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■2008年4月23日(水) Vol.750

おはようございます、牌の音スタッフの橋本です。
夜はまだ寒さを残していますが、 日中は春らしいお天気で気持ちいいですね。
町田道場内にもそんな春の陽気が入り込んでいるようで 春らしい(おかしな?)笑いや出来事もあって あたたかくほのぼのとした感じです。
が、小冊子作りに追われる花岡編集長のことを想えば 浮かれてばかりいちゃあいかんですね。
というわけで、皆様お楽しみの 第35期小冊子完成も間近(?)にせまり、 今週末26日(土)に行う予定の 35期表彰&36期雀鬼会ミーティングにて 前期の全後始末&来期の準備を済ませ、 27日(日)2:00から両道場で行う月例会にて 本戦に向け本格的にスタートといった感じでしょうか。
36期は各道場別で 下から上まで一緒のリーグからスタートということで、 これから道場に来る方の中から参加する人が生まれる、 なんていうことがあるやもわかりませんし、 なつかしの方もちらほらいらしゃっていますので、 まだ来たことのない方、昔通っていた方などなど いつでも遠慮なく足を運んで頂けるとうれしいです。
もちろん月例会、雀鬼会本戦など 見学だけしたいという方もOKですので どしどしお待ちしてまーす!

             橋本



今期は、町田の橋本サブマネ(右)。下北の小島サブマネ(左)の ダブル・サブマネ体制でばっちりっす!

■2008年4月22日(火) Vol.749

下北の動きってなかなか届いて来ないんだけど。
花岡さんごめんね 今回の金くんの長ぇーー!! 長すぎる。
花岡さん、又怒ってらっしゃることでしょうね。 そうじゃなくたって、俺が一年中くだらん文章を 書いちゃ面倒をかけてんのにねぇ。
くだらんっていえば、どうよ、 あのパーティー時の二部に写された 町田道場に於ける、
「三丁目の夕日」
あの作品はあまりにもくだらんものだったので、 出演者以外には全て口止め。 会場内を仕切られる花岡さんにも 内緒で作っちゃったんだもんね。 そりゃ会場を仕切らねばならない立場であった 花岡さん達の怒りも当然でしょう。 内緒の上であんな作品だもんね。
でもね、俺、あの作品で会場に笑いが起きたら最低。 皆してどん引き、引いてくれたら意味が残せると 一人悦に入っていた(笑)
強いものが弱いものをいじめる、いじめ。 腐った人達が持つプライド、上下の関係、 能力や力の問題、逆転の発想、円の感覚、 そりゃそりゃ、皆して良かれとして 持っちゃったり作っちゃったものを皮肉って、 いじくったらどうなるのかなーという 遊び心があって作ったもの。 固定観念が強い人には分からん作品でした。
俺って雀鬼会じゃ時計の針の中心部分か、 針ならば何時だって12時を差し、一等上に どかんと居座っていると思われているんだが、 俺が一番下の6時の状態にいても良いじゃん(笑)
ていうかさぁ、俺って固定されず、 刻々と針の如く時を刻み、変化するが そのもの自体は変わらない。
「心温かきは万能なり」
の「万能」とはそういう生き様を表わすもんなんだ。
俺の立場や個性は12時です、なんて ちっとも決めちゃいないし決められない。 上も下も右も左も関係なく変化する。 会場内でも俺を、何時だって12時だぁと 上ばかり見ている人はたぶん、どーっと引いてくれたと思うよ。
それにさぁ、メディアの影響か、俺って凄い人、 強い人、みたいばっかじゃない。 だからさぁ、俺って決してそんな存在じゃねえよという メッセージでもあるんだよな。

             雀鬼




害長に扮する会長(^_^;) 長い金さんの分、次の歌田さんが綺麗にまとめてくれるでしょう。 今期の花岡さんは20周年で燃え尽きたのでもう怒りません(^_^)

■2008年4月21日(月) Vol.748

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【選手紹介:その27】
【Jr.:金 広虎 (キム カンホ)】
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下北の兄貴分吉田さんよりバトンを受けました町田の金です。 吉田さんと似た外見、麻雀のスタイル、基本動作ながら、 吉田さんよりもキャリアが浅く、スケールも小さく、 「お前誰だ?」という声が聞こえてきそうな下っ端ですが せっかくのチャンスですので自己紹介させていただきます。
選手歴は新人リーグ1期、Jr.II4期、 そして前期は最初で最後かもしれないJr.予選に合格し、 Jr.を1期やらせていただきました。
自分が雀鬼会のことを知ったのはもう 15年くらい前になるでしょうか。 名古屋で学生生活をしていて、 麻雀マニアを自負(苦笑)していた自分は 近代麻雀3誌のチェックにも余念がなく、 その中で佐々木丸さん、 山田マネージャーの最強戦連覇が起ったのが 雀鬼会の存在を意識した一番最初でした。
そして雀鬼会にあこがれて道場の門を叩き... となれば正統派の道場生ですが、 そこまでの根性も情熱もなく、 どこか遠い世界のように眺めているだけでした。
それから時は流れ、就職し上京した自分は 時々フリー雀荘で打つことはあっても、 ありきたりの社会人として毎日の仕事に 追われながら生活していました。
でも、そうやって暮らしているうちに、 だんだん雀鬼流への興味が大きくなっていきました。 それはロクに発声もしない雀荘オヤジに 囲まれて打つ麻雀への疑問の先であり、 同時に「儲かればいい」という 社会経済への疑念の中で、 会長の色々な言葉に、 理想を感じたからでもありました。
そしてついに雀鬼会の門をくぐり... となれば上出来ですが、 2回ほど下北道場を訪ね、 レベル、雰囲気の違いに、 こりゃスゲーや。と思うも、 通うなんて考えもしませんでした。
麻雀のスピードも自分の想像していた レベルを遥かに超えていて、 スタッフの方にもっと速く 打つようにハッパをかけられても、 「そんなの絶対ムリ、これ以上  スピード上げたら考える時間が無くなっちゃう」 とか思っていました。まったくヘタレ過ぎますね。r(^^;
そんなこんなで再び日常に押し流されて 時は過ぎ、転職したり、色々な流転の末、 偶然町田の近くに住むようになりました。 そして近代麻雀ゴールド誌上で 読む雀鬼会の話題の中に、 雀鬼会もいつか終わるという話が出るようになり、 「今が最後のチャンスなのかもしれない」と、 やっと決心し、町田道場の門を叩きました。
そして30過ぎたオールドルーキーが大活躍し... となればカッコイイのですが、 実際にはそんなことはまったくなく、 いかにできないか、レベルが低いか。 を痛感する毎日です。 持ち前のツラの皮の厚さで、 道場ではなるべく内心の落胆を 表さないようにしているつもりですが、 それでも道場から帰る時は、 この世の終わりのような気分で 自分を呪っていることもあります。
でも、翌日になると、 やっぱり道場に足が向いているのです。 自分で決めて通ってるんだから、 1期終わるまでは絶対に決心を裏切らない。 という意地か意固地かよくわからない ものがあるのも確かです。 だけどなにより、 やりがいと楽しさがあるのです。
自分は牌の音に居ると、 「ここは小学校の教室みたいだな」と思います。 こじんまりとした空間に、 決してピカピカではないけど、 よく手入れされた机とイスが並んでいて、 手作りの掲示物が色々貼ってあったり、 道場生が名札をつけていたり、 ビシバシ打って練習に励む時もあれば、 みんなでガヤガヤとご飯を食べている時間があったり、 遠足や合宿のような行事が あったりと、本当に学校みたいです。 でもそれは、知識やテクニックを 得るための場所という意味の学校でなく、 地域の集まりの場、大家族の 集会所のような感じの学校です。
そしてそこには会長がいて、 ある時は先生、ある時はお父さん、 ある時は先頭を切っていたずらをし、 笑いを作り出す、 古き良きガキ大将のように動き回り、 いろいろな 「あー面白かった」 「ああ良かった」という、 柔らかくて温かい気持ちが 流れているように思います。
なんというか、自分の理想の学校像。 を重ねているのかもしれません。 田舎の小さな学校とか、 あこがれませんでしたか? 生徒は数人で、上下の学年が 一つの教室で授業をしていたり、 校長先生が生徒全員を教えていたりして、 みんな顔見知りで家族のようにしている。 そういう風景。
現実の学校はゆき届かなかったり、 ひずみもあります。 自分も都市の郊外で育ち、 1クラスが40人とか、 学校で2000人近くの生徒が居るところで、 その他大勢の一人として過ごしていたので、 なおさら、会長と子どもたち。 という道場の教室的な空気が得がたいものに感じます。
自分は、『心温かきは万能なり』 という会長の言葉が一番好きです。 有能でなくてもいい、 温かく生きて行きたい。今そう思います。
道場に通うこと、選手として 参加することは楽しいことばかりでなく、 負担やリスクもあります。 でも、雀鬼会は他では替えがきかない場所です。 楽(ラク)なことと、楽しいことは違うと思うし、 お客さん感覚でサービスを求める気構えでは、 本当に楽しいことはできないと思います。
レジャーなんかじゃない、本当の楽しさ。 めんどくさくて、大変で、 時には痛かったりもするけど、 それでも心に残る真の楽しさ。 それを味わいに、興味のある方は 是非道場を訪ねて欲しいと思います。
道場には、学歴や、社会的地位も まったく関係ないですし、 外国人枠とか、くだらない制度や垣根もありません。 今、参加したか? 今、がんばったか? 今、力を発揮したか? 本当にそれだけです。 また今度? いつか? 今、楽しいと思えることは、 今が一番楽しめるんです!
今の世の中、先のことを考えると本当に不安です。 来期も選手として参加する やりくりができるか? から始まって、 自分が年老いたら年金は出るのか? とか、 テロや環境破壊の恐怖まで、 気にし出したらキリがありません。(笑)
でも、現実逃避という意味ではなく、 先のことを気にして、 今をおろそかにしたら本末転倒。 という当たり前の意味で、 今この瞬間から目をそむけず生きて行きたいと思います。 人生で今日より若い日はもう来ないですし、 明日も確実に生きていると 今日のうちにわかってしまうのは、案外つまらない。 そう思ってカッコつけてみたいと思います。



さて次の選手紹介は、 雀鬼会の鉄人、20期連続1000upの男、 歌田さんによろしくお願いします。

■2008年4月20日(日) Vol.747

ここんところ強い風と雨が降り注いでいた。 前からの約束で、足腰を痛めて歩くのも大変であった 20数年来の 「旅友」 である竹書房の宇佐美殿から 伊豆の温泉への同行を願われる。
腰に違和感を感じて針治療に行ったが、 どういうわけかその後から悪化して 一歩も歩けなくなってしまい、 俺よりずーと若いのに杖を頼りにヨチヨチ歩き。
俺も心配して何度か電話を入れているうちに
「会長と温泉に行けば完治する」
と決められちゃった(笑)
長年のつきあいもあるし、互いにサメを好む同好会として 少しでもお役に立てばと同行を決めたんだが、 あいにくその日の朝方から我が家の空が暗天となり 一気に凄まじいハリケーンが吹き荒れ、外へ出られない(笑)
定刻の電車に乗った宇佐美は一人旅を決行。
「約束破ってゴメン」
「ドタキャンで済んません」
「逆の立場だったら凄ぇ嫌だよなー」
と、謝罪の一報だけは入れておく。
ハリケーンの威力を知っている宇佐美は 「わかりました」 と文句一つ言わず、 電車が行っちまってから7時間が過ぎる。
ハリケーンは勢力を残していたが
「俺が行けないのはいい。  だがその事で宇佐美の身体がもっと悪化したら」
という一念が起き、強行決行。 夜汽車に乗って一人伊豆へ。
向こうから宿で晩餐を済ましていた宇佐美が
「来ると思ってました」 
と微笑む。
一気に腹が減る。 宇佐美が用意していてくれた 冷蔵庫から出した冷たい駅弁に食らいつく。 宇佐美は宿で豪勢な料理を食え、俺は冷飯。
その後、深夜まであっちこっちと身体をいじってやる。 あくる日も専任の身体いじくり師をやらされる。
気の持ちようか? あれほど痛がってた身体が治まったらしいが、 俺ときたら 「気」 を使い、身体を使って、 その上責任まで感じちゃって
「おまえって誰よ」
「俺って何やってんだろう」
の連続だった。
旨いもん食って、酒飲んで、イビキかいて、 その上俺に一日中身体をいじらせる 宇佐美って奴は何者なんでしょうかねぇ。

             雀鬼




宇佐美さんも長年の大切なお仲間のひとり。 でも、サメ同好会のメンバーだったんですね(^_^;)

■2008年4月17日(木) Vol.746

孫が、我が家から離れちゃって 三日しか経ってなかったが、 所用で俺の部屋で電話をしていたら、
「おとうさん、おすしかってきましたよ」
の声に瞬間で電話を切っちまって、二人して遊ぶ。
それなりの人達は孫の話なんてくだらん、 親馬鹿を通り越した翁馬鹿もんと言われるそうだ。
開き直るわけじゃないが、俺は自他共に認める 馬鹿もんですから、知識人振るより 自分の気持ちに「素」でいます。
今や欧米文化の流れから禁煙ブーム(笑) 煙草を好む俺なんかでも肩身が狭い。 公共の場はどこでも禁煙。 ところが、今だ東海道新幹線は グリーン車一両と三号車の 自由席だかで煙草が吸える。 愛煙家の俺なんかからすれば、 偉いぞ新幹線、根性あるぞ新幹線 なんて見ちゃっている(笑)。
今日の昼も、しもた屋風の粋な蕎麦屋さんに入る。 一日10食分限定の蕎麦と、 山菜の天ぷらに初がつおまで頂く。

少々高価であるという事と、お昼時という事で 客層は俺達世代の落ち着いた店構え。 20席ぐらいの席がゆったりと間を置いてあり、 どのテーブルの上にも灰皿が用意されている。
ふと奥を見ると禁煙席が一席だけ用意されていた。
蕎麦は旨いし、山の幸も海の幸も新鮮でグー。
その上で食後の一服。 ありがたいよな。

             雀鬼




牌の音を聞きながら、くつろぐ会長。

■2008年4月16日(水) Vol.745

末っ子夫婦が、近所らしいが、引越しちゃった。 三年間毎日俺に楽しみをくれた孫の二人も一緒。 淋しさの中から怒りさえわいて出て来そう。
世帯を持って30数年、 何時だって親と子の暮らしがあったのに、 夫婦二人になって、俺には似合わないし苦手。 もちろん一人暮らしなんて俺の人生には一度もない。
子供が成長すれば独立も当然のこと。 俺にとっちゃ三世帯がああだこうだと 伴に暮らす方を望む。

道場もその輪の拡がりにあり、 まさに
「俺ん家」  
である。
夏の一ヶ月の別荘暮らしも 「俺ん家」 の若者達と共同生活だった。 20年間を区切りに道場を離れて行く子も多い。 その輪が少し小さくなってももう少しだけ  「俺ん家」 の暮らしが出来ればいいね。
豪華に咲いた胡蝶蘭の花びらが二つ三つと落ちていく。 それも自然の姿ですが、どんな立派な胡蝶欄よりも 見栄えの悪い(笑)道場の一人一人の存在の方がいいに決まってら。

             雀鬼




いつもん通りの町田んち。 みんな早くおいで〜閉まっちゃうよ〜(^_^)y

■2008年4月14日(月) Vol.744

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【選手紹介:その26】
【Jr.:吉田誠司】
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名古屋のイケメン奥井さんから指名頂きました。 奥井さんと同じく麻雀が弱いという悩みもありますが、 奥井さんほどもてないという悩みもある 下北道場の戦車こと吉田誠司です。 僭越ながら自己紹介させていただきます。
私が道場に通い始めたのは4年前の1月。 選抜のパセさんとほぼ同じ時期に通い始めました。
Jr2を数期、そして前期Jrの予選に 奇跡の合格して、Jrが1期です。
通い始めて4年ですが、初めて牌の音の門を くぐったのは15年前、私が20歳くらいの時です。 1年くらいその頃通っていました。
18歳で東京に出てきた私は、 高校の時の同級生が近くに大勢いたこともあり、 夜な夜な麻雀するようになっていました。
バイトの後、朝まで麻雀という日々。 しかも今と変わらず負けてばかり。 そうです、ネギをしょった立派な 麻雀ジャンキーになっていました。(笑)
そんな麻雀にのめり込んでいた時期、 近代麻雀ゴールドを見て、 会長と雀鬼会の存在を知りました。
近代麻雀ゴールドに連載されていた 会長がモデルの「SHOICHI」(9巻)の中に、 「これまでのめり込んだものに証が欲しい」と、 麻雀に絶対を求めて牌の音に辿り着く サラリーマンが出ていますが、 私の牌の音に来た動機はこれに似ています。
麻雀に「絶対」があるのならそれを知りたかった。 麻雀は運が左右して正解があるようで分からない。
そんな曖昧なものに正解正着があるのなら、 多分それは世の中のいろいろな曖昧なものと 通じていて、麻雀を通して他の物事の正着が 分かるのではないか。と当時、まじめに考えていて、 今思うと恥ずかしいくらいの立派な麻雀ジャンキーでした。(笑)
しかしなんだかんだで1年くらいで 牌の音から足が離れてしまいました。
もう一度行きたいとずっと思っていても、 雀鬼会では約束は命の次、 約束を破ってしまった私は行くに行けず、 でも麻雀もやめるにやめられず。
そこら辺でずっと字牌を切らないようにしても 周りはお構いなし。 打っても気持ち良いはずもなく。 半ば発狂状態でした。
そんな状況に耐え切れず思い立って 4年前(10年振り)にもう一度来させていただきました。
迎えて頂いて本当にありがたかったです。 ありがとうございまいた。
それから4年、あの頃知りたかった 「絶対」は分かったかというと・・・
「そんなの知ったこっちゃねえ!!!」って感じです。
今はそんなことより、試合で 「吉田が良いぞ!吉田に合わせろ!!!」 と審判に言われてみたいです。(笑) 基本動作が第一ですから。 これが非常に難しいんですけど。
道場ではうまく説明できませんが、 会長をはじめ色々な方々と接している 中で麻雀以外の事も色々と学ばせていただいています。
周りの方から怒られることも楽しい球を 投げられることもあり、その中で 自分の思考や態度のずれを教えてもらったり、 周りのことを考える機会をもらったり。
その他にも公私についてや、 その場ののり、みんなでいる楽しさ、 男らしさ、強さ、気付き、礼儀などなど・・・
会長のお言葉に「温破立」があります。 温かさの中を破って、初めて自立するということですが、 会長が作られる道場の雰囲気は温だと思います。
雀鬼流は道場の外でももちろん通用するものだと思っています。 温の外でもしっかり一人で立てるよう、 まずは自分のこと。 それが出来たら周りのこと。
自分の事が満足に出来ない私にとって道のりは長いですが、 しっかりこれから自立していきたいと思っています。



さて次のバトンは、彼には前期は やられてしまいましたが一期終われば全てチャラ! ということで、最近は自由を貪っているという噂の 町田の金さん!よろしくお願いします。

■2008年4月13日(日) Vol.743

人類は農耕文化が発達したことで、 一体感とともに競争意識が増大した。 その遺伝子は抜いても抜ききれないものとなって、 我々の血の中に流れる。
夏には中国の北京でオリンピックが開催される。 その開催国である中国共同体の中で、 チベット領治区に対する問題が暴動化されている。
オリンピックとは元々、人類が競争戦争から 逃れられないということで、その開期中だけでも 戦争を止めて、敵も味方も分け隔てなく集まって、 スポーツを通して競おうと平和を求める祭典であったはず。
まぁそれも競争好き、戦闘好きな人類を 少しでも治めようという建前だったんだろう。 争うことを止めて競えば良いと言ったって、 そうたいして変わるもんじゃない。 あっちこっちの国でも聖火リレーすら 妨害を受けているという。
日本もそうだったが、東京オリンピックを境にして 経済が高度化された今日びの社会、 何かと経済効果が優先され、 それが力となって現れる。
オリンピックにも多様な種目があるだけ、 その裏に巨大化された業界が渦巻く。
先日、オリンピック柔道種目の選考試合があったが、 女子の部では勝った者達が選ばれず、 6人中5人が敗れた者の中から選出された。
そこに正義があるのか、 不当な扱いがあるのかは定かではないが、 業界内では納得済みでも、国民にはその正当化が 伝わってこないことが、どうなのかと思ってしまう。
国には国策があり、 国の利益を、正義より優先順位の上に置く。 その繋がりで業界内にも持ち越されるのだろうが、 まぁオリンピックという人類最大な競争の産物も、 平和の祭典、などとやめて、経済政治が作り出す 巨大競争社会の原理主義である、 と正直に述べればいいのにね(笑)

             雀鬼




以前、山田マネージャから送られた龍のライターと。

■2008年4月12日(土) Vol.742

入場制限以上の人混みの中、 多くの関係者から祝い花を頂く。
その中に大阪の大浦さんから、10数万はする 豪華な胡蝶蘭が会場で一際、際立つ。



俺には花は似合わないが、会場から下北へ、 そこから町田まで移動してきた。 胡蝶蘭の前で、そこにいた道場生を 一人一人俺の膝にだっこして、記念の写真を写す。
花も見事だが、そういう光景が俺らしい。 胡蝶蘭の花の美しさを味わう方は多いだろうが、 その花の前で遊んじゃうのは俺達だけかもね。
パーティーもとうに終了の時刻を迎えたのに、 名残惜しくて帰りたがらない俺の前に、 同じ気持ちの人達が列を作り、 一人一人と握手をしたり、写真を撮る。
その中で一人の青年が
「この指輪、数年前に買って  飾っておいたんですが、会長使って下さい」
「そんな貴重な物、いいよ。  君が使えばいいんだ」
とやり取りするが、 後がつかえているということで、 一応その場で預かる。
ハワイアンジュエリーの銀の指輪に 「Janki」の赤文字が彫ってある。
その青年のことを思って、あれから何度も 「Janki」の指輪が俺の指に収まっている。
俺が何度か使用してから再び青年のもとに、 このリングが返ればいいんだよね。
「なー、遠藤くん」

             雀鬼




ただいま町田のPCがウィルスにやられダウン中。 今日はノックが携帯で原稿を打ち込んでくれました。あざっす!

 

■2008年4月11日(金) Vol.741

先日も新宿で名越先生との対談本の件で 5時間ほどがあっという間に過ぎる。
出版社側の担当が2名ほどいたんだが、 名越さんの臨機応変、適材適所な仕切りで どんどん話しが進み、開いて行く。
その後場所を変えて、 見学に来ていた甲野先生等と4時間ほど延長戦。 ここんところ本当に、 甲野先生とのドッキングが多い。



甲野先生が近くなって、 甲野さん、甲野ちゃんとまで俺の呼び方が変化する。
俺の言う「立つ場」感覚。 甲野さんが言う背中から羽が生える感覚。 皆にゃ何言ってんだか分かんねえだろうが(笑) 俺には感覚的に理解出来る。
そんな御二人の才人とともに、 ツボが合う、呼吸が合う鍵山相談役から、 おつき合いが始まって初めての 自宅への電話を頂戴する。
相談役と俺との密着した関係を 周りの方々から不思議がられるらしい。 御縁の結びつきと絆の有り方に感謝しています。
林田先生も交えた四先生方と 麻雀を打つ俺との不思議な御縁で 20周年パーティーの どうでもいい話コーナーもあっという間に終わっちゃって、 パーティーの二部が始まる。



今日までの道場生等を写した何千枚という写真をもとに、 でっかいパネルが俺の一枚の顔写真となって、 壁に写っている。 雀鬼会Tシャツで「心」という字が浮き上がる演出。



どれも俺が知らない中で、 花岡や下北道場生らが作り出してくれていた。



俺と四先生方でどうでもいい話しで時間を 費やしちゃったことで(笑) 二部の開幕に、粋でいなせな江戸っ子らしく、 マグロの一刀おろしから始めろと 運営側に指令を与える。



70kg近い一頭のマグロが 10人近い専門家の手によって切られ、捌かれ、 刺身となって現われ、 まぐろ寿司までにぎって出される。
先頭きって刺身一切れを味わう。
うまい。
飛騨の古川の酒造り問屋からは 雀鬼流を銘するたる酒が届く。
スタッフ一同が集まって割る。



俺は寸前で木うちを止めるが、 スタッフの気持ちが合わぬのか 何人かがたる酒を割ってしまう。
気が合ってねえじゃん(笑)
ていうことで、日本を美しくする会の 相談役と阿部さん、新上さんに助っ人になって頂いて、 四人でやり直す。



美酒がたるから飛び出る瞬間には、 俺だけ壇上から避難しちゃっていた(笑)
その後、映像で20年間の牌の音の歴史が流されるが、 流す方の花岡と、司会の多田と志村のやり取りがイマイチ。
俺も沢山の来客の中を飛び回っているだけ。
せっかく来て頂いた方々とのあいさつやふれあいは出来ずに、 申し訳ございませんでした。
9時間という長い長いパーティーでしたが、 主催者側や運営する者達にとっては、 時間に追われ、準備されたことをやることで精一杯(笑)
まあ皆して精一杯やったことは事実ですので、 至らぬ点はお許し下さいませ。

             雀鬼




道場内の写真以外は北村先生が撮ってくださった写真です!


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