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■2006年4月7日(金) Vol.90

前回のレポートに会長が書かれているように、 一昨日は鍵山先生と昼食をご一緒させていただきました。 先生はとてもお元気そうで、そのお顔を拝見しているだけで、 とても元気をいただけます。 招待していただいた場所の良さも手伝って、 鍵山先生と会長の氣が共鳴して とても温かい空間ができあがります。 そこにご一緒させていただくだけで 免疫がグンと上がりますね。 HPのウルトラマンネタになった時は、一瞬冷えましたが(^_^;)
本当に色々なお話を伺ったのですが、 途中で鍵山先生が、
「努力をしたら、その分だけいただいた」
という方の話をしてくださいました。 それを黙って伺っていた会長が、言いました。
「それは違うんじゃないですかね」
「………?」
「先生のやってこられた事は  "努力"なんて言葉じゃ軽すぎます。  先生は長年、色々な事に対して  "勝負"してこられた。  先生はそういう言葉はお使いにならないけど、  やっぱり"勝負師"なんだと思いますよ 」

それを聞いて、思わず頷いている自分がいました。 先生の笑顔の中にある圧倒的な強さ、存在感は、 会長のそれとまったく同じですからね。 日々、あらゆる事に対して闘い、 勝負して来られた人だけが持つ、 氣をまとっておられますから。
途中で「食」の話も少し出ました。 その時に会長が、
「豊かになろうってやってたら、  豊かじゃなくて「肥えて」しまった。  肥満ですよ、肥満、肥え。  それで逆に、心は貧しくなってしまった」
と、おっしゃいました。 そう言いながら、
「あ、そうか…!?  みんなが玄米菜食って言い出したのは、  みんな肥えちゃったからなんだな。  だから、まず余分な肥えを取って  元に戻らなきゃいけないわけだ」
まったくその通りで、 元々、食生活がちゃんとしていた会長たちの時代と違って 今の世代はコンビニ食品や化学薬品漬けで 体も心も創られています。 おまけに自然の中で遊んでいた時代ではなく ファミコンやパソコンで電磁波漬けにもなっています。 僕が木津さんから食改善を教わった始めの頃に、 言われました。
「玄米の栄養価うんぬんっていうのは、もちろんあるけど  何よりもまず、その排毒効果の高さなんすよ。  化学物質や動物性蛋白で汚れた血を  まず綺麗にしてから、  自分を創っていかなきゃならないんすよ  昔の人はわざわざ玄米だ、味噌だ、梅干しだって言わなくても  自然にそういう食事をしていたんです。  でも、今は違いますから。  そりゃ、変な病気や事件が増えるのも当たり前ですよ」
鍵山先生と会長も、 今の世の乱れをお話しされていました。 そんな中でも次の鍵山先生のお言葉は印象的でした。
「これからは目に見えて、どんどん悪くなっていきます」
前日に行ったヒムカの講和会で、木津さんも言ってました。
「マンションの屋上から  突然、人を突き飛ばす事件がありましたけど、  これからは、誰にでも分かるくらい  こういう事件が増えていくでしょうね。  そこら中にその予備軍が育ってますから」
会長も以前からおっしゃってましたよね。
「今は病の時代。  そして次が狂の時代になる」
帰り際にたまたま入った喫茶店で 会長の隣に座っていた女性が 震えながら泣き出した。 ただ、憧れの人に会えた喜びの涙じゃない。 今、その人が持っている全ての感情があふれ出ていた。 会長はその人の手を黙ってそっと握っていた。 しばらくして、その女性が言った。
「もう、大丈夫です。  ちゃんと、頑張れます。  ありがとうございました」
その人なりの「ぎりぎりの所」にいたんだと思った。 僕はそっと手を握るだけで、 誰かの力になれる会長を見ていた。 鍵山先生の笑顔も同じだ。
まず、何より自分がしっかりしたいと思う。 心身共にしっかりしようと。 一人一人が地に足をつけて 嘘だらけの情報に惑わされず ちゃんと軸を持って立っていようと。 少しでもお二人の背中に近づけるように。
             安田潤司



■2006年4月5日(水) Vol.89

四月に入った。 外はあいにくの冷雨。 根性がたるんでるせいか、今年は時に寒さを感じる。 今日は前々からのお約束で、 鍵山秀三郎先生から昼の食事会の御招待。 お誘いを受けた時から、
「俺なんかでいいのかなー、貴重な時間を頂だいして」
と思いつつ、心のどこかで
「叱られたい」
という気持ちがあった。
最寄りの駅前からその店まで 桜の花道が続き、桜の花も冷雨に耐えながら 沿道に花びらを散らしている。
どこかに、また鍵山先生と逢えるという嬉しさがあったのか、 昨日は徹夜明けということで早目に休む。 早いといっても寝たのが午前二時。 一応念のため目覚ましを8時に合わせておくが、 2時間後の四時には目が覚めてしまったので、 準備は役立たず。 全くここんところの自分を現している。 間が悪い。 俺は間に合っていないが、 鍵山先生はまさに「心遣いの現役の達人」。 ちょいと前に歯を痛めた、私を気遣って下さり、 食事は柔らかい豆腐料理を選択して下さり、 寄りぬかれた職人の技が作り出す豆腐懐石。 大豆と水とにがりの調和の取れた味を うまいうまいと食する。 個室の窓辺から見える日本庭園には、 年期が入ったさるすべりの木等がいい味合いを増す。
味あいのある職人料理。 味あいのある木々。 味あいのあられる鍵山先生の三点セットで 時はあっというまに過ぎて行く。 確かに豆腐はうまかった。 何を話しをしたかは定かではないが、 伝統の職人技と味わいのある木々と 何ゆえに鍵山先生はこれほどまでに調和し、 一体感を感じるのだろうと考えていた。
「そういう大人になりたい」
がなれそうもない。 何故って? それは生き様の真当さの違いだから 俺達には一朝一夕で決してなれないからです。 粋なはからいで、心もおなかも満腹な ぜいたくの時を頂だいしました。 先生のお顔も、豆腐に負けずに柔らかく、 笑顔でジョークを飛ばされ、 何時も先生の前だけは固さがとれない安田も 負けずに笑いの場へ突っ込み、 とてもありがたい食事会で御座いました。
外までお送りに出て下さった 鍵山先生、新上さん、阿部さんに別れをつげた後、 このまま帰るのももったいないと、安田と村瀬と伴に、 駅前のコーヒーショップへ入る。 座って間もなく、そばにいた女性が立ち上がって
「もしかしたら…」
「ハイそうですが」
その女性は手も体もぶるぶると 冷雨以上にふるえている。 その手を温かくつつみ込んであげる。 目からあふれ出る涙が止まらないが 体のふるえだけは止まった。
何かを活かしたわけでもないが、 人それぞれつらいことや悲しいことが その涙と同じくらいあったんだろう。 その女性にとっては、偶然の見知らぬ土地での出逢いであろうが、 今別れたばかりの鍵山先生の導きの 必然であることは俺には分かっていた。
               雀鬼

 


■2006年4月4日(火) Vol.88

僕が書くのは、今日で4日ぶりのレポートです。 いやー、ちょっと間が開くと随分さぼっている気になりますね。
実は4/1に箱根で行われた木津さんの「ヒムカ研修会」に お邪魔させていただきました。 研修会は二泊三日なんですが、僕は初日だけの参加です。
木津さんのお話はいつも分かり易く、 誰でも本人に気持ちがあれば すぐに実践できるところが魅力ですね。 心・体・病・食・日常etc…。 全ての出会う人々や、起こる事象は自分の鏡で、 自分で選んでいるもの。 それをどう受け取り、どう変わって行く努力をするか。 基本は僕らがいつも会長に教わっていることと まったく同じです。
木津さんの話を伺っているといつも耳と心が痛くなります。 自分の駄目な所をやたら自覚して。 それは会長の話を伺っているときと同じですね。
「人がどうやって曲がり、  本来向かう方向からズレていくか」
そんな話を聞いていると、いつも思います。
「ああ、こりゃあ、俺のことだな…(-_-;)」
反省はすぐにすること。 修正にもすぐに向かうこと。 それができないから、まだまだなんでしょうね。
「ありがとうとごめんなさい。  それだけでいいんだよ、人間なんて」
と、会長はおっしゃってます。 木津さんにも教わってます。 心のある方に大切な時間を頂いているのだから 少しでも変わらなければと思います。 男ですから、貰いっぱなしじゃいけないですから。
プライドで無敗を誇っていた五味選手が負けました。
「やっぱ、PRIDEに比べると武士道はいまいちだな。  なんで今日見に来たんだよ、安田」
「五味くんが初めて負けるのを見に来たんじゃないですかね」
「ああ、なるほどね」

つまづいて転ぶ事は誰にでもあることで、 その後どう変化するかが、 その人の器になるんでしょうね。 五味選手の今後を応援したいです。 やっぱり体をはって生きている人は それだけで、かっこいいと思いますから。
今日は渋谷で木津さんの講和会の取材に、 明日は鍵山先生にお会いさせていただきす。
             安田潤司


箱根のヒムカ研修会で木津さんと。 (なんか格闘家のトレーニングみたいだなぁ…)

■2006年4月2日(日) Vol.87

我が家のすぐ裏手に、桜並木があって、 今日は「桜祭り」。 そちらには行かずに、
「安田どうすんの?」
「行きます!!」
ということで、プライド武士道へ。 11試合ということで、早目に家を出る。
寒かったー。(会場) 眠かったー。 あくびが出る。 外へ一服ー寒い。 中に入る。 前半からショッパイ試合が続く。 又あくび。 眠気をさましに外へ出て、一服すると、今度は寒気。 寒気と眠気がくり返す。 途中帰りたくなったけど、メインの試合がある。
ライト級チャンピオンの10連勝中の五味君が、 相手側が低いタックルに来るように誘う。 案の定相手はタックルに来たが、 五味君が待ち受けていたタックルは少し高目に入って来て、 取られダウンして、極められて落ちる。 五味君始めての敗北(武士道)。 寒くて、眠たいはずでした。
雨が降り出している。 桜も散り、五味選手も散ってしまった。 桜は又来年咲くが、 人が強さを保つためには、 高い目標に向かうモチベーションが必須。 勝負には技術、運、モチベーション、 エネルギーが大切なんだよなー。
「オー、寒い」
「オー、眠い」
                雀鬼




■2006年3月31日(金) Vol.86

おはようございます、安田です。 先日、妻の里美が道場に来たときの、 会長とのお話。
「里美、お前雀鬼会のホームページ見てるのか?」
「最近、読んでないんですよ、  だって、会長の文、長いんだもん」

本当に女って奴は…(T_T) 会長、すみませんでした。 本人もここ2日のレポートを見て、あわててましたので 近いうちに謝罪文でも送らせます(笑)。 さて、昨日のレポートに書かれた下記の文。
>雀鬼流は今期も行なわれますが、  「雀鬼」の看板は  そろそろおしまいということになります(笑)  道場を18年間も続けて来たが、俺の指導能力不足か、  麻雀プロが一人も育たなかったことも理由の一つです。  この理由については俺の方ではとても解読不可能。  ということで、竹書房の宇佐美本部長と安田くんで、  解明のほどを一つよろしく。
                     雀鬼

はい、「麻雀プロが一人も育たなかった理由」ですね。 えーーーと、まずですねえー、えーーと…(^_^;) 分からないので、まとめてアバウトに列挙。 「そもそも育てなかった」 「そもそもプロの定義が良く分からなかった」 「牌の音に女っ気が無かった」 「牌譜を見ると目まいがした」 「プロ試験を受けるお金がなかった」 「馬場さんが太ってたから(笑)」 などなど、色々な理由が想像できますが(笑)、 実際には、「本物のプロ」を良く知っていたのと、 「まったく、なりたくなかったから」ですかね。 後は竹書房の宇佐美本部長、続きをよろしく(笑)。
話は大きく変わって、 先日来たヒーラマン・木津龍馬さんからのメール紹介。

桜井章一様 安田様 雀鬼会の皆様
お疲れさまでございます。 それから、牌の音18歳おめでとうございまーす!! 先日伺ったときに、気付かなくて申し訳ありませんでしたー。 18歳・・・いい響きです。 この18年間、想像もつかないほどのご苦労や 楽しいことが山積みだったことでしょうね。 木津が雀鬼会に受け入れていただいて、二年間でも こーんなにおもしれぇんだもん。(^^) 純粋に桜井先生と18年過ごせた羨ましいさと同時に、 こんな木津を受け入れていただいた皆様に、 ただただ感謝です。 ありがとうございます。 という言葉が薄っぺらく思えるくらい 感謝しています。m(__)m
町田では桜井先生の腰まわりが、 めずらしく硬かったので少しばかり心配しましたが、 いじればすぐに柔らかくなったので
「さっすがー雀鬼」
と、安心いたしました。 また、近いうちにお邪魔させていただきます!!
安さん、明日はまたお医者さんとこにお付き合い下さいませ。 病院内の風水もみることになりそうです。 風水羅盤もって怪しい動きをいたしまーす。(^^;)
追伸
桜井先生、僕はすっぽかしてないっすよー。 それからサイクロンは・・・・・(−−) ヒーリングじゃ、どーしようもないっす。 吹き荒れ過ぎるのをジっと待つしかないのではないっすかね? だって雀鬼がどーしようもないのに、 木津がなんとかできるわけないですよー。(--;)
ねぇ安さん・・・・
木津龍馬

えーー、サイクロンの件に関しては、良く分からないので ノーコメントとさせていただきます(--;) 文中の「お医者さん」ですが、 以前のレポートでも紹介した「癌治療の専門医」のM先生の所に 昨日、木津さんと取材をかねて、行ってきました。 M先生は癌の専門医なんですが、 木津さんの紹介した欝病の方のカウンセリングや指導も 当たり前のようにやられてしまう、 本当に先生らしい先生です。 木津さんいわく「赤ひげ先生みたいな人」。
お二人の話が終わった後に、M先生の奥様のお願いで、 木津さんは風水羅盤を持って、 病院内の風水を見ていました。 その後、風水の話を伺ったのですが、 とても興味深い話でした。 それにしても、さすが木津さん、 本当になんでもやるなあ(笑)。
明日4月1日は、下北道場では選手が大勢で朝から打つ「満卓デイ」。 一方、町田道場では4月2日が満卓デイ。 みんなで騒ぎながら打つ満卓デイは とても楽しい時間で、選手たちの楽しみの一つでもあります。 僕は木津さんの取材で、ちょっと箱根の函南に行ってますが、 時間のある方はぜひ気軽に 遊びに来てくださいませ。
                安田潤司



■2006年3月30日(木) Vol.85

「あめとムチ」
好まぬ言葉であるが、 今期はそういう型で、やらなきゃいけなくなっちまっている。 選抜選手16名とJr.選手16名が確定し、 この32名には、今期も互いに「ムチ」を打ち合いながら、 必死に頑張って欲しい。
その下のクラスのJr.Uとか、一般・体験者組には、 今や厳しさは到底無理ということで、 アメ玉でもしゃぶりながら、遊んでもらえればいいと思う(笑) 当然、俺は選手でないから、「あめ玉組」に在籍。 ぬるくて甘い麻雀でものんびりと打たしてもらいます。
「そんなの雀鬼じゃねぇ」
って、おっしゃる通りでございます。 雀鬼流は今期も行なわれますが、 「雀鬼」の看板は そろそろおしまいということになります(笑)
道場を18年間も続けて来たが、俺の指導能力不足か、 麻雀プロが一人も育たなかったことも理由の一つです。 この理由については俺の方ではとても解読不可能。 ということで、竹書房の宇佐美本部長と安田くんで、 解明のほどを一つよろしく。
今日も短文でしょう。 里美さんのご意見に 素直と勇気で従っているんですよと。 これで書く方も読む方も楽ちんですね(笑)
極楽、極楽。                 雀鬼




■2006年3月29日(水) Vol.84

俺まったく忘れていたんだけど 三月二十八日は道場の誕生日だそうだ。
18年前の開店は20人ぐらいのスタッフと伴に 始動したんだっけなー。 あの頃は凄かったよ。 道場開ひのお祝いのパーティやって 二部に分けて、麻雀大会をやって盛り上がった。 開店と同時に人がわんさかやって来てくれて、 週末なんか満卓で待ち席にも人が溢れ、 すぐ隣にあった雀荘に行って 卓を借してもらったほどでした。
俺も一年中休みなしで下北と町田道場を かけもちして回った騒がしさだったが、 若かったから、少しのつかれも感じなかったものだ。 今思えばちょうど安田ぐらいの年だったものなー。
俺が雀荘をオープンするなら新宿が通り相場だったが、 その頃の環境と人との縁があって、 生れ育った下北と移り住んでいた町田で オープンすることになったんだ。
最初は普通の雀荘だったが 少し麻雀を教えてやるかと思い、指導するうちに すぐに「雀鬼流」という道に入り込んでしまって、 気づけばどんどんと 一般の麻雀の指導や打ち筋から離れていってしまい、 一つの独自の雀風が生まれてしまった。
それもこれも先に指導者や道があったわけではなく、 俺と麻雀牌との「運命」と定めとしか言いあらわせない。 皆さんからお祝いの声を掛けられるが、 今の気持ちは嬉しいというより感傷的です。 弱気ではないんですが、 何かがけっぷちに立たされているようで、 後がないような気持ちが、そうさせているのかも知れません。
俺の麻雀人生は前半が新宿時代、 後半が雀鬼流。 裏表のように大きく変化を見せたものです。
新宿時代は若くて強くって恐いもの知らず、痛み知らずの日々で、 それはそれで体験出来ない事を沢山やれて 毎日がけっこう楽しかったものですが、 それ以上のものは生まれて来なかったが、 雀鬼流を皆さん達と伴に歩み出してからは 思考の中に色々な事を気づかしていただき、 麻雀を通して色々な事を学ばして頂けた事は事実です。
雀鬼があってこそ「牌の音」が生まれ 「雀鬼流」が生まれたのでは決してなく、 道場生があって、 雀鬼流があって、 俺が歩めて来れたのです。
18年も経つと今や麻雀を打つことより、 そばにいてくださった道場生のほうが確実に好きであるし、 大切になってしまっています。
あまり長く書くと安田の奥様の里美さんから
「長いと読むのめんどくさいし、くたびれるのよねぇ」
と又、注告を受けますから(笑) 今日んところはこのへんで終了としておきます。
「牌の音」「雀鬼流」そして「道場生」の皆様方に 深く感謝しております。
こんな俺ですがもう少しだけつき合ってやって下さいまし。
                雀鬼




■2006年3月28日(火) Vol.83

Jr予選が終った。
我が家に度々襲ってくるサイクロンは、 その勢いを弱める事も無く荒れていて、 内から外へ吹き荒れて 今んところ、家の中は被害が少ない(笑)。
Jr予選は下北本部の圧勝で終ったね。 前日、下北予選組の勉強会を見た。 村瀬の指導が的を射ていて、 選手達も厳しさにしがみついていた。 町田とは同じ道場でも トレーニングが全然違う。 安田御大将がいて、 村瀬と金村がビシッと教える。
「これじゃ、町田が勝つ方がおかしい」
と、思っていたら、 やはり下北Jr予選組がビシバシ打ち合って圧勝。 良き指導者があってこそ 環境を変えられるんだよな。
だからといって、 トップ通過を女の子に持っていかれるようじゃ 温泉組合会長の多田君、危ないんじゃない。 雀鬼流という漢道の看板しょってるわりには 女に弱い奴ばっかだもんなー(笑)。 これも世の流れですかねえ。
Jr予選が終った頃、 顔を見たかった木津くんがやって来てくれた。 身体を痛めて休んでいたんだってえ。 弱った人を治す者が、倒れたらダメじゃん。
木津くんの顔色と眼力は、いつになく輝いていて、 少年のようだったことで、一安心。 元気も良さそうなので 突然、治療をしてもらう。 疲れていた所、痛かった所を 楽にしてもらった。 予約は入れないわ、金は払わないわで まったくもって申し訳ない。
「木津、明日も来いよ」
と、帰りがけに声を掛けたが、 すっぽかされて、それっきり(笑)。
安田によると木津に一本取られたらしいが、 こんな敗けなら十五日間連敗だっていいもん。
ところで、木津ちゃん。 木津ちゃんのヒーリングとかで 家の中に吹き荒れるサイクロン、 どうにかならんもんですかねぇ…(笑)。
               雀鬼

家の中に吹き荒れるサイクロン…(^_^;) 掃除機じゃないようですね、ハイ。 ともあれ、家の中は被害が少ないという事で、 この話題は軽く流してしまいましょう(笑)。
さて、すでにお伝えしたとおり、 今日は牌の音の十八周年記念日です。 会長は町田にお見えです。 僕らも下北の主だったものが駆けつけて、 オーガニックな砂糖(?)の入ったケーキでお祝いしました。 高槻塾からも電報、 そして山田マネージャーからのメールが届いていますので、 ここに紹介しますね。

今から18年前の今日、3月28日、 待ち望んでいた日が遂にやってきました。 牌の音オープンの日です。
21年前、まだ学生だった私が初めて桜井会長にお会いしてから、 沢山の事を教えて頂き、沢山の楽しみを頂いて いつしか会長の背中を追い続けている自分が居りました。 仕事の都合で実家のある九州へもどっていた私に、 会長が牌の音を始められるという一報が入り、 一も二も無く飛び出してきた私を スタッフの一員として会長は迎えて下さいました。 約3ヶ月に渡る準備期間、 今か今かと待ち望んでいたオープンの日がやってきました。 18年前、1988年の今日でした。
当時の牌の音は町田には若者が、 下北沢には年配がといった感じで 雰囲気も、麻雀の内容も今とはかなり違ったものでしたが 根本的に今と変わらず、 男の子らしさを大切にする場所でありました。 勿論、多勢いたお客さんの中には変なのも居て 中でもセットでよく来る ○ゲ頭で目つきの悪い行儀の悪い安○とかいう… あっ、今や選手部長でしたね(笑)。
あれからもう18年、 本当に色々な事を学び、楽しみ、喜びを 数え切れぬ程頂いてきました。
会長本当に有難うございます。 牌の音18周年おめでとうございます。
           高槻塾 山田英樹

「目つきの悪い行儀の悪いハゲ」って誰よ(笑)。 まあ、確かに当時は本当に色々な 「トッポイ奴」がいましたね。 中でも「女グセの悪い、博打好きのパンチパーマ」で、 山○とかいう… あっ、今や高槻塾代表でしたね(笑)。 でも、一番ヤバイ存在だったのは、 現役引退直後の雀○…t△■撃シャrj.←… アレッ、また文字バケだ(笑)。
本当に18年経っちゃいましたね、マネージャー。 でも、今思えばマネージャーは(見た目はともかく) 当時から、唯一雀鬼流な存在でした。 あの頃の自分を省みると、 かなり胸が痛くなる自分がいますし、 今でもそういう所は多々あります。 でも、会長の側に居られて、 大切な仲間がいるお陰で、 今日もこうやって立っていられます。
会長、牌の音18歳、本当におめでとうございます。 これからも倒れるまで、 ここに居続けたいと思ってますので ご指導の程、よろしくお願いします。
               安田潤司



■2006年3月27日(月)の3 Vol.82




というわけで、いきなりの写真。
会長と木津さんは暫くお互いの近況なんかを話してましたが、
「先生、ちょっと、電子鍼やりますか?」
と木津さんが言いました。 会長も木津さんがこの間より全然元気そうなので、
「うん、やってよ」
と、答え、ヒーリングが始まりました。

木津さん腰に、まだベルトをしている状態で 当然完治しているわけではないのですが、
「待っている人に申し訳ねえっすから」
と、自分で日々治療して、走り回ってるようです。
僕は会長がヒーリングを受けてる間、 たわいも無い冗談を飛ばしながら、 久しぶりに町田の子たちと麻雀を打ってました。 やがて、ヒーリングが終って、
「あー、気持ちいい。本当に楽んなったよ。  ほんとに気持ちいい」
と、会長。 会長はさっそく、そばにいる道場生を捕まえて、 格闘技の技を掛けたりしながら、 自分の体の具合を確かめたりしていました。 ここのところ、かなりお疲れだったので ちょっと心配していたので、 そういう会長を見て僕もかなり嬉しくなりました。 というわけで、今回のヒーリーとヒーラマンの対決(笑)は、 すんなりヒーラマンの勝ちという事ですねv(^_^)v
帰り際に、木津さんに、お礼を言うと、
「いや、俺も気持ち良くなりましたよー」
と、嬉しい言葉。 木津さん、ありがとうございます。 僕もお二人といて、かなり元気にさせていただきました。
最近は、身の回りに色々な病気を抱えた人が多くて、 そういう人に出遭うたびに、 なんとか治って欲しいと思ってしまいます。 今度、木津さんと出す「食と心と体」の本も、 少しでも、そういう人達の力になればと思うし、 できるだけ早く完成させたいと あらためて痛感しています。
病気の原因や治す方法論は、 いくつもあるかもしれないけど、 毎日の食事は必ず誰でも取るもので、 アプローチの仕方としても直接的で なかり効果があります。 後、誰でもできる事といったら運動、 体を動かすことですよね。 かなり温かくなってきたので 体を動かすイベントを 何かやりたいと思います。 やっぱ、心も体も柔らかくないとね。
               安田潤司



 

■2006年3月27日(月)の2 Vol.81

家ん中に春嵐が吹き流れていた。 自然の変わり目なら、それはそれ。 人工的な春嵐が吹き荒れ、本人以外は、 全員に避難命令が暗黙の上に流れる。 嵐に吹き飛ばされたまま、町田道場へ。
今日は選抜の下のクラスのJr.の予選日。 早くから皆が集って、最後の修正をしている。 時が近づく。 安田はまだか。
そこへ本部の若い者を引き連れて安田が登場。
「おまえら重役出勤かぁ!!」
「・・・・・・。」
ちょいの間があって、
「会長、お誕生日おめでとうございます。」
とでっかい美しい、 桜の花を持って来てくれた。
「何・・・・?」
俺は忘れていた。 道場の18回目の誕生日だったことを。
安田「18歳、高校卒業ですねぇ。    これから社会人になっても、よろしくお願いします」
会長「ここは学校だからもうおしまい」
家ん中にはきつい春嵐が吹くは、 道場には桜が咲くは、 いいんだか、悪いんだか。
春だわなー。
               雀鬼

そんな訳で明日、3月28日は「牌の音」の18歳の誕生日です。 生まれた赤ん坊が高校を卒業する程の時間を、 会長と共にここで過ごしてきた事を考えると、 ちょっと不思議な気分です。 人の人生において、出逢いや別れがあるのは当然だけど、 何かの必然で今ここにいられることや、 共にいてくれる人々には本当に感謝です。 可能なら二十歳の成人式まで 走り続けて生きたいです。
が、そんな先の事を考えると気が遠くなってしまうので、 とりあえず一日一日、 とりあえず夏までの一期、 その位を考えるが限界ですね(笑)。 なにせ、今期の始まる前から何だかんだで みんな結構走っていので、 全然オフシーズンな感覚が無く、 最近の僕らの口癖は、
「まだ、Jr予選も始まってねえよ…」
でしたから(笑)。 雀鬼会一回戦前に、顔が上がりそうになる、というか すでに半分上がってる者もチラホラ。 が、それも楽しさであります。
という訳で、Jr予選が終了しました、やっと(^_^;) 久しぶりに雀鬼会特有の緊張感の漂う中、 今期のJrの席を競って、半荘三回の勝負。 ホームページを見て、見学に来てくれた方も何人かいて、 いきなりの雰囲気にちょっと驚いてた様子も。
内容的には、かなり壊れた麻雀になるかもと思っていましたが、 結構Jrらしい勢いのある試合もあって、 そこそこの内容の予選だったと思います。
Jrは全16名、すでにJr残留の決定している5人を除き、 残りの11名が決まったわけですが、 町田道場は理絵ちゃん(トップ通過)と、 最近、町田に移動したスタッフの矢部ダチョウの2名で、 残り9名は下北沢本部の独占となりました。
今期は史上最強戦読者代表二回出場(いつの話だよ)の多田も 前期を温泉三昧で思いっきり休場し、 やる気満タン、お腹も満タンで復活したし、 スタッフ今井や樋口という元選抜面子もいて、 結構、Jrでも良い内容の試合が出来るんじゃないかと 僕らは期待しています。
予選に落ちた人達もJr2リーグの選手として やはり共に一期、走っていくことになります。
今回の予選を見て、 改めて「基本動作」の大切さを感じました。 しっかりとした手順や しっかりとした気持ちで闘いに臨むには 何よりもまず、しっかりと牌を切ることが大切ですからね。 まあ、それは麻雀だけに限ったことじゃないけど。
ともあれ、また楽しい一期が始まります。 みなさん、よろしくお願いします。
押忍。
と、そういえば忘れてた。 Jr予選後に、 ふらっ、と一人の怪しい男が町田道場に現れた…。
「おっかれっす!」
と、相変わらず、ざっくばらんな挨拶をするその男。 おっと、久々の登場、ヒーラマン木津龍馬だ!(笑)。
「おう、おつかれさん」
と、いう会長の横に木津さんは腰を下ろした。 さて、久々にヒーリーとヒーラマンの対決が始まるのだろうか?
そもそも、ヒーラマンの腰は完治したのか? 二人は今日も寝てないのか? 会長の家の中に吹き荒れていた春嵐とはなんなのか? なぜ木津さんの目の前に鳥のから揚げが置かれているのか?
膨らみまくる僕らの妄想はさておき、 ケンシロウとラオウばりのオーラを背負った 二人の対決が今始まる! さて、その結果は…!? この続きはまた、次のレポートで。 本日中に更新の予定! あくまでも予定! アベシッ!
つづく… (たまには、こういう終り方もありかなっと…)


Jr予選開始前にみんなで。


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