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■2007年3月28日(水) Vol.440

おはようございまーす、安田です。
今日は久々に春らしく暖かいです。 さて、本日3/28は、
牌の音 19歳の誕生日!!!
会長、おめでとうございまーーす!!!

気が付くとボクも、一歳の赤ちゃんが成人してしまう時間を ここで過ごさせて頂いた訳です。 これから、あとどれ位走れるかは定かではないですが、 また、会長を初め若いみんなに引っ張っていただいて 走り続けたいと思います。
いや〜それにしても会長は 僕の年齢の時には現役を引退して、 道場を開いていたわけですねえ…う〜ん…(^_^;) ともあれ、会長、これからもよろしくお願い致しますm(_ _)m
さて、続いて「シーソーの真ん中に立つ方法」に続く 会長の新刊本のご紹介。
「人生を変える美しい勝ち方」(宝島社)
発売中!!



先日出版された「シーソー」と違い、今回は「勝負」に焦点を当てた本。 会長ならではの勝負論が今回も分かりやすく書かれております。 まだ、読まれてない方はぜひ書店へGO−!!

さて、先日行われた19周年のトカゲ大会の席にて、
「そーいえば俺の寿命は今日までだったよな?」
と、会長が言われました。 そこにすかさず志村が、
「あー、あれは少し延びたみたいですよ、二週間ぐらい」
と、チョーアバウトな発言(笑)。 更に続けて、
「そうだ、仮に4月8日にしておきましょう、ね?」

4月8日の根拠も分からなければ、 人の寿命を簡単に設定変更できる根拠もまったく不明(笑)。 ですが、志村がそう言うんならとあっさり可決。
会長の活動限界まであと11日(笑)。 まだ、時間はありますので、 会長に逢われていない方は、ぜひこの機会に町田道場へお越しください。


志村、言ったことの責任は取れよな……(ーー;)



トカゲ大会で倍満を振り込み、 完全に私に還るトカゲさま(会長、命名)

■2007年3月27日(火) Vol.439

残り100日と信頼おける仲間の 安田さんや志村さんのお達しでしたが、 どうにかやっとこさだが保っている。
「牌の音」19周年までは大丈夫ですよ というお言葉を励みにその日を迎えられた。
先日はその日を祝して町田道場に 60名の選手が集まってくれて 面白い笑いっぱなしの麻雀大会が行われたが 足が痛む俺の足がペナルティが発する度に悲鳴があがる。
その痛みと比例するように 名古屋から参加した岩ちゃんが優勝して 本部は一日のお疲れ損でした。 まさにトンビに油揚げ。
19年通して作り上げた作品を 一匹のねずみに食い荒らされて長い一日は終えました。
       雀鬼




■2007年3月24日(土) Vol.438

第34期雀鬼会が、 選抜、Jr勢の8名による入替戦が行われ、 パセと花岡が勝ち残って残留し、 Jrから古島が返り咲き、 シャボが初の選抜の席に座った。
こっちは動き出したというのに、 俺の体と心がどうにも動きが悪い。 瞬間で回転した俺の動きは 今んところがくがくと動くのみ。 志村や安田が願って下さったように 何時止まってもおかしかない。
そんな時に、道場の前身である 「牌の音」と伴に生み出して下さった 恩人である御仁が「止まってしまった」 親の血を引く兄貴よりも この「渡世」ではお世話になった方。 御仁は一月前に最愛の一人息子を亡くし、 追いかけるように遠い地へ旅立ってしまった。
こんな時ばかりの不義理者だが、 この3日間は御仁は深い眠りについてしまったが、 俺は起きっぱなしで 親族の方々の悲しみの場に居させて頂いた。
この年にもなると、親しい方や身近な方が亡くなると 何故か自分の姿にダブって見える。 残された女性等からは慟哭の悲しみが残った。 中学生と小学生に通う子等は、 悲しみの場で俺を見出すと 「来た来た」と喜びと満面の笑みで迎えてくれる。 彼等だって辛さも悲しみも寂しさも理解している。 俺の姿を見ると笑顔で俺が行くところ、 居るところに二人して必ずもついて来る。
一ヶ月前にその子等の親父が亡くなった時も、 この度の御仁が逝ってしまった時も、 多くの大人達に囲まれた2人の少年は、 俺と話し、俺と遊ぶ、3日間という短い時間であったが、 悲しみの席で出逢った大人の方々とは 二言三言のあいさつ程度。
俺は少年達に独占されていたが、「これでいいのです」 彼等も俺も自然で居られたんですからそれでいいのです。
「また逢おうな。何時でも遊びに来いよ」
「僕等、うんと困ったり、  悪いことをすれば桜井さんに逢えるんだ」
笑顔を返す他なかった。 約束した雀鬼会Tシャツはすぐ持ってくよ。
ありがとう、ごめんなさい そして、さようなら
       雀鬼




■2007年3月21日(火) Vol.437

突然ですが、今日、夢を見ました。
なんかとっても幸せな良い夢だったんで 会長に電話しました。 会長と二言、三言、 たわいもない話をしていたら、 ママの帰りを待つお孫さんの温舟くんと 電話を変わってくれました。
温舟くんは知らないうちにとても良くしゃべるようになっていて バイバイと言って、ザックリ電話を切られました(笑)。 長く話しちゃいけない奴を 肌で感じているんでしょう。
もう一度かけなおして 会長とまた、たわいもないお話。 新しい命の話も少し。
「入れ替わりだよ、入れ替わり」
会長は相変わらず柔らかい口調でそう言った。
おじいちゃんと孫が入れ替わりなら、 僕が未来に生まれる新しい命と入れ替わるのに あとどれ位生きていくんだろう。 そもそもそんなに長く生きていられるんだろうか。 どー考えても無理っぽい。 じゃあ、今いる娘が入れ替わりなのかな。
そんなどうでもいい事を 結構、幸せな気分で考えたりした。
道場ではもう今期が始まっていて、 予選も入れ替え戦も近い。
雀鬼会では、僕(と多田と)入れ替わってくれる若い奴は 中々出てこないようで、 今期も若い仲間達に力を貰いながら 走らせてもらえる。
もう、進学も就職も決まっているこの時期。 雀鬼会の最期のジェネレーション、 新しい命が道場の門を叩くのを 雀鬼会のファースト・チルドレンは 首を長くして待ってまーす。
ほんと早く来てね。
じゃないと間に合わないよ(笑)。
        安田潤司



■2007年3月19日(月)その2 Vol.436

深夜近くまで皆して手を掛け遊んでやった幼子の孫が、 「マぁマ」「マぁマ」と、つぶやき始める。
ママの存在の音に敏感な幼子は、 ママの存在の音を身近に感じながら 少しずつ育って来ていた。
幼子にとっての生命の源は、 母親の「存在と音」と「接点」。 母親と幼子の作り上げたその領域には、 幼子の父親も俺達家族の音や 接点での愛ではうずまらない。 「ママとこ い〜く」「ママとこ い〜く」 と、寂しげと悲しみで泣き続ける。
泣き疲れて幼子が眠る。 その寝顔をそうっとうかがう。 幼子の愛しい寝顔に不覚にも鬼の目にも涙。 俺にも母親がおった。 俺も四人の子供の親であったが、 幼子が求める母親の愛と比べれば手も足も出ない。 60年も前に俺が母親に求めたものと どこが違うんだろう。 違うことなんてあるもんかい。 俺だって同じ母親を求めた幼子だった。 五日間は毎夜そんな夜がやって来る。
幼子よ、決してその涙をうすめずに泣き声を上げて欲しい。 弱虫の涙じゃ決してない、幼子が大切にしている涙だから、 うすめたり、失うのはずーと後になってからでいいんだよ。
幼子がこの世に生を受けてから一年数ヶ月、 母親はいつも幼子の身近な存在であった。 幼子は感じている。 今、その母親が 新しいもう一つの生命のそばにいることを。
幼子よ、母親の音を探してうんと泣きなさい。 その体感も五日も経てば元に戻り、 いずれ忘れよう。
だがねぇ、 幼子が60年後には、 後からやって来る生命で思い出すからね。
きっとだよ。
       雀鬼




■2007年3月19日(月) Vol.435

俺が書かなかったらHPが四日間空いていた。 HPはこんなペースでいいらしいが、 道場に置かれている雀鬼会ノートは 必ず来たらすぐ目を通し、 何等かのコメントを書きのべる習慣が 18年間続いて来ていたが、 今はそっちの方は点検、チェックを入れる程度で、 その分、文章の方をHPに書き出していた。
雀鬼会ノートは俺と道場生の伝文の場、 それをHPに書くことで 少しの拡がりを見せている作業であるから、 俺にとっちゃ少しの苦にもならないのだが、 俺の書いた文章をHPに引用する作業の大変さと、 それを読まれる方々の困難の度は直接的には分からない。 まぁ書いていいのか悪いのかも 分からないってぇことです(笑)
「アエラ」出ましたね。 取材の申し込みがあった時は、出ようがボツになろうが どっちでも良かったんですがね(笑)
「東京、下北沢と町田を根城に一疋の鬼が棲んでいる」
という出足の文と伴に 1ページを使った鬼の面妖を見せる写真が載っていた(笑) 文も写真も俺の好む、好まざる領域を越えて、 熱血ライターの神山典士の作品であり、作業である。 前にも書いたが、神山氏の今回の狙いどころは 俺の周りに落ちていた一円玉を拾い集めて書いたものですから、
「俺のポケットに手を突っ込んでも見当たらない(笑)」
これっきりでもいいかなーと思っていたら、 神山氏が書き表さなかった 100円玉ブルースを書きたいという。 それもそれでおもしろいだろうが(笑) コンデ・コマ(前田光世)から ヒクソンの延長上に雀鬼との接点があり、 その又接点に現代の武術家である甲野先生や 陽明学と雀鬼を執筆された林田明大もいる。
今回は一円玉の話しに行き着いてしまったのに、 取材時間をお忙しいのに削って下さった 「真道」掃除の達人である鍵山相談役がどんと控えていなさる。 神山氏が挑戦するには相手に不足がないラインだと思うが、 いかがなもんでしょうかねぇ。
俺は一円とは思わねぇが、 100円玉ぐらいの価値と自負している(笑) が、その接点にはでっかい「お札」があるんだよな。
       雀鬼




■2007年3月15日(木) Vol.434

先日、トヨタ自動車の会議室で行われる、 企業の勉強会の講師として呼ばれて行って来た。
北の国では雪模様ということで、 東京も寒波が冬らしくあった。
町田駅でスタッフに送ってもらい、 あまり、俺ですら行きたかない催しなので、 お付きの者を断りひとりで新宿駅に着くと、 薄いジャンパー1枚の橋本が待っていた。
橋本も10年も前に東北の国立大学を出たのに、 似合ったそれなりの企業にも就職せず、 卒業と同時に我が道場のスタッフとして入社。 以来、欲の無い人生を俺の側で 10年も見せ続けてきている。
俺が行きたかない気持を知っている橋本も、 行きたかない場所への道連れ。
あまり行きたかない会場なのに、 寒風に吹かれて足が早まり30分前に着いていた。
1時間半ほどああだこうだと話をしたが、 何を話したかなんて一つも覚えちゃいない。 俺を呼んで下さった方々も 良かったのか悪かったのか、 定かではありません。
外へ出ると寒風が吹き抜ける夜道に 橋本が待っててくれる。 その姿「忠犬ハチ公」か「ホームレス」(笑)
その後中華料理屋で懇親会が行われ、 二時間ほど俺の周りが勝手に盛り上がる。
店内に一歩も入らなかった橋本が、 何時出てくるのかわからない俺を 寒空に待っててくれる。 その姿、さすがに寒さに耐えたのか まっことのホームレス(笑)
「俺は知っていたから」
店内は暖かかったが何も食わなかった。 このぐらいは橋本につき合わなきゃ罰が当たる。
やっとこさ町田に着いて
「橋本腹減ったな、俺寒気がするよ」
とそば等のラーメン源さんに立ち寄る。
すぐに道場にいた、志村達10人ほどが 集まって来て、俺と橋本は やっとこさ飯にありつく。
その日の夜は珍しく風邪っぽい。 翌日、俺より外で4時間以上待っていた橋本に どうよと電話を入れると
「僕ホームレスですから何ともないです」
と答えが返ってきた。
       雀鬼




牌の音町田本部道場「橋本サブマネージャ」

■2007年3月13日(火) Vol.433

月曜日、ついに神山さんが半年かけて取材された 桜井会長の記事が載った AERA (アエラ)が発売されました!
内部からでなく、外から見た客観的な文書で、 雀鬼会をよく知らない方にも是非、 読んでいただきたい内容です。
僕らは神山さんの全国を駆け巡った取材を、 知ってるだけに6ページの記事に凄いなと、 プロの仕事を見せていただいた感じです。 まだ手に入ると思いますので、 是非ご覧になってみてください。
       花岡



読まれた方の感想なんかもお待ちしていま〜す。

■2007年3月11日(日) Vol.432

町田道場において、前年度の月例会決勝戦と 前期の第33期雀鬼会の表彰式が行われた。
本戦が終了してからすでに一ヶ月半が経ち、 厳しかった本戦中の疲れを休める日々が選手達にあった(?) オフシーズン中の月例会決勝は、24名が選抜されて闘った。
一年を通しての番付上位は、 1位から10位までは選抜陣が占め さすがの力の差を見せていたが、 入賞者10名の中に町田勢が7名、 下北本部は休養ボケか、 金村と村瀬とパセが食い込んだだけの 通常の実力の逆転状況が起きてしまい、 それよりまして、志村、佐々木秀樹、恒に 町田勢のメダル独占を許してしまう 下北道場にとっては散々の結果となってしまった。
四月にもなれば春と伴に 再び雀鬼会本戦が開幕されようが、 表彰式後のミーティングの席では 安田と志村の仕切りによって
「会長亡き後」
の組織改革や運営方法が熱く語られ、 老婆心ながら我が心配は無用なりと実感させられた。
私がそのミーティングの席で一声語ろうとすると、 安田から志村に
「あんなの放っとけ」
の一言で切り捨てられるは、 彼等の態度にめげずに 俺の愛する雀鬼会を思って助言を述べれば、
「あぁ、いけねぇ、相手にしちゃった」
と志村にも追い打ちを受ける。
覚悟はしておったが、女房に捨てられ、 道場生にも見捨てられてしまったが、
「本物の男は孤独」
であることを今更ながら痛感した次第である。
この文章には一切の嘘、偽り、ジョークすらありませんが、 安田、志村に対する俺の気持ちは裏切りどころか、 恨みも辛みも微塵も御座いません。 だって
「本物の漢は孤独なんだもん」
       雀鬼



 

■2007年3月9日(木) Vol.431

家に居る時は、老けたと思い込み 年相応に立ったり座ったりすることですら 危なっかしい。 転びでもして残る左手で受け身でも取ったら まさに雀鬼も転んで骨折なんてことがありそうなんだが、 昨日なんか両足10cmも上に上げると 痛む足だったはずなのに、 現役の格闘家と3時間も 動き回ることが出来るのだから、 人間の身体って本当に正直でもあり不思議です。 ですが、二人の格闘家が帰ると また足が10cmしか上がらなくなっていた。
今日もつれぇなーと思っていたら、 あの魔のトライアングルトリオの 木津と安田とおまけの○んこ病のとも子がやって来て、
「先生、少しヒザ見ます」
と木津が治療をしてくれる。 途中から治す側の木津と治療を受ける方の俺で、 工夫して手を入れる。 痛みを伴った分だけ その後足は楽になっている。
俺が歯を食いしばっている側等で アホの安田は写真を撮っているし、 とも子の奴は恩も義理も忘れて 痛がる俺を楽しんでバカ笑いしてるんだから、 やっぱしこの馬鹿タレ三人トリオには 付ける薬は無さそうです。
       雀鬼


馬鹿タレ三人トリオの長男・安田でーーす(笑)。 確かに馬鹿タレなんですけど、 今のとも子と一緒にされるのは ちょっと不本意ですよね、木津さん(笑)。
昨日は今、進行中の木津さんの新刊本の打ち合わせを 町田でやってました。 終ってから、会長が道場にいらっしゃるということで 木津さんととも子と会長に会いに。 元々左の膝が悪かった会長ですが、 それをかばっていたら、右足の膝まで 痛くなったようで、 木津さんにヒーリングしてもらいました。
木津さんの治療は会長いわく、
「痛すぎて、笑っちゃう痛さ」
さすが会長、分かり易い表現ですね(笑)。 辛そうな顔をけっして見せない会長が 下の写真を見ての通り、 歪んだ表情をされてましたから、 かなりの痛さだったと思われます。
でも、終った後は会長も随分楽になられたようで 僕も少しホッとしました。 木津さん、お疲れのところありがとうございます。 また、機会がありましたら、 「笑っちゃう」ような奴を 一発お願いします(笑)。
        安田潤司


真剣にヒーリングしている木津さんと 「笑っちゃう痛さ」を耐えている会長(笑)。


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