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■2006年12月7日(木)その2 Vol.340

寒さ厳しき折り、皆様方いかがお過ごしでしょうか。 毎度のことなんですが、 俺が町田道場に現れると皆さんの帰りの時間が遅くなる。 皆して話し合ったり、笑い合ったり、体構えの練習したり、 時には誰かが俺のオモチャになって 技を極められたりしている(笑)。 午前2時頃になってやっとこさぁ
「帰りますか」
ということが度々だから道場生達もたまりませんよね。
それぞれがみんな大人なのに
「一杯やってくか」
なんてことは一年に一度もない。 そこには何もないのに 皆して疲れと眠気の中で笑い合っている。 俺が帰る時は、志村か歌田が家までわざわざ送ってくれるから、 道場の暖かさのまんま車中の人となり家に着くが、 その途中、先に道場を出た古島と理絵ちゃんのカップルは寒い中、 必死に自転車をこいで細い歩道、暗い道、きつい登り坂を走って家路に帰る。 夏は気持ちも良いだろうが、 この冬の寒さの中を深夜走り通すのは大変なことだ。 それを毎日のように繰り返しているのだから凄いよね。
「君等すごいね」
と声を掛ければ、
「僕等、私等よりもっともっと遠くから通って来て、  最終電車で帰る人達はもっと大変です。」
そうだよなー、 牧野先生なんて熱海から下北道場へ通って、 家路に着くのは午前2時を回る。 繁も金子も茨城県から毎日のように下北へ顔を出す。 仕事場や家から道場までの往復だけでも 5時間近くかかってしまうんだろうなー。 これを何年もやり通しているんだから 彼等の根性は見上げたものである。
道場にそれほど苦をして通ったところで、 なんの利益も生まれない。 麻雀ですら別に強くなれるわけでも、 特別に認められるわけでもない。 歩いて3分ほどで自宅に帰れてしまう多田も彼等も 平等に扱われている。
でもねぇ、道場にはそういう根性もん、 猛者が存在してくれることも事実なんです。
「事実は苦なり」
ですね。
社会的にはなんの価値もないことを 彼等は何故に何年もやり続けてくれるんだろう。 有から無へどころか無の中を ただひたすらに走っていてくれてるんだよなー。 やっぱり俺、彼等には敵いませんわ。
ごめんなさい。 おつかれ。
      雀鬼



谷口亜夢先生が描かれた16人の雀鬼会選抜選手。 全員分かる人はいないだろーなー…(^_^)


■2006年12月7日(木) Vol.339

Vol.331で、会長が書いた文に対して 「日本を美しくする会」の新上さんからメールを頂きましたので、 ここに紹介させて頂きます。


桜井会長へ…
いつもお気使い下さいましてありがとうございます!
レポ拝読させていただきましたが、 私の事を「策士」だとか「腹の中は…?」とか 挙句の果ては「冗談は髪の毛だけにしてよ!」とか、 ホント私を安田さん同様に「いじめないください!」 お願い申し上げ候。 
新上政広 拝



えー、私(安田)は新上さんをいじめた覚えは 今まで一度もございません。 まして、「冗談は髪の毛だけにしてよ!」なんて そんなデンジャラスな発言は到底できません(^_^;) 引き合いに出すのは、 勘弁して候です(笑)。
さて、レポートのvol.329でご紹介させていただいた 鍵山秀三郎先生の掃除道の全てを収めたDVD、 「掃除の道」は、みなさんごらんになられたでしょうか? まだの方はぜひ、ご覧になってくださいませ。 一家に一枚の必見版です。


さて、というわけで久し振りにこのレポートを 書かせていただいてます。
休みもなく、動き続ける会長と雀鬼会において、 本戦期間中に「俺、休む」と旅に出られるのは 多田和博くらいなものですが、 実は昨日まで、家も仕事も雀鬼会もほっぽり出して、 私的にも旅に出ておりました(笑)。
随分前のレポートで、私が失踪したという事件(?)が、 狂言で作られた事はありましたが、 今回は本当です。 まあ、たった三日のことでしたが…。
いやー、たまには一人で電車に揺られるのもいいもんですね。 会長には途中で、電話を頂いたりして御心配かけましたが、 色々と意味ある二日間になりました。 この旅に関しては、また改めて書かせていただきます。
では、今日はこの辺で…。 (と、久々の投げっなし)

      安田潤司


旅先で出会った本の行商をしている御二人。


■2006年12月5日(火) Vol.338

神山さん(アエラ)の取材とかで新宿の街を歩く。
時が経つのは早いもの、 昨日までそこにあったと思う店が変わってしまっている。 遠い思い出が詰まった街角に立って、 40年前の様相を立ち話する。
あの雀荘この雀荘も 今は姿が消えてしまっている。 立ち行く歩む人達も見知らぬ人ばかり。 その頃なら、どこを歩いていても
「オッス」
と声を掛け合った。
何人かの街っ子が俺を見つけて握手を望む。 向こうは知っても俺知らずの関係、 同じ触れ合いでも大きく変わってしまった。
若い頃に通った店へ顔を出す。 店内は混み合っていた。 隅のカウンターが座りにくそうに空いていた。 古株の店員が気付き社長も迎えに出てくれた。
「お待ちしておりました」
と奥まった窓辺の上席に案内される。
「予約しておいたのですか?」
と神山さん。
「いや、突然だよ」
その通りに答える。
「今日は来られると思っていました」
と温かい店員の言葉。
今は何年に一度しか行かない店なのに こっちにも思い出があれば あちら様にも哀愁が漂う。
歌舞伎町の店は多く変わってしまったり消えてしまったが、 今でも残る店には数日前と変わらぬ出会いがあった。 なくなった店のことを数えても仕方がねえのに 神山さんは俺の歌舞伎町時代や昔話を聞いてくる。
「思い出はあるが昔話や記憶は  あやふやと言うより捏造」
と答えておいた。
今日始めて巻いたマフラーも 帰りには俺の首から消え落ちていた。
      雀鬼




■2006年12月4日(月) Vol.337

土日と2日間、家で引きこもっていた(笑)
「引きこもり」って結構つらい。 世間にはそれを専門にやってらっしゃる方々がいるらしいけど、 本当に御苦労なことです(笑) 慣れれば俺でももつのかなー。 凄ぇ疲れちまった。
3日間で寝たのがベッドで少々とコタツで仮眠程度。 自室にこもって、原稿を書いちゃ朝を迎える。
寝室に入って眠るかなーと思うと、 二階から孫が降りて来る気配を感じ、 笑顔と元気な姿を見に部屋を出てしまう。
疲れ切っているのに孫を頭上高く上げちゃ、 2.5mはある天井にほいと持ち上げる。 徹夜の書き物のせいか腰に来るが、一度やったらつかまる。 20回は最低やらねば収まらない。
一歳半になる孫の男の子は俺のことをでっかい、 動くおもちゃぐらいにしか思っちゃいない(笑)
男の子だから、外で買い与えたオモチャで遊ぶよりも 生の人間と遊んだ方がマシだと思うが、 楽しい分だけどっと疲れる。 そして寝る間を外すことになる。
この2日間で孫は「生のオモチャ」の 遊び方と味を更に加えてしまった。
俺は男、孫も男の子、すでに男同士の遊びが始まった(笑) 孫の動きは日々厳しくなり、ガチンコ勝負をかけてくる。 俺のタップ(参った)は許さない。
それも、これも、やっていいよと教えちまったのは 俺だから仕方があんめぇが、雀鬼と言われた猛者が 一歳半の幼児に倒されちまう時代が来たんだよなー。
今日なんか「ゴッド・ファーザー」の映画の トマト畑のワンシーンが自分の中で重なった。 それもいいか(笑)
      雀鬼




■2006年12月3日(日)その2 Vol.336

ラクダのモモヒキ男こと志村です。
Vol.332の会長のレポートですが、 短編小説っぽくて、 話ができすぎてやしませんか?
でもね、でもですね、 全て紛れもない本当の話なんですよねぇ〜
 とほほほほ・・・・・・
神山さんもさぁ、 会長に『ブラジルに行きませんか?』なんて、 投げっぱなしで帰んないでくださいよ〜 本当に(笑)
その後、妄想に膨らんで? ギンギンの会長と打たされる 僕らの身になってくださいね。
会長は、いつもどおりに『のらりくらり』と 打ってこられるものだと思い込んでいた 僕らは泡食っちゃいました。
四暗刻後の大三元も、直っていただいても、 それはそれで話として面白かったんですが、 まさかラクダのモモヒキに救われるなんて、 思ってもいなかったな。
あのタイミングでモモヒキを出さなかったら、 僕ら今頃、ペンペン草一本も残ってやしない 状態になっていたかもね(笑)
というわけで、今回学ばせていただいたのは、 「会長へ自然のある場所にお誘いがあっ た後の同卓は大変危険!」ということです。
スタッフの橋本サブマネに言って、 上記の看板を町田道場に建てていただきました。
特に南国方面は要注意です。(笑)
照る日もあれば曇る日もあるように、 道場内での会長は、自然の天候のごとく、 時には曇ったり雨が降ったり、年にほんの数回、 台風が吹いたりしていろいろな顔を 覗かしているように感じています。 (基本的には晴れておられますが)
道場生である僕らも、 その天候に合わせることを楽しんで 過ごさせていただいています。
毎日、台風や嵐が吹いてしまっては、 僕らもたまったもんじゃ、あ〜りませんが、 自然界においても、台風がなければ 困ると言いますしね。 いつも同じではなく、 日々変化があるから面白いのだと思います。



桜井会長の胸ぐらをつかむ志村町田支部長。 雀鬼会選手の中でもこんな恐ろしい所業が出来るのは、 酔っぱらった志村さんだけです(>_<;)

■2006年12月3日(日) Vol.335

安田選手部長が、宮崎での木津さんの 講話会行っているスキに、町田選手からのメールを アップしま〜す(花岡)。
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おはようございます 町田不健康トリオの沓掛です。
REPORTのページにある通り、 先日会長より直々に治療をして頂きました。 トリオの他の方達(チャッペさん&清水さん)は治療の際
痛み→身の軽さ
という形で体に現れていたのですが、自分は
寒さ,震え→暖かさ
という形が体に現れました。 一言で不健康といわれても様々な形があり、 臨機応変に治療をして頂いたんだと改めて 「会長は会長」であることを思いました。
奇しくも次の対戦はトリオの同士チャッペさん、 雀鬼会きっての健康優良児のシャボさんという 面子で卓上に健康さを残せればと 今から7割ドキドキ、3割ワクワクしています。
まとまりのない文となってしまいましたが 失礼致します。
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もう一丁、町田から。
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月例会優勝の恒です。
沖縄では散々だったのに、沖縄行ったあたりから 何故かイケイケバンバン状態になっております。 沖縄ではダメなりに学びはありましたが、 先日も三吉さんのお肉を志村さん宅で御馳走になって、 ホームレスみたいな自分が居て迷惑だったと思いますが、 会長や志村さんがHPに書かれている様に 時間が経つのも忘れるぐらい 楽しい時間を過ごさせて貰いました。 有難うございました。
遅くなってしまいましたが、会長の存在、 自分ら道場生にとっては父親だと思います。 もちろん世間によく居るなめられる大人ではなく、 何をやっても一番だし、頼りになって、 安心感のある存在だと思います。
会長の前では大抵の人が正直に、 素直になっていまいますし。 道場に通っているとやり繰りが大変な時もありますが、 大変な部分も含めて楽しく、 少しでも長く通っていたいと思います。



永井はこんな写真ばっかだなぁ(^_^;)

■2006年12月1日(金)その4 Vol.334

「戦争と平和」
何の因果か、10日以上前に一方的に争いを拡大させて 耐え切れないほどの戦火を浴びせた、 女族が去って、日々荒廃、破壊された戦火の後始末に追われていた。
降りかかってくる戦火は耐え忍びがたいが、 一つ一つ気持ちを整理し後片付けを しなければならない、男の辛さがあった。 敵が去ったことで、面倒は多大な被害と伴に残っていたが、 この壁も乗り越えなければならない。
「男とは女より辛い方がいいのだろう」
やっと静けさを取り戻し安息の日々でも過ごそうかなー と思っていた矢先にあれほど荒廃させた、 相手が何もなかったように戻ってきていた。 さらなる戦火が上るのを避け、 志村が救いの手を差しのべて車で迎えに来てくれ、 今や一時の道場での「避難民」あっちは戦争だが、 道場は今日も平和(笑)。
内に争い外に平和を求めるっていう話は、どこか変である(笑)。 良いことに酔える人々もいれば、 争いを自分の刺激や生きる証にしている人もいる。 内なる我が家にも若き息子夫婦と 孫が楽しい平和を作ってくれている。 親としてそんな姿を観察出来たり 一人の立場として参加出来ることが家庭の平和であろう。 その平和さえ妬み、嫉妬、恨みさえ 思考が置き換えられる人の持つ奥の深さの根と感じ取れる。 息子夫婦が揃ったことで
「子供はよー、  小さい時に何をやって見せても可愛いものよ、  うーんと温めてやれよ」 「二人でうんと温め続けてあげれば、  何時しかこの子は  自分の心で愛を感じられる子になるからね」
「温破立」
      雀鬼







■2006年12月1日(金)その3 Vol.333

新上さん、俺も新上さんに風呂場で
「御背中を流しましょうか」
と、声を掛けられたら喜ぶとお思いなんですか? 相談役がぴしっと御遠慮なさったことに 「冷てぇ」だって。 どこをどう探したらそんなセリフ出て来なさるんですかねぇ。 外様のこととは故、放って置けねぇですよ。
俺がもし新上さんの立場なら 左手でムンズと便器を素手で掴んで…… もとい相談役の後ろへ回って断ることもなくだわなー
「体あたらせてもらいやす」
「体さわらせていただきやす」
と「粋」にその場を凌ぐけんどなー。 いや策士新上さんのことだから このメールの文の裏に意味があるんだろうな(笑)。
俺も雀鬼と呼ばれる勝負師、
「よござんすか」
その腹ん中は、
「桜井、お前一度ぐらい相談役の御背中を流せ」
と回りくどく、申し付けなさっているんですよね。
よござんすよ。 そんなこたぁー朝飯前でさぁー(笑)。
      雀鬼






 

■2006年12月1日(金)その2 Vol.332

昨日は町田道場にて、 神山さんの取材があって、少々の話が進む。
「つまんねえんじゃないの、  雀荘や俺の周りを調べ上げたって、  くだらねえことばっかだし、嫌んなってない?」
ブラジルまでも、取材に行って、 足跡をたどるような猟師のにおいがする神山さん。 そんじょそこらの取材者とは、わけが違う。
「なかなかうまく進まなくてねえ」
ぐらいのお返事を待っていたんですけど、
「おもしろいですよ」
と笑顔を返してくれた。 ならばいいんですけどねえ。
「この取材が終わったら、  一緒にブラジルに行きませんか」
という嬉しいお誘い。 瞬間、アマゾンの大自然やワニ狩りが頭に浮かぶ。
次は新宿で会いましょう、と帰られた。 アマゾンか、ワニ狩りだー。楽しそうだなーと思いつつ、 久し振りに、志村と歌田と古島の卓に座る。
神山さんとの話が連動してか、俺一人があがっている。 次の局も、その次の局も、俺があがっている。
五回戦ほど、俺一人で卓上を狩っている(笑)。 点箱に700点棒しか残っていない志村、 突然暑い暑いといって立ち上がり、 ズボンを脱ぎ、
「ラクダのモモヒキ」姿で
700点棒を守りに入る。 その姿に、俺にとっちゃめったにない 笑いのツボに入り、大爆笑と伴に、鼻水が止まらない。
ここは、雀荘ではない。 確かに道場という神聖な場であるはず。
それも、雀鬼という名の男を対面にしての ラクダ色のモモヒキ姿の小っこい志村。 卓上で歯がたたなくとも、 この手を打たれたところで、 俺の強い流れは止められた。 鼻水をティッシュでふきとっていると、 俺が發を鳴いているところで、白をポンすると同時に、 対面のモモひきちゃんが、九萬を打つ。
モモひきちゃんに心を揺らされた俺は、 単騎で持つ九萬を見逃す。
揺れちゃいたが、モモヒキ兄ちゃんの 九萬トイツ落としはよめていた(笑)。
モモヒキに合わして九万を打ち、一萬単騎に変える。 案の定、モモヒキから、トイツ落としの九萬が出る。 遊んでいるうちに、歌田があがった。 俺の手の中には中が暗刻で、大三元のあがりだったが、 あがりきれない事情があった。 その前の四回戦の東一局に、 モモひき男の親の時、すでに四暗刻をあがっている。
五回戦、皆して百点棒だけしか残らない状態が続いていた。 アマゾンの話から「我れ無情」の領域に入っていたのです(笑)。
その後、歌田、古島、モモヒキちゃんが 順番にトップをとっていき、卓上に平和が戻る(笑)。 「雀鬼」と「モモひきちゃん」との道場の一日は、 被害者が三人出たが、皆して笑えたよな。
しかしだな、町田道場主の俺と、 No.2 の志村がこれでいいのかなー(笑)
      雀鬼




町田支部長の・・・モモひきちゃん(^_^;)

 

■2006年12月1日(金) Vol.331

先日の、Vol.327号の俺と安田の「真の関係」。 世間で思われている
「俺が上でその下に安田がいて‥‥」
誤解を解くために、誠の有様をうったえたところ、 早速それはおかしい、問題、異議ありと 「日本を美しくする会」の新上様からメールが届いた。
その文を読んだ瞬間、 雀鬼からは熱い涙がとめどなく流れ落ち、 不覚にも、いただいたメールを、 涙でぐちゃぐちゃにしてしまいました。 新上さんの勇気ある行為に感動させられました。
この広い日本のどこかに、 俺の苦しい立場を分かってくれる方が、 たった一人だけでもおられたことに、 この苦を乗り越えて行く勇気を与えられました。
あの写真の姿を見ても立ち上がることがない、 無気力の日本人ていうか、 このHPを読まれてる方々に、 正直落ち込んで途方にくれていたんですが、 たった一人の行動で救われました。
これからも、あの安田の無礼な態度、 言動にも耐え忍ぶ自信が見つかったような気がしました。 たまには、決して愚痴ではありませんが、 真の姿を訴えてみるものですね。
正直、あの魔界から現れた安田坊主を相手にするのは、 俺にとっちゃ死にもの狂い。
「窮鼠、化け物を噛む」
状態だったものも、事実です。 こうなった以上、安田に打ち倒されようが、
「武士は死ぬことと見つけたり」
の心境で、日々を送れます。
でもねえ、新ちゃん、
「いやさっあー新之助」
メールに書かれていたアエラの件、 「桜井会長の命令で有れば喜んで受けなさる」という件だけど、 一兵卒の俺がなにゆえに 鍵山秀三郎閣下に、命令なんか出せるのよ。 冗談は髪の毛だけにしといてくださいよ。
全く、安田も安田なら、新ちゃんも新ちゃんだ(笑) 俺は、安田の命令ひとつで動いてたのは確かですが、 新ちゃん、あなたねえ、 相談役にどういう教育を受けてなさんのよ。
「俺もひとりポッチ」 「相談役もひとりポッチ」
の道を歩いて行かなきゃ道はないようです。
 −ハイ、お時間が来たようで−
      雀鬼




写真右上、鍵山相談役の腹心、新上新之助さん。


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