、絶好調、 半荘になんと一回だけあがってくる。 2度ともラスだったが、 半荘で一回あがれる今日のパパは奇跡である。
なんとそのパパが俺をへこまして 三コロの大トップを取ってしまう。 花岡部屋から移行してきた 同卓者の水野なんかまじ泣いちゃってた(笑)
パパのかっこよくて強い姿を見てママも嬉しそう。 麻雀も強くてしっかり打つことも大切だが、 仲が良いのが一番だよなー。 よかった、よかった。

             雀鬼




Aトップで満足顔のパパとボコボコにされた水野。 本当はパパは強いのよ(ハートマーク)にこにこのママ。(町田:理絵)

■2008年5月5日(月) Vol.758

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【選手紹介:その29】
【町田:永井恒成】
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元5馬鹿仲間として 歌田さんより指名して頂いた永井です。
牌の音歴10年、 雀鬼会選手としては選抜2期、Jr14期ぐらい、 Jr2、番外をそれぞれ1期ぐらいです。
会長、雀鬼流を知った時期は高校生の時で、 ふと麻雀雑誌を読んだ時に漢らしいという 見出しに魅かれて、はまっていきました。 でも雑誌やビデオを見て、憧れているだけで 一度は行ってみたいと思っているだけでした。
道場に通うようになったきっかけは、 就職先の社宅がたまたま町田道場の近くで、 何気なく歩いていた時に看板を見つけた事です。
それでも最初は怖くて、 なかなか踏み出せなかったですが・・・。
通い始めた時、自分ではそこそこ麻雀強いと 勘違いしていましたが、 四天王の志村さんにボコボコにされて、 こんなに爽やかに麻雀を打つ人がいるんだと 清々しい気持ちになったのを今でも覚えています。
牌の音が麻雀だけでは無いのは、 ホームページを見ている人なら知っていると 思いますが、本当にいろいろな経験をしてきました。
会長に海外旅行へ連れて行って貰い、 サメを追っかけ回したり、 大人と同じぐらいの亀と一緒に泳いだり、 モリを持って魚を追いかけたり、 コンビニに脳ミソを買いに行った事もありました。 勿論売ってなかったですが・・・
麻雀が強い訳でもなく、 何か特別出来る事がある訳でもない自分ですが、 会長にはおもちゃとして可愛がって貰ってます。 たまにはもう無理!ってぐらい痛い思いもしますが。
道場では存在力が大切と言われます。 麻雀弱くても毎日通って道場を守る人、 元気の良さで周りの人を明るくさせてくれる人等、 いろいろなタイプの存在力を持った人が道場にいます。 自分の場合は馬鹿な存在でしょうか。
道場に通うと金銭的や体力的に きつい事は多いですが、それでも続けてしまいます。 遅くまで仕事して夜11時ぐらいになり、 打っても1、2回なのに道場へ行ってしまいます。
選手をやっていると休みたくないと いうのもありますが、やっぱり楽しいからですね。 外の仕事等で嫌な事があっても 道場に来るとすっきりしますしね。



それでは、歩いて10分の自分と違って、 遠方の茨城から下北道場へ何年も通い続けている、 金子さん、宜しくお願いいたします。

■2008年5月2日(木) Vol.757

Vol.756の春の珍事の件で このホームページを読まれる方々から 何通か返答が寄せられていますが、 いまだ正解者が出ていません。
雀鬼流を志す者、さらに関係者諸氏なら 感覚や勘が大切ですよね。 メールでも結構ですから 誰か、どなたか早く当てて下さいね。 正解者が出た時点で 解答文を述べたいと思っています。
世間はゴールデンウィーク。 当然俺には関係がないんだが、5月5日には ヒクソン柔術の世界大会が浜松で行われる。 俺も何年か前に、ロスで行われた 柔術大会を観戦に行ったことがある。
ヒクソンが用意してくれた席は ヒクソンの父親であるエリオグレイシーさんの隣で、 90才を越すお父上殿と腕相撲をやったりして友好を深める。
あくる日ヒクソンの家に遊びに行った折り、
「さくらいさん、父さんに負けてくれてありがとう」
の言葉を思い出す。
先日電話で、
「俺も浜松に逢いに行くよ」
と伝えると、ヒクソンも喜んでくれた。
今回の大会には、 俺がヒクソンと出逢い、瞬間に何か重なるものがあって、 ヒクソン一族だけが手にふれあえる ヒクソン自身が自然の中から選び作り上げた 魂の杖を俺にプレゼントしてくれた時、 そば等で幼少だった末っ子のクーロンくんが 凄い勢いで怒り出し、父親のヒクソンに食ってかかる。
「我が一族の魂をなんで日本人にあげるんだ」
「さくらいさんはおまえと同じ父さんの一族なんだよ」
と、強い父親が幼い我が子をさとしてくれる。
それ以来ヒクソン家とのプライベートの付き合いがあり、 幼子だったクーロン君も大きく成長して19歳になった。
クーロンも柔術の試合で連続の一本勝ちを決め、 40勝とか50勝とか勝ち続けているらしい。 クーロンくんも少しだけ大人に近づいて、 俺の真似か、ひげなんか生やしている(笑)
10年ちょっとの御縁だが、ヒクソン家も俺の家も、 色々と変化があったもんです。

             雀鬼




「60過ぎのジジイに負けるわけねぇだろ!」 と襲いかかるも、あっさり返り討ちにあうおチビさん。。。(橋本)

■2008年5月1日(木) Vol.756

春の珍事の発表です(笑)
この話はかなりいけると思う。 俺を自宅まで送ってくれる歌田しか知らない。 先日の月例会の折も話さなかった。
先週は取材続きで、我が家でも、現在進行中の DVDの撮影が入り、13時から始まって 22時半にどうにか終える。
長いわ、映像を観ちゃ点検してで、凄く疲れる。 竹書房の映像部の加藤なんか、 俺の仕事中の傍のソファの上で いびきまでかいて寝てしまい、 俺が受けているインタビューがカットされる(笑)
ここからが本題。 そのあくる日も、17時から出版物のインタビュー。 22時からは、新聞紙の取材が入っていた。
5分前に道場の裏通りにつき、 JRの架線下のトンネル道を、 足早に降りる階段の途中で、 2名の男性とすれちがう。
瞬間、
「何か感じたな」
と思ったが、 そのまんま階段を下へ。
いつものように、俺が俺であることに気づいて、
「ファンです。握手してください。  サインして下さいますか」
が来る。
だがこの時は、急いでいたのと、 すれ違った二人が風態が悪い(笑)、 と感じたんで、 出来れば二人に戻ってきて欲しくなかった。
外は暖かくなって、シャツ一枚で歩く人もいる。 俺は少々風邪気味。 ということで、冬のセーターを2枚着てその上に 厚手の皮ジャンまで着込んでいたが、それでも寒かった。
案の定、すれ違った二人の男が戻ってきて、 後ろから声をかけられる。
「すみませんが、少しお時間を下さいますか」
と、止められる。
ファンの声の掛け方と、明らかに異なる。 俺の場合有り難いことに、 外でファンに声を掛けられても、 失礼な態度を受けることはなかったから、 何時だって心よく、相手が望むことをサーっと 受けて差し上げられる。
道路で声を掛けられるキャッチセールにしちゃ、 二人の男性は、黒いうすっぺらの ナイロンジャンパーを着ているが、どうみても安物(笑)。 それに比べちゃ悪いが、 俺のジャンパーは、イタリア製のうん10万もの。 彼等の着ている物は、多分百円ショップ(笑)。
二人の男の姿をちらりと確認したんだけど、
ピーン!
ときた。
さて。 聡明な皆様方には、この人物が誰だか おわかりでしょうかねえ。

             雀鬼




聡明でない自分にはさっぱりです(by 下北:オガッツ班長)

■2008年4月30日(水) Vol.755

昨日は息子と孫の引越し先を訪れる。 玄関からなかなか中に入れない。 久し外にいて、可愛がってきた子等がこんなとこで・・・。
部屋が何か、機械類や器具で 囲まれているような気がする。 湿気が強い、身体にも悪そう。 すぐにでも外に出たかったが、孫が離れない。
帰り際、遠く離れても
「バイバイ」
と声がする。

「困難なのか」
「非情なのか」

今日は埼玉アリーナまで、ドリーム2の総合格闘技へ。 新宿で、紙のプロレス編集長の慎一と合流。 慎一は青木選手をずっと応援してきたが、前戦のままなら8割負け戦。
「危ういよ慎一。  ちょっとカルバンの写真を見せてみろ。」
「危ういですか。  後は会長の念力で一つ試合を引っくり返して下さい。」
と、慎一凄い責任を感じている。
写真を見ながらカルバンの弱点をいくつか探す。 遅れを取ったらやられちまうけんど、 俺も弟子の慎一と同じ気持になる。
嫌がっているはずの青木選手、 何かに押されるように自ら飛び込んでいく。 パンチが当たった訳でもないが、 途中からカルバンの右目が弱り、 視線が合わない様子?
「行け、青木」
と呼んだが、青木の前には両目をしっかり開いた カルバンの姿が立つ。
しかし思ったとおり、違和感を感じた右目を 2度ほどカルバンが手当てする。 2割しか勝ち目がなかった青木が 圧倒して勝利する。
「慎一、良かったな」

             雀鬼




パンフレットを見ながら試合について解説される会長と、 一緒に行き美味しい思いをしたジーコさん。

■2008年4月27日(月) Vol.754

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【選手紹介:その28】
【町田:歌田哲也】
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花岡さんからの軽いプレッシャー付で 金さんから指名をいただいた、 町田道場所属の歌田です。 牌の音歴は18年、選手としては選抜10期、Jr.12期、Jr.II1期、 番外代走1期になります。 ちなみに連続千打数は21期です。
自分が牌の音に通い出したのは大学生の頃、 何かが切れたように学校に対する気力が消え、 どうにかしようと思っても体や気持ちがついていかず 焦りや自分への嫌悪感でいっぱいだった時期でした。 それまで通っていた雀荘が無くなったのがきっかけで 近代麻雀で読んでいた牌の音へ。
当初は雀鬼会には関わらずのフリーの一般のお客さん。 そんな状態でしたから自分の中の 悪いものを周りに垂れ流していて、 嫌われ者で出入禁止寸前でした。 会長からは当時は来てから帰るまで 一度も笑わなかったと言われます。 それでも通い続けたのは悪いのは自分だと分かっていたし、 それまで友達や他で打っていた麻雀より 道場でのそれが心地よかったからだと思います。
体験卓が出来て雀鬼流麻雀を勉強する機会が増え、 スタッフの方にも月例会に 誘っていただけるようになった頃、 会長の本にサインをいただきました。 そこに添えていただいた言葉が
「自分の中の悪臭を消せ」
自分で自分の中の嫌だと思うものを減らしていきなさいと。
「歌田は自分が嫌いだろ?   お前自身が嫌っていたら誰も  お前を好きになんかなってくれないよ。  俺なんか俺が大好きだよ。」
それまでほとんど話していただいたことのない 会長からのど真ん中直球。 自分の雀鬼会はそこから始まりました。
選手になってからも 道場に近い環境を生かしてとにかく打っていました。 今から考えると異常なほど打ってました。 ただの麻雀好きとも言えますが、 道場を守るという言葉が使われるようになり、 何が出来るでない自分はそのくらいしかないかなと。
あとは打って打って遅れて打って・・・気がつけば21期。 千という数自体は重要ではなく 誰もが打てばよいというわけでもない。 上の選手たちの千の山登りに ついていき事切れた新人も数知れず。 格好良く言えば現場意識や継続などの意味もあるけれど、 結局は道場に居たいから。 皆、道場に居るのが楽しいから。
途中鬼打ちキャラからの脱皮を試みた(当然失敗)時期や、 麻雀を打つのが辛い時期もありましたが、 これが自分の味のうち。 道場ではキャラが立って一人前。 要はどこで光れるか。

で話を戻して、じゃあ今は自分が好きなのか? 嫌いではなく好きとは言える。 でも困った事に道場に長くいると 当時は見えなかったものが見えてくる。 気づかなかったダメな所に気づいてしまう。 ある意味イタチごっこ。 それでも少しづつでも変わってこれた。 当然会長や道場の仲間のおかげですし まだまだ貰っていることのほうが多いですが、 わずかでも返せているのかなと思います。

何期か前、会長に
「歌田も良い笑顔が出来るようになった」
と言って頂けたのが 今まで雀鬼会をやっていて実は一番嬉しかったりします。



それでは次は町田で共に五馬鹿と呼ばれていたこともある、 恒さん、お願いします!

■2008年4月27日(日)その2 Vol.753


「ポッカポかのニュースです」
本日の、朝日新聞の朝刊の社会面に、 「雀鬼流」道場、ニートを変えた牌の音と題して、 「縁」というコーナーに、 紙面を半分使って掲載されている。
麻雀が弱いチャッペが主役で、俺等が脇に回る。 反骨精神、記者魂を持つ佐藤記者が、 何度も顔を見せちゃ、取材をし、構成をして、 今ある状況をありのままに記事としてくれている。
人間には興味があっても、 麻雀など興味がなさそうな佐藤記者だったが、 何か雀鬼流の歩む道と共鳴して、 短いご縁であったが、「仲間」と感じた。
記事を書き上げた佐藤が、
「父親に雀鬼流Tシャツをおみやげにしたい」
という。
ならばお前も着ろよということで、 その場で自分のTシャツを着替えて、
「似合うでしょう」
と、道場生にファッションモード。
正直、似合っていた。 ついこの前にも、雀荘で知り合った同士で、 罪を犯した事件があった。 悲しいが、雀荘とはそんな場所でもある。
うちでは心の病や傷を負った子等がいようが、 罪を犯そうと思うような子はいない。
だからって、犯罪とか事件、事故といった悪い要素は、 どんどん身近に迫ってきて、他人事とは思えない。
20周年を、こんなことをやってきて、 また少しだが皆して歩く。
そん中にまた心に傷があるもの、 過ちを治したい人達も来るかもしれない。
俺って、 淋しいこと、卑しいこと、 つまんねえことを嫌う。
少しでもいいんだが、 楽しくおもしろくありたいもんです。

             雀鬼




今回もまた、町田道場の一卓での取材から。。。

■2008年4月27日(日) Vol.752

■■!速報!!■■ ■■本日の朝日新聞朝刊(静岡・新潟・長野、以北版)に■■ ■■    雀鬼会の記事が掲載されています!   ■■
佐藤さんご苦労さま!ありがとうございます!
当初、全国版とここに載せてしまいました。 上記の地区版とのことです。 誤情報、誠に申し訳ありませんでした。(花岡)

 

■2008年4月24日(木) Vol.751

実はねぇ、「町田三丁目の夕日」を撮る二日前に ちょっと肋骨を痛めちゃっていたんだけど、 それを言っちまったら皆んなが 手加減しちまうことが嫌でね(笑) 隠していたんだ。
正直、殴られたり蹴られた時は 痛みが走っていたんだよ。 それなのに志村なんか、スニーカーを履いたままで 俺の横っ面を何度蹴っ飛ばしたことでしょうね。
思い切り蹴られて、俺が椅子から吹き飛んで 転がっちゃった良いシーンがあったんだけど、 カットが入る前に蹴っ飛ばした志村が心配して 俺のことを起こしに来ちゃってボツなんていう、 もっともっと酷いシーンがあったんだ。
6時間ほどかかった撮影で、 俺の肋骨も悲鳴を上げていた証拠のシーンが、 ラストの自転車に乗って安心したせいか 傷めた右側に傾き、ぶつかっちゃった。
下北の冬の海の映像も身体を張ったものでしたが、 その裏で俺も身体を張って、痛みに耐えていたんだよ(笑)
町田の子達は俺に習って、 皆んな「バカばっかり」ということは立証出来たよな。

             雀鬼




カメラチェックをしつつも実は痛みに耐えていた主演兼監督さん。


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