■2007年11月26日(月) Vol.640
HP原稿一本送ったんですが
ボイスの方へ飛ばされちゃいました(笑)
雀鬼流は内容が無い、
意味が無いと駄目なんだから仕方ないですね。
先日、熱血ライターの神山典士が道場に現れた。
彼は何時も忙しいのか、
風のようにやってきちゃ風のように去っていく。
自然の風というより、人間の持つ彼なりの生き様の一方通行(笑)
酒の席では何時だってじっと座っちゃ酔いしれている。
その姿に彼も人間であることが計れる。
「何しに来たのよ」
「実は本を書き出して20年が経ちましたので記念の御品を・・・」
箱を開ける。
日本の文化、江戸の下町の職人さんが作ってくれた
ほねが16本の洋傘が入っている。
その上「伝説の雀鬼」と名が刻んである。
傘のほねは8本10本12本とかあるらしいが、
16本のほねがある傘は最高品である。
皇室の方は18本のほねがあるものを使っているらしい。
正直、俺、以前にも道場生等が何んかの記念の日に
手間ひまかけた16本のほねのネーム入り洋傘を頂いているが、
もったいないのか今まで一度も雨ん中をさして歩いたことがない。
職人の魂が入ったネーム入り傘が2本になったので
今度は使ってみようと思うが、
忘れたりどこかでなくさないようにしないとね。
俺、人生で自分から一本の傘って買ったことがない。
行った先で雨が降れば必要なんだが、
自分の物、人様の物って、あまり執着がなかったなー。
俺も結構今まで海外にやあっちこっち行かせてもらっているが、
神山さんも取材でモナコとかブラジル、
北朝鮮と40ヶ国ぐらい旅に出ているらしい。
俺とも今年一緒にパラオへ行って鮫と遊んだ。
それにしても彼の行動範囲。
取材して書き出した領域の拡さはでっかいね。
彼から俺も取材を受けたんだが、
彼の20年の作品の軌跡は、
表現者、異文化、アウトローの3軸で成り立っているらしい。
確かに俺ってこの3っつに当てはまるような気がする。
アウトローなー。
俺、常人の道をはずしてるものなー。
雀鬼
■2007年11月25日(日)その2 Vol.639
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【選手紹介:その5】
【選抜:山田 繁】
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雀鬼会一の(ぶち)切れ者の山田 繁です。
高校生のときの近代麻雀ゴールドの記事で、
最強位戦の記事を見たのが雀鬼流を知ったきっかけでした。
ちょうど佐々木丸さんや山田マネージャが優勝したころです。
大学で東京に出てきたので、どんなところかいってみようと
下北沢店にいってみると、会長が下北のほうにお見えになって、
はじめてみた感想は・・・・・・・・やばい!!って感じでした。
とにかく身にまとっている空気が、
見たことないと思ったのを覚えています。
それが12年まえぐらいなので、牌の音暦は12年です。
選手としては、来初めのころに幻のJr.3で、
牌の音同期の金村総括部長としのぎを削った後は、
いるのかいないのかわからない状態がしばらくあり、
その後選手として登場はいつかな?と小冊子をめくると、
なかなかでてきません。・・・・・・・・・
まったくでてきません。・・・・・・・・・
い、いました!約6年前です。
ということで選抜7期目・Jr.3期・番外2期です。
初めて選抜になったとき、
旅行で温泉から別の温泉への移動中に会長から
「七変化は無理だけど、繁も三変化くらいは出来るようになった。」
「出来るということや、優れているということが才能ではない。
変われるということが才能なんだ。」
というようなことを言って頂いた記憶があります。
そして親にも
「いつのころからか感じが変わってきた。」
と言われたのが、道場を続けて来た意味として、
それだけで十分だと思いました。
麻雀を打つことで、麻雀以外の部分で
変わるって他じゃありえないことです。
それでは道場の良い所を、このホームページを
御覧になってる方に特別にお教えしましょう。
道場に来ますとどんなものが得られるかというと、
これがですね、なんと物質的には何も得られないんですね。
見返りがないどころか、
道場生の様々な自己犠牲がなければ成り立たないのです。
というわけで、即物的なものを求めている方には
申し訳ありませんが、道場に来ても何も得られません。
「何にもならないことをやって馬鹿じゃないの!」
と思われるかもしれませんが、馬鹿なのです。
しかし、益はなくとも意味はあります。
益がないからこそ、その過程や努力に意味合いを持たせなければ、
何にもならなくなってしまうからです。
というか、対価のために義務感でやるのってつまんないです。
得られないだけならまだいいんですが、
わざわざ遠くから負けに来る方々もいます。
遠くからでも勝てるなら来易いですが、
わざわざ何時間もかけて負けに来るのです。
常識では、まったくもって正気の沙汰ではないです。
それでも彼らが来るのは、そうして失うものより
自分の中で大事なものがあるからだと思います。
僕は会長を尊敬はしてますが、
崇拝はまったくしてないので、信者ではありません。
僕が信者なら熱心に周りの人を勧誘するところですが、
基本的に道場生が知合いを連れて
来るのを目にすることはほとんどありません。
良いなら広めればいいじゃないかと思うかもしれませんが、
「じゃあ、ちょっとエベレスト登ろうよ。」とは誘えません。
皆、厳しさを知っているからだと思います。
なので、自分の足で最初の一歩を
踏み出して道場に来るしかないのです。
道場に限らず、その一歩を踏み出すかどうか
という選択が、後々に大きく影響すると思います。
うっかり高尾山にハイキングに行くぐらいの
つもりで来て、そのまま富士山頂あたりまで、
うっかり連れて行かれちゃうのもいますが、それもありです。
そうした厳しさを超える楽しさがあるから、
どうにかこうにかやってこれるわけですが、
一人じゃ無理です。周りに仲間がいるから、
やってこれただけの話です。
しかも選抜の本戦って、こればっかりは本当に厳しいんですよ。
何で厳しいかというと、雀鬼である会長がつくる場であるからです。
雀鬼会選抜ですから当然なんですけど。
しかもそこでうまくいかないのが、なにより面白いんですよね。
それでは次はその厳しい雀鬼会選抜を、
全てを背負って登りきり、目下2連覇中の金村総括部長
の一番弟子であるMr.凡事、牧野先生お願いします。
右は、4歳のころから第一打に字牌を切っていない繁くん(^_^)
■2007年11月25日(日) Vol.638
皆さんお忙しいのか、あきちゃったのか、
HPが一週間空いてしまっている。
今まで毎日のように原稿を送っていたんだけど、
これぐらいが平常の進み具合なのだろうか。
このHPも誰かさんに資本投資されて乗っ取られたのか、
相場が動かずストップされているのか、
まさに今の世界の社会を現しています。
二年間俺が手間隙かけて作り上げたHPも
志村ファンドに狙われたら終わりです。
昨日は新横浜の方で
NPO団体の方々に呼ばれて講演に行ったんだけど、
行く前は負担だったんだけど
行ってしまえば俺のペースのまま
どうにか楽しめることが出来ました。
俺を呼んでくれた主催側の責任者のYさんは、
きっと終わるまでハラハラされたことでしょうね(笑)
その会場でも来客された方から
色々とHPの話題が飛び出てきて、
正直、俺が出している本を読みましたというより
HPを見ていますという声のほうが直接的で生に感じていた。
会場には障害を持った方もいらして、
手話の方が二人で必死に伝える姿に
改めて人の持つ「手」の凄さを感じたり、
高校生の子が母親と伴に参加して下さって
何か嬉しくなっている自分がいました。
まぁ、良い方向へ俺自身も変化できたのですから
良い一日となりました。
来場して下さった皆さんありがとうね。
今日は久し振りの月例会ということで四回だけ麻雀を打った。
弱い者、下手な者に囲まれた数時間でしたが、
それ以上に楽しく打てましたよ。
この文章、花岡と志村の狭間の中で
もしかしたら載らないかも知れません。
それならそれでもOKです。
雀鬼
■2007年11月24日(土)その2 Vol.637
本当に何度もすいません。
志村です。
本当にごめんなさい。
11月19日(月)以降、会長のレポートが更新されておりませんね。
どうされたのでしょうか?
まさか僕にHPを分捕られて嫉妬している?なんてことはありませんよね。
本日、会長は町田道場におられましたが、食事された後、
道場のソファでいびきをかいて寝られておりました。
以上です。
■2007年11月24日(土) Vol.636
度々志村です。
でしゃばってすいません。
今期のスタートで会長がHPで表明していたように道場内では、
「風通しの良い」
「陽のあたる場所」
作りを皆して心がけて過ごしております。
そうした心がけは、道場内だけでなく、
現代の家庭や職場でも必要と言えると思います。
それもこれも、道場に会長がいられるからこそ、
日々修正が効くのでしょう。
今、雀鬼会本戦では、金村総括部長、村瀬道場長、多田審判部長、
佐々木・志村両副部長が監督となって、その他の者を本戦の審判が
自立できるよう指導しております。
何事も他人任せでは自立できないので、今まで主審を
やったことのない選手を主審に立たせ、僕らが監督しているのです。
会長からは、
「マニュアル化しては、本当の審判はできない。
選手の心や動きに関心を持つことが大切」
というアドバイスをいただきました。
世間を見渡すと、マニュアル化したものばかりで、
知らず知らずにマニュアル化してしまいそうな自分がいます。
今の世の中、マニュアル化したほうが楽なのかもしれないし、
多数派なのかもしれません。
少数派である雀鬼会の選手である以上、
楽なほうにいかないようにしていきたいですね。
■2007年11月19日(月)その2 Vol.635
何時だってそうなんだが、
俺の楽しみを志村が何時も分捕ってしまう。
HPも志村にとうとう割り込まれ、分捕られたらしい。
ていうことは、お後は志村と花岡で、
ボケるなり、つっこむなり、切れるなり、怒るなり
おやりなさって下さいませ。
雀鬼
後は、志村くんとくっつ〜で大丈夫です。
ヤンマーお前もか…
花岡
HPを分捕られヤンマーの腹をつねって遊ぶ会長
■2007年11月19日(月) Vol.634
昨日の町田道場では、
理絵ちゃんの仕切りで11月の合同結婚式・・・・
あっ、いや合同誕生祝い会が開催されました。
今月の対象は、ヤンマーと今川さんと僕を含めて5人ぐらいだったかな?
毎月やってんですよぉ!!!
理絵ちゃんって子はですねぇ、
町田道場生全員の誕生日と血液型を完全に記憶されていて、
町田の情報娘と言われてるんですよ。
彼女の場合、町田のことで知らないことは一切何一つないでしょうね(笑)
その理絵ちゃんの仕切りでケーキが出てきて、
それぞれにプレゼントが渡されていきます。
女性の今川さんには、
自分の駐車場から道場までの寒い道のりを自転車で毎日通っているため、
同部屋のノックから温かそうな耳あてと手袋がプレゼントされる。
なかなかである。
そして、師匠である僕にもプレゼントが・・・・・・
と、開けてみると、
先日全国大会で同期の桜であるサイバーエージェントの藤田さんから
いただいたゲーム機のソフトじゃないですかぁ(笑)
ちなみに、肥満でお悩みのヤンマー君には、
師匠の橋本サブマネからマッサージ機のような脂肪取り機とともに、
おまけで、ダイエットポテトチップスとダイエットファンタオレンジが
手渡され、幸せいっぱいのヤンマーである。
よかったね(笑)
ノック君、何が楽しくて僕が家でファミコンしなきゃならんのよ(怒)
うれしくて、うれしくて涙がでちゃいますよ(笑)
志村政憲
■2007年11月18日(日)その3 Vol.633
今週の選手紹介は町田の御大将の志村だが、
「今まで俺が書いた自慢の作は花岡の奴が全てボツにした。
花岡のユーモアとかセンスの能無しぶりは、麻雀と同類」
と、志村がぶつぶつたれちゃ逆ギレしている。
「志村、もしかしたら玉は受けるけど、
バッターボックスにや立てないDH制ってやつじゃねえの」
「う…ん」
今回も志村力を入れて長文を書いたらしい。
さぁどう出るか花岡。
これがセンスの見せ所だぁ。
雀鬼
ああ、あれは長くてつまんないので、載せません。
写真も酔っぱらってるのしかないし、無理です。
選手紹介の写真作るの結構面倒くさいんですよ。
雀鬼流はガチンコなんでホントいつもスミマセン志村さん。
では、次は山田繁で!
矢部ぇ〜、こんなことで1回帰った俺を呼び出すなよ・・・
バイクめちゃくちゃ寒かったよ!も〜無理。
って訳ないっしょ!
これでも一生懸命やってるんですが、
町田の方々にはよく叱られますなぁ。。。
花岡正明
■2007年11月18日(日)その2 Vol.632
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【選手紹介:その4】
【選抜:志村政憲】
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審判副部長の志村です。
選抜選手紹介させていただきま〜す。
牌の音暦 17年ぐらい
選手暦 今期で28期目(Jr6期、選抜22期)
趣味 無趣味です。だからといって、
つまらない人生ではなく、いつも幸せで〜す。
はっきり言って、選手暦長いです。
継続してきた選手暦だけなら現役選手の中で、
一番長いと思います。(多田さん途中で抜けてるからね。)
でも、道場では長くやっている者や年配者が
偉いとかはまったくなく、今やっている者や
今輝いている者が先頭で堂々とすればいいじゃん。
っていうのが雀鬼流です。
だからベテランがふんぞり返っているなんていう光景は
雀鬼流ではありえないのです。というより、
上の立場になればなるほど
やるべきことが多くなり楽はできませんね。
長くやってきた中で、自分自身、
良い時があれば悪かった時もありました。
「もう前へ進めない。」、
「大変だから、もう背負い込んだ荷物を降ろそうかな。」
なんていう弱い気持ちを持ったことも何度かありましたが、
やはり、育ての親である会長の背中を見させていただき、
「自分の大変さなんてまだまだ」
と思ったり、道場にいるすばらしい仲間達を裏切ったり
悲しませてはいけないという思いで、踏みとどまったり、
気持ちが持ってきたというのは過言ではないです。
道場生になって、会長と初めて同卓させて
いただいたのは、まだ十代の頃でした。
僕が麻雀を打っていて、同卓者が抜けた後、
会長が入ってこられました。
まだ、会長とは言葉も交わしたこともないですから、
ハッキリ言って緊張しまくりで
会長のお顔は見れませんでした。
ずっと下を向いて自分の手配しか見れない状態(笑)で、
会長が「ポン、ポン」と東と南を鳴きました。
そこで数順後、会長が僕に
「少年!!積み込んだだろ(怒)」とぼそり・・・・・
ちらっと、会長の捨て牌を見ると・・・
西と北が3枚ずつ置かれていたのでありました(笑)
それがわざとなのか、
しくじったのかなんて聞くまでもないでしょう(笑)
選手になってからは、会長とは
たくさん同卓させていただきましたね。
はっきり言って、会長と同卓すると
麻雀を打たせてもらえない感じです。
これは、体感しないとうまく説明できないですね。
ずいぶんと遊んでいただきました。
思うと僕は、いい年代に生まれて、
会長と出会うことができラッキーでした。
だって、20代をずっと道場生でいれて、
会長とふれあうことができましたからね。
そんなラッキーな人は滅多にいないですよ〜。
というより、誰より一番ラッキーだったのは、
会長のご自宅から僕の家が近かったことなんですね。
全国何百人といる道場生の中で、会長のご自宅から
一番近くに住んでいる男でございま〜す。(ちょっと自慢)
そうしたことから、10年以上道場からの帰り道を
ご自宅まで僕の車でご一緒させていただき、
とても幸せな環境にいると言えますね。
外から見ると雀鬼会って1000打数打ったり大変だなぁって
思う方が多いのでしょうが・・・・
ハッキリ言って大変です。(笑)
それをいかに楽しむかなんですね。
でもね、だからといって決して不自由ではないんですよ。
楽しんでやっていると、それどころか本当の意味の自由
みたいなものが実感できる瞬間があるんですね。
道場内では、道場生同士とても濃いお付き合いを
しているせいか、隠し事はほとんどありません。
基本的に会長が開けっぴろげのおっぴろげ〜(笑)
なので、僕らも自然とそうなります。
何事もイケてる時は、オープンリーチの感覚ですが、
イケてない時はコソコソしちゃいますよね、
そうしたことからも今の自分どうだろうな〜
てことも計ったりしてますよ。
会長とふれあい、雀鬼会続けてきて、
やっぱり普通の人生では見れなかったこと、
体験できなかったことを見たり体験できたと思います。
いつも刺激があり楽しかったです。
道場には、長い歴史の中で、
「あの頃が良かったな〜」なんてのはありません。
いつも「今がベスト」、「今が一番楽しい」でやっていますよ。
次は、雀鬼会1の切れ者(笑)、
山田繁君にお願いしたいと思いま〜す。
■2007年11月18日(日) Vol.631
こんなこたぁ言ったってしょうがないんだが、
ここんところ疲れが溜まっている。
昨日も久し振りにノックに
身体をマッサージしてもらうと、
そのまま少しだけソファで寝入ってしまう。
寒くなって身体が冷えて目覚める。
背中がぞくぞくする。
風邪薬をとっさに飲む。
倒れそうだったが倒れずに済んで、
今日も道場に向かう。
冬暮れの外には木枯らしが吹いている。
歩きながら体力と気力、
どっちが大切なんだろうかと考えている。
こんなことを考えるだけ、
野暮ったくなったってこと。
確かに若い時は体力が持ちそうでない時でも、
気持の持ちようや変化で何くそと凌げられた。
だからって自分の体力を過信したり、
気力が強いなーなんていうことも思っちゃいなかった。
しかし今は何くそっていう気持が出て来ない。
ていうことは気持が変わらない。
ていうことは気力が不足しだしたのかなー
なんて思いながら道場に着く。
道場の暖かさに触れた途端鼻水が垂れる。
ところで昨晩深夜3時45分に
アフリカの人達の写真が落ちてきた。
自然に何かが起きなければいいんだけど…。
ついでだがやっぱり坪子夫婦の
ヨーロッパ式麻雀は危ないです。
東家が打牌を打つ前に西家のママは
平然と一打を打って早打はするは、
8トイツと1アンコの手配から一枚切ったら、
自分の手配が8トイツのチートイツで
あがっていることに気付いたらしく
「ツモ」
と声をあげる。
こんな凄い仕掛けやあがりを見せられちゃ、
さすがの雀鬼も打ち合う前からお手上げです。
原稿書いていたら鼻水が止まりました。
皆さんお大事に。
雀鬼