■2008年4月10日(木) Vol.740
おはようございます。花岡です。
さて、昨日の会長の
「この指とまれ」
に早速、志村さんからメールが来ています。
------
は〜い、とまりま〜す!!
っということで、
新しい雀鬼会の型に賛同させていただきま〜す。
狭き門であり、厳しい道のりであった雀鬼会でしたが、
本当に様々な事情が重なって、 今までのようではなく、
もう少し楽しみを吹き込んでいきましょう。
ということで、新しい雀鬼会の型が生まれそうです。
先日の志村部屋の打ち上げじゃあないですが、
皆で会長を囲んで、新たな道を歩みましょう!!!
志村
------
という訳で、
ミスター雀鬼会、多田和博からのメッセージです。
------
お久しぶりです。審判部長の多田です。
昨日、会長を囲んで金村・志村・花岡と自分で
今後の本部道場の方向性について、
話し合いをさせていただきました。
20周年パーティーを終えて、
そろそろみんながどうなるんだろう?
って思っていた頃だと思います。
話し合いは、志村の意見から始まり、
志村曰く
「今までの雀鬼会をそのまま続けていくのは
正直難しいと思う。そうかと言って
このまま終わるのは違うと思う。
何か別のやり方が出来れば。」
と。また、
「違ったかたちになれば、
今までのように厳しさという面は少し、
表に出にくくなるかも知れない。」
とも、志村は言いました。
全く自分も同意見でありました。
事前に志村と話しをしたわけでもなく、
本当に同じ意見だったのが嬉しかったです。
ただ、他のかたちといってもどうなるのか?
また、スタッフの人数も減り、
このまま道場を運営していけるのか?
そんなことまで、会長に尋ねてしまいました。
会長は今のままで当面はやって行くと
おっしゃって下さり、
漠然と考えていたかたちまで、
既に、あたまの中では、
その先を思い描いて下さっていました。
会長曰く
「ここで終わることは全く考えていない。
例えば、下北沢リーグと町田リーグで
プロ野球のセ・リーグ、パ・リーグみたいに
リーグ戦を行って、その上で上位のものや活躍した者が、
日本シリーズではないけど、
下北・町田による決勝戦を行えないか。」
と。
本当に目からうろこでした。
さすが、我らが会長です。
われわれ4人は会長から
その話を聞いた瞬間にこれだなと思いました。
さらに、話しをしていくうちに、
高槻Jr.もこの決勝戦に数人入れば
面白さが増すかな?なんてことになり、
決勝戦も1回じゃなく数回やって、
そこで選抜・Jr.に分けて行う可能性も出てきました。
用は、やる気がある奴は誰もが選抜になる可能性があり、
さらに今までJr.2の者が最強の金村と戦える
なんてこともできるプランとなりました。
勿論、どんな選手でも試合は今まで通り厳しくやります。
金村にビビるか、それとももたついて金村を躓かせるか。
いろんな試合がででくると思います。
九州の山ちゃんには、
その内連絡しますので待っててください。
また、都合によりあまり打てなくなり、
試合も全部は無理でも2人1組とか
3人1組というのも有りとなりました。
ここら辺は従来の番外的な要素も含まれています。
まずは、道場生はやりたい意思表示をし、
メンバー構成等はわれわれ4人プラス何人かで行うことで、
昨日の話しは終わりました。
少しずつ動いていきますよ、本部は。
昨日感じたことは、道場もずっとこのまま
あるわけではないということ。
少しずつ終焉に向かっているという実感はあります。
皆さん、今を逃すと後悔するかもしれませんよ。
さて、話しはかわりますが、
以前働いていた通称ジーコがスタッフとして
今週から戻ってきました。
少しですが、昔通っていた方も戻ってきたりしてます。
以前道場に通っていたあなた、
またやりたくなったら遠慮なく
道場の門を叩いて下さい。僕らは待ってますよ。
「便座マンとして、心新たに参加する志村さん」(ノック)
------
ああ、この町田んノリが続くようならまた人が・・・
というところで、ひとつ業務連絡。
昨日放送予定だった、会長出演のフジテレビ・スポルト(23:55〜)は、
ニュースが多かった関係で、来週になったそうです!よろしく(花岡)
■2008年4月9日(水) Vol.739
雀鬼会も20周年を迎えることが出来て一区切り。
「この先どうなるんだろう」
と誰しも思っている。
そこへ下北から多田、金村、花岡という代表がやって来て
町田で志村が合流して
「もう少し何かやろうよ」
という話でまとまる。
今まで通りとはいかぬが新しい気持が自然とかたまる。
新しいことが決まって新しいことが動けば
新しい楽しみが生まれそう。
一歩は俺を含めた五人だったが
次はそれが拡がって又新しい輪が生まれればいい。
何かやりたい人、遊びたい人、
「この指とまれ」
沢山出来る人も少ししか出来そうもない人も混じって
何かが出来ればいいね。
そうそう、動いて型が決まれば何かが出来る。
チャッペが買ってきてくれたおみやげの
飛騨牛のステーキを食い逃げして多田達は下北へ。
志村は残って朝日新聞の記者である佐藤の取材を受けている。
みんな集まってうまいもん食って
俺に一人一人だっこされて写真を撮って笑っている。
佐藤記者もドクターストップを受けているが
肉を一切れ食ってくれた。 さすがだね(笑)
雀鬼
20周年記念の際に頂いた特大の胡蝶蘭の前で順番に(^_^)。
中央右の大きめの写真が佐藤記者。
■2008年4月8日(火) Vol.738
先週、あの巨大な政治力で自らの地盤に
無理押して作っちゃった、岐阜羽島の
新幹線の駅に始めて降りる。
名古屋から10分、その当時も今も何んも無い駅頭、
大野伴睦夫妻の銅像だけが残っている。
若かりし頃、あの巨大権力者だったその人とも、
俺も少なからず接点があった。
降乗する人もまばらなプラットホームに
チャッペが立っている。
岐阜への5日間程の里帰りのチャッペが、
一人ポツンと淋しげに立っている。
手には俺の愛用するタバコと
紅茶の二個を持って、俺がこの地で
娘の二度目の婚儀で出向いたのを
迎えてくれていた。
チャッペが道場に初めて顔を見せた頃に戻っている。
今やそのチャッペも変化して、
道場では無くちゃならないほどの存在力を
見せつけてくれているんだが、
たった一人になると背が曲がり、言葉を失い、
出るものが出ない感を瞬間に感じ取る。
プラットホームから迎えの車までの
ほんの短い時間の為に、母親の車に乗せられて、
岐阜駅から40分も電車を乗り継いで数分の出会い。
チャッペの淋しさが伝わってか、
田畑ですら行政の指示で休眠状態、
川の水は流れゆくが、耕地は眠っちゃって
生命の地が見えない。
歴史の悲しみか、満開に咲く桜の花も
見る人もいず、地に這うように咲いている。
川辺の土手を見れば、来た方の土手が高く、
俺が向かう方の土手は低くなっている。
ここにも犠牲や差別を見てしまう。
広い農地がはさんだ小高い丘の上を
一羽のキジが歩くのを遠目で見たが、
俺がいたビルの2階から見た
数Km四方の地に人っこ一人見えない。
土地の人から、
「のんびりして良いとこでしょう。
又いらしてください。」
の声に、腹ん中で
もう結構ですと答えている。
その地から一歩足を進めて旅に行くつもりで
あったが、気付くと一足先に道場へ向かう
俺の姿が車中にあった。
雀鬼
■2008年4月7日(月)その2 Vol.737
パーティーのこと。今日この頃のこと。
凄い勢いで回転していて、
話したいことがたくさんあるが、
今日は、昨日のことを書いておこう。
道場には、相撲部屋のような部屋制度があって、
主だった者が部屋を作り、
何人かづつが、その部屋のお弟子さんとして加入して、
一期の仲間作りを行う。
一期、 本戦が終われば、部屋ごとに
お疲れさん会の打ち上げが、行われ続けて来た。
ですが、
俺はどの部屋にも属しないはぐれもんですから、
今まで部屋の打ち上げなどに呼ばれることもなかった。
ところがどういうわけか、
昨日遅めの打ち上げが志村部屋であるという。
午後2時頃から始まると、
前日に志村から知らされていた。
この3週の中で、
俺の周りで大きいパーティーが3つあって、
「その3つをどうにか片付けた」
という気持ちが、俺の身体と心を動かす。
「たった一人の打ち上げだ」
それが延長して、志村部屋の打ち上げに乱入する。
我が家の裏通りは、桜の花が満開。
桜祭りのパレードが行われ、車乗り入れ禁止となっていて、
歩いて少し遠くに止めて迎えに来てくれた今川カーに、
志村と伴に来る。
打ち上げ会場は、なんと
古島&理絵ん宅。
沓掛、ノックに名古屋からJr. の竹田が待っていた。
七名でやるところに、一名が強引に食い込む。
「まさか会長」
全員おったまげ。
特に、わざわざ深夜バスでかけつけた竹田は、
俺の参入にびっくりしたことでしょう。
部屋は、6畳。真ん中には、
先日のパーティーで、高槻支部の山田英樹が贈ってくれた、
ウォッシュレット付き便座の、ダンボールがテーブル代わり。
(せめて、みかん箱位にしろってんだ)
その上に寿司が乗っている。
俺を接待するには、ぴったしいけている。
便座の上で料理を食う(笑)。
8人で、さあーっと寿司を平らげると、
志村がうまいビール飲みたさに、
次はすき焼きだ! と叫ぶ。
その頃には、他の師匠の部屋ではあるが、
大切な仲間である、チャッペと恒が加わり、
さらには歌田の100kgあまりの巨体が加わって、
満員状態の酸欠状態。
こんな空気は10年前、いや40年以上前の学生時代に、
タイムスリップしても思いつかない。
雀鬼会「会長」「雀鬼」と呼ばれる男が、
6畳ひと間で、便器のダンボールの上で、料理を食い語らう。
冗談もほどほどにしろ!
馬鹿にすんな!!
で、1時間もしたら立ち去ればいい。
ところが、陽が落ちても、
うどんを食っちゃ語り合っている。
食って、飲んで、あばれて、寝ちゃって起きた志村が、
終電で帰っていく。
志村部屋の御大将をはじめ、竹田も沓掛も今川も帰ったが、
「俺はまだ居る」
深夜になって
「桂花ラーメンを作れや」
と、古島家にあるもんをみんな食っちまう。
古島と理絵は、早朝から仕事がある。
だけど俺はまだ居る。
歌田も恒もチャッペも残り、志村の弟子はノック一人となるが、
俺は狭い6畳間から一歩も離れない。
何故なんだろう‥‥
とうに12時間が経つ。
酒も1滴も飲まない俺が、そこに居た。
食うもんはあったが、どう見たって難民状態。
それでもいいんだ。
午前3時かあ‥‥
やっぱり、よい仲間達といれば時が経ち、
楽しみをわざわざ作らなくとも、
自然に楽しんでいる皆がいた。
20周年パーティーも凄かったが、
便座を囲む会も、敗けちゃいなかったね。
多分、
史上最強最高の部屋の打ち上げだった
と、思うぜよ。
志村は、ドタキャンはしなかったけど、途中でバックレた。
雀鬼
お寿司と、会長が差し入れてくれた鯛の塩焼き2匹
■2008年4月7日(月) Vol.736
-----------
【選手紹介:その25】
【高槻Jr.:奥井章生】
-----------
高槻の仁尾俊治よりバトンを受け取りました、
名古屋のイケメン奥井 章生です。
道場歴 10年 選手歴 高槻番外1期 高槻Jr.15期
普段は名古屋道場「風」に通ってますが、
師匠である高槻塾のマネージャーと、
兄貴分である金村師匠に、
男の背中を学ばせて頂いてます。
雀鬼流に出会ったのは、二十歳の頃、
先輩(高槻番外 堺 隆史)が寄せ書きに
書いた「土に還れ」という文字でした。
なんのこっちゃと思っていると、
先輩から牌の音ストーリーズという本を渡されました。
麻雀で勝ちたいという程度の気持ちでしかなく、
20年間無敗の秘技とは?
と読み進めていたのですが、
いっこうにそういったものは見当たらない。
そんな時、
「日常生活をそのままで麻雀だけ
強くなろうたってそうはいかない」
という言葉を見た時は、
ものすごい衝撃を受けました。
なんかよく分からないけど、
これや!と思いました。それから
「情けないことはしない」
会ってもない会長に今の自分を
見透かされているみたいでした。
だから会長に初めて
お会いするときは怖かったです。
全て心の中を見透かされるんじゃないかと。
情けないことをいっぱいやってました。
今も変わらないですが(笑)。
今は隠しても無駄ということが
わかったので(笑)、会長と一緒にいれる時間は
緊張はしますが、楽しい気持ちのほうがほとんどです。
高槻塾がオープンして間もない頃、
初めて雀鬼流麻雀道場に足を踏み入れました。
それほど真剣にもなれず、
なんとなく通っていていて、
フリーでカンチャンツモをした時に、
マネージャーに「引きが強いね〜」と言われ、
マジでとらえ調子に乗ってるようなクソガキでした。
そしていつの頃からか高槻塾にも雀鬼会Jr.が始まり、
当然のように予選に落ち、
番外リーグをやっていた時のことです。
一人がミーティングかなにかに
遅刻か無断欠席して、
全体の雰囲気はそいつ一人の責任という感じでした。
その時、マネージャーに
「おまえらは冷たい」と言われました。
これは全員の責任だと。
それが自分の中でものすごい衝撃でした。
そんな感覚は今まで全くなかった。
遅刻してきた奴よりも、自分たちが叱られている。
そして、叱られているんだけど、嫌じゃない。
むしろ、そんな感覚がない自分が恥ずかしかった。
叱られるってなかなかない。
それも叱られて嬉しい、みたいな感覚。
(決してマゾではありません)
きっと、素直になれるんだと思います。
あったかい人のそばに居ると。
そういったマネージャーの発する
雀鬼流イズムは、時には厳しいけど、
心の中に持ってなくてはならないものだと、
必死にしがみついてやってきました。
当時の兄貴分である
末廣さんや紙崎さんに引っ張られながら。
そして高槻Jr.の決勝に毎回来てくださる
会長始め本部の選手の方たちとの
ふれあいがあって、今の自分に至ってます。
道場に通って、自分のどこかが
変わったということは大してないですが、
ただただ雀鬼流に出会えて良かったと思うばかりです。
道場ではどんなことをやっているかというと、
さっき叱られる話がでましたが、
普段の道場では笑っている時のほうが圧倒的に多いです。
高槻にいるときは、九州の〇ちゃんの
投げる球を受けたり返したり、
遊んだりしている(遊ばれている?)感じです。
名古屋では本部に行った人や
高槻に行った人の話を聞いて学んだり、
いじったりいじられたり。
現場にいないとなかなか伝わらないんです。
だから現場が大事なんですね!
HPを読まれている方も、
一度は道場の雰囲気を味わってほしいです。
自分たちは会長やマネージャーにお会いすることが
できますが、近くに道場がない方が、
一人で雀鬼流をやろうというのは大変だと思います。
なかなか足を踏み出せない方もいると思いますが、
大丈夫です、こっからです!一緒に遊びましょう。
雀鬼会最強の師匠にして、麻雀の弱い弟子ですが、
そろそろその称号に終止符を打とうという所存です。
それでは、明るいけど麻雀が弱い
という同じ悩みをもつ下北の吉田戦車さん、
よろしくお願いします!
■2008年4月5日(土) Vol.735
多数の一般の方々から、20周年パーティでの
我々が「やっちった事」へのメールが届き、
花岡も嬉しい悲鳴を上げていることでしょう(笑)
その他にもお手紙を沢山頂いて
改めて、やって良かった、出来た喜びをかみしめています。
鍵山相談役と俺との名コンビ(笑)
間合いの取り方は、何時もながらという感があり、
甲野先生が町田道場で人気がうなぎ登りと
なっていたがどういうわけか、3番バッターである
精神科医の名越先生の時にも一緒に上がってくる。
御二人は仲がよく気が合う
親友であることは重々承知であったが、
バッターボックスに二人立っちゃあ投手は
投げられないということで、又俺の中から悪戯心が起き、
お話しの途中で名越先生が甲野先生に
話を振ろうとする場を読んじゃあ、
俺が意味なく名越先生に突っ込みを入れる
っていうことで、とうとう最後まで
隣に座ったままでお話が終わってしまう。(笑)
俺って邪魔者。
俺って意地悪だったよな。
でもさぁ、誰れもが持ち合わせる精神的な病いや
狂いを短時間であったが気付かねば
「危い」っていうことは会場に伝わったと思うよ。
その分、名越先生のお話しは誰一人他人事じゃ聞けない
生の現場の話しで俺も凄え関心があった。
今ね、名越さんとの対談本が進行中ですから、
続きはそちらで読んで下さいね。
精神とは見えない存在だけに
重要だし危険でもあるんだよな。
四番バッターは、陽明学研究家の林田明大先生だってェー(笑)
俺は何時も「あきおちゃん」と呼んでいる仲。
あきおちゃんには、四番バッターとしての
ホームランを期待したでしょうが、そうは問屋が許さない(笑)
あきおちゃんが忙しい中、寝ずに準備して来た
資料を演台の上ですぐ取りあげちゃった(笑)
あきおちゃんは、顔を真っ赤にして
「資料を返して下さい」
と再三願うが、その日は返すわけがない。
仕方なくバットも持てないあきおちゃんが
「素」で話し出し、どんどんフルチンになっていく(笑)
俺も何度か林田先生とは
講演会を同時に開いたことがあったがはっきり言って
素手で打ったその日の話しが一番学べました。
四先生方のためになる話し
もとい「どうでもいい話し」は、
俺が言うのも何んだが全員「素の味」が
出て本当に良かったと今でもおもっちょります。
最後まで八時間以上も
お付き合いをして下さった甲野先生。
一般の方からサインを頼まれ、
自ら座ってなさった椅子を机代わりにして
御身の膝を汚れた床につけて、
ひざまづいてサインをしなさる
相談役の姿に美麗を感じた。
雀鬼
■2008年4月4日(金) Vol.734
2番バッター甲野善紀先生。
「声はすれど姿が見えぬ」
ありゃりゃ。
あれほどの存在感を持たれた、
甲野先生の姿が舞台に居ない。
久し時が過ぎてふと隣を見ると、
「私って小さい頃、極度の恥かしがりでしてねぇー」
と、じっと隣に座る、
俺の椅子を見つめている甲野先生の姿が現れる。
俺が相談役に使わして頂いた忍術(?)とは違う。
あの巨木たる甲野先生が、
子供の頃の自分に還っていなさる。
「先生、下を向かないで、真っ直ぐ見ましょうよ」
と問うても、
やっぱし、俺の方をちらりと見てイスに目を向ける。
「先生。人とお話される時は、人の目を見ましょうよ」
とさらに突っ込む。
俺の中では、これから話されるどんなお話よりも、
甲野先生があれほど童心に還られた姿を
見られたことが最高に嬉しかった。
あの瞬間、甲野先生と手と手を握り合って、
「やったぜ、ベイビィ」
と呼びたくなるほど感激した。
三先生は、明日が早かったり多忙に追われたり、
中座を惜しまれる姿があった。
しかし甲野先生は、二次会の最後の最後まで、
我々が次から次へと引き起こす、馬鹿っぷりや、
落っこちに、時には苦悩し(笑)、
それ以上に笑顔が自然にうまれ、
場内に一点の明かりを灯し続けてくれていた。
丸い来賓席のテーブルに一人残って、最後に舞台で
「雀鬼会の皆が、桜井会長の生命維持装置に
なっているのを、まさに感じた」
流石は先生、朝から体調をくずされている中、
その日一日の全てを見て、
的確な的を一言で言い当てて下さった。
会が終わってからも、あっちらこちらから、
甲野先生が身近に感じられたという声を聞く。
「それだけでいいんだ!!」
その意味は、
先生と道場生等が感じ合えたということで、
パーティーは大成功だったんだよ、
という俺の気持ちが動く。
甲野先生も凄い人。
それを乗り越えた壁の向こうに、
もっともっと素敵な先生の存在を、
今回見つけた者達が何人いたことだろう。
俺を筆頭に、
町田勢は確実に新しい甲野先生を発見できて、
皆して甲野先生との距離感が自然に近くなった、
喜びの声が舞い上がっていた。
「甲野先生もかわいいよな」
だろう、みんな。
雀鬼
最後、甲野先生のお話で、
引き潮の後にあった意味に気付いた方も多かったようですね。
最後までありがとうございました(花岡)。
■2008年4月3日(木) Vol.733
定時に第一部が始められた。
思ったより小さい会場を選択した為に、
来客者は小さめの椅子に詰め込められる。
わざわざ参加して下さった皆様方には、
窮屈の思いをさせて「ゴメンナサイ。」
ライトで照らされた舞台に立つ。
そこには緊張感も緊迫感も、何も入らない。
何時もの俺の姿があった。
有り難いことに、来客の皆様の視線が
一点となって俺のところに届く。
すし詰め状態の来客であったが、
俺とそちら様とは一対一の感覚であった。
礼とか躾とか作法とかを
何かの書から学んだ方より、
心配りや立ち振る舞いが最高な、
相談役が自然な御姿で
一番バッターボックスに立って下さる。
何も語らずしても、相談役の立ち振舞いだけ見れれば
それで良しなんですが、相談役ののっけからの
四先生によるとってもいい話コーナーが、
「良い話どころか、どうでもいい話を・・・」
で一本取られ、会場のムードが一気に和む。
一部の企画は俺との対談形式で無い、
四先生、御一方一方のお話コーナーだったんだが、
何時の間にか相談役と俺とが
「ふれあいの会」ペースとなり、
二人して良質のボケとツッコミの漫才(笑)
会場を有効に使うために、
前方左右の他に後部の席も設置し、
気持ちの良いだけで、相談役との
ふれあいの会の延長戦が伸びていた。
あれほどの方なのに、何時も、誰にでも
自ずから目線を下げてくださる。
企画の第一部の看板に偽りがあって、
本当は相談役がおっしゃる
「どうでもいい話」が等身大でしたね(笑)
どうでもいい話でしたが、パーティー後、
出席された方々から多くの賞賛の声が
毎日メールで届く。
皆さん、相談役が
「どうでもいい話」ったら、どうでもいいんだから、
あの日のお話は忘れちゃって下さいね。
雀鬼
この瞬間、会場の空気が変わりました。
ボイスの方にも沢山、当日の感想メールが頂いています!
■2008年4月2日(水) Vol.732
俺が礼を持ってして
接しなければならない方が御一方いる。
そういう御仁が一人いるだけで有り難い。
その御仁に無礼を働く者は俺が矢面に立つ。
昨年その御人が誕生された日に、
側近の方にプレゼントの用意を伺った。
「なんなら俺の命でも差し上げます」
と自然に声が出ていた(笑)
その御仁は御忙しい中、娘の婚儀にも出席を賜り、
次週は我々の仲間が作る
20周年パーティーにまで足を運んで頂く。
正直今回のパーティーの企画は、
一部は俺が承知した上であったが、
二部の半分以上は俺には一切内緒の上で、
裏で楽しみ事を道場生等が準備してくれていた。
ですから俺なんか、会場は下見で一回行ったきり。
後は道場生と出たとこ勝負という感でその日を迎える。
裏の準備を早く見るのも何かなーと、
30分ほど前に会場入り。
「相談役が先にお見えになられております」
主催者である俺が、大切な来賓であり、
その日パーティーの席でお話を頂く方より遅れを取る。
御仁に対して無礼者がこの俺。
「やっぱりな、流石だな」
と嬉しい気分で階段を駆け上がる。
奥まった小部屋のゲスト控え室に御仁、
相談役の何時ものような笑顔が見てとれる。
2名の来客を背に、相談役が入り口の方を向いて、
立って話をされていらっしゃる。
そこで、楽しいからこそ俺ん中の独特の遊び心が動く。
瞬間我が身を相談役等の意識の外側に置く。
すーとそのまま狭い入り口を抜けて、
控え室に足を進める。
相談役の向かれる目の前へ進み、
化身の術が通じた事を察する。
すーと相談役の横を触れてから、
相談役の後ろへ回り身体を密着させる。
相談役と俺が一体化された感覚だけを感じ取れる。
あれほどの気付き・気遣いの達人であられる
相談役であってしても、久し俺の存在に気付いて下さらない(笑)
お付きだったスタッフの橋本が、又会長が
忍びの術を使って遊んでいるなという顔をして、
自分も楽しんで見ている。
相談役も御相手のお二人の方も
全く俺の存在に気付かず、話だけが進んでいる。
久し時が経って、相談役が背中に何かが
密着したことに気付かれ、後ろを向き俺の目と重なるが、
そんなはずは無い、と振り向いた顔を元に戻し、
数秒たって意識の中に入った俺に気付いてくださり、
どうにか御挨拶が出来た。
パーティーが始まる前に、
相談役と俺とのこんな面白いシーンがあったんです。
雀鬼
20周年のお祝いで高槻塾から贈られた
おまるに座り、用を足す会長。
でも、こんなとこでやらなくったってねぇ。
■2008年3月31日(月)その2 Vol.731
20周年パーティーはあっという間に終わっちゃった。
一部と二部で8時間程はあったんだけど
「さぁ行くぞ」 と走り回っているうちに終わっちゃった。
前日に明日は楽しみなパーティーとわかっていたんだが、
町田道場で一人ポッチの気分となり、淋しくなって
卓に座って一人して136枚の牌を一枚一枚卓上に打ち出す。
牌が大切であるごとく、
俺の周りには136人の大切な人たちが存在する。
俺のような微力な人間には136牌、
いや136人で精一杯。
それ以上拡げたら俺の遊びが成立しない。
あの方、あの御仁、あの子、君、
おまえもだよ、と数えて136人。
それ以上は俺の領域外です。
そんなことを感じながら一牌一牌を卓上に打ち鳴らす。
全部打ち終えると隣の卓でチャッペ等が麻雀を打っていた。
スタッフをどけて俺が座り、打ち始める。
トイメンのチャッペに向かって
「今日は手加減しねぇぞ」
「ハイ、自分もです」
と返ってくる。いい根性だ。
雀鬼会の会長の姿が一打うつごとに消えて行き、
20年以上前の雀鬼という俺が姿を現す。
こうなったときの俺は強い、半端でない危さを見せる。
途中から、何時もなら手を抜いて打ってあげる理絵ちゃんが、
事の次第がわからず、珍しく会長が打っていると卓に混ざるが、
俺の打ち出す牌の音を聞いてすぐに
そこには何時もの会長がいないことを感じ取り、
必死で打ち始める。
3人がどんどんどんどんあがりから遠ざかっていく。
すぐに誰もあがれない流れが生まれる。
外野は今日の会長は鬼だと察し、
点棒が俺のところへ集合するのを、
叩かれる三人と鬼をニヤニヤしながら眺めている。
これじゃ何度やっても同じこと。いわゆる一日トップの一人打ち。
五、六回打ってもういいやと卓を離れて鬼から会長に戻る。
町田ん家の子等は
「いいもん見させていただきました」
と、勝つどころか一つもあがれずしても大満足。
そりゃそうだ。
こんな打ち方、どんなに金を積まれようが絶対やらねぇしな。
多分、あの打ち筋はパーティーより凄みがあったと思うぜよ。
雀鬼
会長、ご講演くださった先生方、道場のみな、ご来場の方々、
みなさんお疲れ様でした!!(花岡)