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■2008年3月31日(月) Vol.730

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【選手紹介:その24】
【高槻Jr.:仁尾俊治】
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おはようございます。 高槻塾の仁尾俊治です。 本部二十周年おめでとうございます。 そしてありがとうございます。
高槻に初めて行ったのが約十年前で、 気がつけば雀鬼流の二十年の歴史のなかで ほぼ半分の時間を過ごさせて頂いています。
最初に雀鬼流の事を知ったのは高校一年のときで、 ちょうど家族で麻雀を覚えたての時で、 兄貴から『こんな人がいるよ』と 『近代麻雀ゴールド』をわたされて、 役も点数計算もよくわからないときに 会長のコラムで『一点打ち』というのを 一生懸命読んだのをよく覚えてます(笑)
当然何がなんだか解らなかったわけですが、 それ以来必ず23日には『ゴールド』を買いに行くようになり、 レンタルビデオショップに行っては『雀鬼』をかり、 どんどんのめり込んでいきました。
正直『雀鬼』には興味はあっても『雀鬼流』 というのはイマイチピンときませんでしたが、 ふと『第四回麻雀最強戦』のビデオを手に入れ、 佐々木さんの勇姿を見ていっぱつでファンになりましたが、 当時高校生だった自分にはなかなか道場には行きずらく…… というよりは行けるわけもなかったわけですが、 大学生になり兄貴に連れていかれたのが『高槻塾』でした。
いまでもよく覚えてますが、 雑誌や漫画でしか見た事がなかったマネージャーと 初めて会うことでき、優しく笑いかけていただき 『じゃあ、ちょっと打つか??』と、 気がつけば同卓させていただいていて、 一打一打正確にきざまれていく打牌に ただただ見とれてしまい、マネージャーから放たれる 一言一言が胸を打ち高槻塾にかよいだす事になりました。
マネージャーから教えて頂く事、本部に行って教わる事、 一つ一つが自分にとっては宝物で、 礼儀も言葉遣いも上下関係も全くわからなかった小僧に厳しく、 温かく教えていただき、『感謝』という言葉をいうことより 自分が同じように種をまいていけるように ならなければいけないと今は思います。
まだまだできてない事だらけですが、 上をみるだけでなく足元もしっかりみて 高槻塾という東京とは少し?離れた場所で マネージャーに頼るだけでなく、 自分達でどんどん動いていけるように 高槻塾生共々やっていきたいです!!



それでは次は時々間違えられてしまう(笑) 名古屋道場の奥井章生さん、よろしくお願いします。

■2008年3月28日(金) Vol.729

このHPが世に出てから初めてのお久し振り、 一週間この場を留守にしちまった。 これが当たり前、このペースで良いんだよと、 花岡や皆さんの声が聞こえてくる。
本日は、我等の道場である 「牌の音」の20回目の誕生日。 こんなにも長く続けてこられたのも、 全て皆さんのおかげ。 心から感謝致しております。
そして明日は俺と道場生等が中心の、 20周年を祝うパーティーが開かれる。 皆して楽しい、良い会がきっと出来ると確信しています。 去年からこの日に向かって、 とにかく進もうと強く思っていた日が、 もう明日にやってきちゃうんだね。
どういう訳か、この日が来るまでに俺の身の周りが超多忙。 先週の日曜日には、一人娘の婚儀が 急に決まって割り込んで来て、その日が来ても本心、
「めんどくせぇこった」
という気持ちが動かなかった。 3日徹夜の中日が式だったんだが、 式場についてもその気持ちは変わらず、 傍にいた道場生に着いた早々、
「もう帰っちまうか」
これも俺の感性から出た本音。
何かが俺に「めんどくさいんだよ」と教えてくれている。 それは式が終わっても変わっちゃいない(笑) 笑っていてもめんどくせぇんだよ。 嫁に出す父親の気持ちとか照れとも違うんだぞ。
それにしても何の因果か、 ラジオで哲学を語るなんていう番組を 生で一時間半もやっちゃって、深夜に終了。 ラジオ局はあの六本木ヒルズにあってね。 あんな巨大なビルん中で 哲学を語るなんてこと自体が嘘っポイやね。 だから俺にとっちゃ、ちっとも面白くなれない時間だったよ。
そのあくる日は道場にフジテレビがやって来る。
「テレビ局って何で態度がでっけぇんだ」
がテレビクルーに向かっての第一声。
「人間の上にテレビ局ってあんのかよ」
が第二声。
確かにテレビって巨大化し、どこかに頭ごなしに 「出してやるんだぞ」があると思う。 こちとらは、そんなもんに 頭を下げてまで願う気持ちがもうとう無い。 言う事だけ言って、後はしっかり取材させてやった。 その傍じゃ朝日新聞の熱血記者の佐藤君が取材を進めている。 この光景はどう転んでも雀荘ではない。
巨大メディアに少しも動じず、 道場内では何時ものように楽しい馬鹿笑いが飛んで来て、 本当は俺が一番取材やりにくかったんだよ。 でもいいんだ。 とにかくクタクタだが、明日のパーティーへ突入する。 俺らしいっていえば俺らしいやな。
明日は皆さん宜しくね。

             雀鬼




パーティーを前に、一人卓に向かう会長。

■2008年3月25日(火) Vol.728

ご無沙汰しております(?)花岡です。
20周年パーティまであと4日と迫った中、 日々準備が進められ、いままで机上の計画だったモノ達が 徐々に姿を現し、具現化し、卓を圧迫し(^_^;)、下北道場も もはや、舞台裏の小道具部屋状態になっています(笑)
見てのお楽しみにしていただく為、 会長、下北にはいらっしゃらないでくださいね!
今日の午前中はなぜかサカナ屋さん達と 道場内で打ち合わせが行われていました。 当日こられる方は、なにが起こるかお楽しみに!
さて、以前にも少しお知らせしていましたが、 この所、会長のラジオ、テレビの出演が続きますので、 道場内にはこんなポスターも貼られています。



忙しい時ほどいろいろ重なるものですが、 あと4、5日突っ走って行きたいです!押忍!

■2008年3月24日(月) Vol.727

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【選手紹介:その23】
【高槻Jr.:宮本一宏】
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ノックさんよりご指名頂きました。 高槻塾のおバカ宮本です。
高槻塾歴は9年、高槻Jrは16期、 本部扱いという立場を頂いて、 高槻枠として本部Jrでも 闘わせて頂けるようになってから6期たちました。
今年の1月に高槻塾の10周年パーティーがあり、 会長をはじめ、本部の皆様、たくさんの方々に 盛り上げて頂き、一生の思い出になるパーティーを みんなで作ることが出来ました。 本当あっという間の10年、自分にとっては あっという間の9年だったと思います。
会長を知ったのは13年前。 初めてお会いしたのはその4年後。 知ったのは、いとこがきっかけでした。 いとことある日、一緒に麻雀を打っていると、何かの話で 「麻雀の流れがわかる人は桜井章一しかいないよ」 と言われ、流れ?桜井章一?となり、 それまで買った事のなかった近代麻雀ゴールドを始めて買い、 会長の存在を知りました。
ゴールドを読んでいくと、 ほとんど会長は麻雀のことにはふれておらず、 その時読んだ中にあった
「当たり前のことを当たり前にやる」
という言葉は今でも心に残っています
その当時だらしなく、いい加減にすることが多かった自分は (今でもそういう所は多々ありますが) このままでは「イカン」と思い、甘えていた実家を離れ、
「楽な道より厳しい道」
と会長がどこかで書かれていた言葉をたよりに、 神戸の日本料理屋へ修行に入りました。
今思えばいとこが会長の話をしていなければ、 今とは全く違った道を歩んでいたかもしれません。
神戸に来て一年後、高槻塾のことを知り、 高槻塾にいつの間にか通うようになっていました。
マネージャーと初めてお会いした時は、 今まで見てきた人にはない 違う何かを感じたのを覚えています。
そして気付けば高槻に引越し、気付けば毎日道場に通い、 今ではコバンザメのように、 マネージャーの側にいさせて頂いています。
会長、マネージャー、雀鬼流の仲間が好きで、 本当、それだけで道場に居させて頂いているのだと思います。
思えば、本当に濃いお付き合いをさせて頂いています。 昔に比べれば立場も変わり、 今は兄貴として、 男としてどうあるべきかを マネージャー、 選抜の皆さんの背中を見て 教えて頂いている所なのだと思います。
これからも皆して道場を守り、 今まで以上に濃い付き合いをしていければと思いますし、 ノックさんも書いていましたが、 自分も目標の一つは雀鬼会選抜選手。 弱い自分と闘って、少しでも かっこいい男になれるようやっていきます。



それではちょっと間、高槻でいかせて頂こうと思います。 本部の皆様しばしお待ちを・・・・。
次は高槻のもう一人の本部扱い、大工の俊治、宜しくお願いします。

■2008年3月21日(金) Vol.726

熱血ライター神山さんが風の如く飛んで来た。 もう一方もハリケーンのような人。
風の如くやって来て、 風の如く去って行くのかと思っていたら、 もう一方の人が今回は神山さんに 「時」を譲ってもらいます、 とあの手、この手で俺ん中に突っ込んでくる。
7時から始まった取材は12時前に神山氏が、 今から成田空港の方に取材で行くという予定で、 終了かと思いしや一方の方は残り延長戦に持ち越す。
大新聞の記者が話しが進むにつれて、
「まだ自分には分かっていない」
「おもしろいです」
と勝手に合いの手を入れる。
深夜2時を過ぎる。 大新聞の記者は
「今日んところは一旦引き上げます」
と全くもってやりたい放題の突っ込み放題(笑)
7時間を過ぎる取材を待っててくれた道場生から、 帰れ!!コール。
その記者
「今日はボクがゲストです」
と道場内を最後まで仕切るが、 塩を撒かせて帰って行った(笑)
神山さんもそうだが、 この記者にも確かに魂がある。
こっちは大新聞だろうが、 何だろうがっていう気持があるから、 別に構えもしねえが、 確かに手強い玉が飛んでくる。
麻雀と大新聞、 どこに共通点があるんだろう。
まだまだ俺達は麻雀からどんどん離れて行く。 それも運命、俺と牌との縁の絆の果てかも知れない。
「近くて遠きは麻雀なり」
なんてねぇ。

             雀鬼




大新聞さまであろうと町田道場のいつもの雀卓テーブルで(^_^)

■2008年3月17日(月) Vol.725

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【選手紹介:その22】
【Jr.:ノック】
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竹田さんよりバトンを頂いた、 牌の音スタッフ、ノックです。 牌の音歴はもうすぐ五年が経とうとしており、 スタッフ歴もそのまま、五年になります。 番外二期、Jr七期です。
道場でノックと呼ばれ続け、 今では本当の名前を忘れてしまうくらい ノックでいますが、初めて会長とお会いした時、
「お前は21世紀に道場に来たから、  あだ名はアトムだ。」
と言われたのですが、 次の日にはノックになっていました。 まぁ、道場に来る前からもノックで 11年間呼ばれてきたので、 道場と合わせて16年間ノック。 もうぼくにとってノックは運命だと思ってます。
経歴は少し変わっているのですが、 スタッフの前は広島で保育園の先生として働いていました。 その保育園が一年間契約の更新で次が決まっておらず、 「憧れていた牌の音に行くのは、このタイミングしかない!」 と思い、道場に電話をし、 「働かせて頂けませんか?」と訊ね、 四日間通い詰めて最終日に面接をしてもらい、 スタッフとして働かせて頂くことになりました。
面接の時まず小島サブマネに言われたことは、 「仕事ではなく、修行だと思わないと続かないよ」でした。 感覚的には、毎日が学びであり、 道場だけではなく他の職場・どこに言っても通じるような 心構えを教えて頂いています。
牌の音が道場として、皆で学び、遊び、 楽しめる場所であるように、護っていけるように、 会長に気持ちよく過ごして頂くことが スタッフのやるべき事であり、 道場でスタッフとして学ばせて頂いた事は、 道場がもし無くなった後でも 生かしていかなければと思います。
道場に来て意識的に変わってきたのは、 やはり「新しい家族が出来た」ということでしょうか。 それだけに道場という皆と会える場は、 大切に思っています。 ジュニアでやらせて頂いて七期が経ちましたが、 今の目標は最初と変わらず、雀鬼会選抜でやりたいです。 金村さんを始め、本当に格好良い方々と闘いたいですね。



では、ジュニアで何度も一緒に闘わせて頂いた、 高槻の格好良い男、宜しくお願いします宮本さん!

■2008年3月15日(土) Vol.724

超忙しい合間を縫って、 埼玉スーパーアリーナまで恒ちゃんと二人きりで、 総合格闘技「DREAM」開幕戦を見に行く。
町田を一時少しに出たんだけど恒ちゃん、
「うんともすんとも」
言わない。
VIP席でミルコが1R一分で相手をKOしても、
「うんともすんとも」
言わない。
試合の合間に長い階段を登って、 二人前の焼きそばを買ってきてやっても、
「うんともすんとも」
言わない。
試合は10試合行われたんだが、 さすが恒ちゃん、 眠っていた分けじゃないがやっぱり
「うんともすんとも」
言わない。
帰りも弁当を買ってあげても、
「うんともすんとも」
言わない。
結局9時間二人きりだったが、 恒ちゃんは、
「うんともすんとも」
言わなかった。
恒ちゃんクラスのVIPにもなると、
「うんともすんとも」
言わなくても周りが、 勝手に動いちゃうんでしょうかね。

             雀鬼




DREAMチケットと、うんともすんとも言わない恒

 

■2008年3月14日(金) Vol.723

熱血ライター神山め!! 俺を露出狂扱いしておきながら、 読売新聞の次は、朝日新聞の記者を連れてくる、 というメールが届く。
そりゃ俺だって人間の端くれやってきたから、 安全というおくるみに包まれたい時もあるが、 時としては真っ裸になりたい時だってあるんだよ。
吸入と排出があって人間は生きているんだから、 吸い込むだけじゃなくて吐き出すことも必要なんだ。
でもさぁ確かに、 マスメディアや他の分野でも、 出てばかりいて平気な人間が増えたもんだよな。
そういえばあの天下のイチローさんが、 10回に3回以上は出塁やり続けたもんが、 今年のオープン戦上では出塁が0であるらしい。
彼には今年8回連続200安打の 記録が懸かっているらしいが、 麻雀でもさぁ、 昔は8回連続してあがり続けると
「パーレンチャン」という「役満」
扱いされるルールもあったほど。
8回連続の壁って立ちはだかってんのかも知んないね。
まぁ彼のこと、 身体の回転がスムーズにいけば、 又やるべきことはやって見せてくれることでしょう。

             雀鬼




パ、パーレンチャンですか(汗) できれば一発で決めて頂けると、 はやくラクになれるのですが…… (清川(^_^;)

 

■2008年3月13日(木) Vol.722

よく分からんが、多分だが 
3月25日(火) 22時10分 から 23時30分 FMラジオ JーWAVE (81.3FM) 「PLATON」 
というラジオ生放送に出るらしい。
人生を生で活きてきた生意気な俺が、 一時間半も公の場で話しちゃうらしい。
長いしさあー、放送禁止用語とか知らねえし、 その上タバコも吸えないらしい。 以前ラジオに出た時は灰皿が用意されていたのにな。
「完全」 「完璧」 人間にゃほど遠い俺なんか いまだいけないタバコをやめないでいる。 その上ラジオって遠い昔って感じ。
子供の頃はラジオにしがみついて浪速節を楽しみ、 思春期の頃には海外のミュージック番組である 「ユア・ヒット・パレード」ベスト10を毎週聞いちゃ 胸をふるわしていたものである。
その時以来、ラジオとともに 音楽も俺のそばから離れていっちゃった。
でもねえ、ビートルズは武道館で見たよ。

             雀鬼




自然の音を味わう。

 

■2008年3月12日(水) Vol.721

どうせ世界中を飛び回っている、 熱血ライターの神山氏からメールが一通届く。
「ご無沙汰です」
ってそりゃそうだ。
この人と来たらたまに逢っても 風のように去っていっちまう。 そんでもって、 あっちこっちで風を吹かしちゃ飛んでいる。
そりゃそれでいいんだが二行目に
「最近の会長の露出がすんごいですね」
この人知ってんのかな? 俺が露出病(狂)だっていうこと。 道場だけで身内の輪ん中で
「フルチン」
になってんならまだしも、 確かに俺みたいのが公の場に出ちゃまずいっすよね。 捕まんねぇように気いつけますわ。
とは言っても、 今日も俺新宿まで出て露出しちゃって、 名越康文精神科医の先生から、 個人的に俺の精神状態の危なさ、壊れを 四時間ほど診てもらう。
さすが名越先生、 俺の失調振りをニヤニヤしながら、 楽しんで診ていなさる。
俺の壊れを心配されてか 甲野善紀先生が付き添っていて下さり、 俺が発する具合の悪さを
「やっぱりな」
と二人して交信を送っていなさる。
でもねぇ、 俺もう少し身体が動く間はやっぱり、
「フルチン」
でいる方が気持いいんです。

             雀鬼




写真は2007年パラオの海岸で。


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