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■2006年2月25日(土) Vol.50 

安っさんへ
無事のご帰還おめでとうございます!(お疲れ様でした!)
2月22日VOL・47に写っているのは… 「シャチ」それとも「鯨」でしょうか? 私には人間とは思えませんが・・・!? 如何でしょうか。 (他言無用…特に会長には内緒ですよ!) 毎日楽しみに見させていただいています。 感謝!                   新上政広 拝
というメールを、日本を美しくする会の新上さんに頂きました。 「会長には内緒」という事なので、 もちろん、すぐお見せしました(^o^)v それで、書いて下さったのが、下の文章です。
メールを拝目いたしました。 さすがお目が高い、新上様のおっしゃられるように、 あの写真は決して人間ではありません。 新上様達が大嫌いな「ゴミ」で御座居ます。 それも何十年も捨て置いたままの粗大ゴミであります。
6000kmも離れたハワイの島々の深海600mの海底にも 我々の捨てたゴミの山があるそうですねえ。
その写真の粗大ゴミも、 日本の心の汚れた者の捨てた物が、 我々の行った南の島に漂流していて それを、安田が写真に撮っちゃったようです。 安田も新上さんの教えを学んだ身ですから あの写真の汚物を拾おうとしたのですが、 如何せん腐敗が酷く、悪臭を放つので 船に引き上げる事も、 持ち返る事も出来ない事をお許し下さい。
新上さん、あの写真、 自分ももう一度、見直したんですけど 江戸時代のさらし者か、 はりつけの刑にあった 極悪人のなれの果てに見えませんか(笑)
                雀鬼

えーと、僕はノーコメントです、ハイ(笑)
で、話は大きく変わりまして、雀鬼会。
「本当に来期はあるのか?」 「いつになったら、始まるのか?」 「ひょっとして、やっと終わってくれたのか?(by多田和博)」
という雰囲気が無きにしもあらずでしたが、 先日、来期の選抜選手とJr選手の入れ替え戦面子が決定し、 どうやら来期が始まります(多分…)。 この間の高槻決勝は、このサイトでも告知して 何人もの方に高槻塾に来ていただきましたが、 もう暫くしたら、下北・町田両道場で、 新人募集イベントを開催する予定です。 雀鬼流を学びたい人はもちろん、麻雀の出来ない方も、 会長や雀鬼会選手に触れ合いに来てくださいな。 その中から、新しい仲間が一人でも増えたら嬉しいです。 今の予定では、四月の初旬ですね。 では、昨日町田の支部長、志村から来たメールを。
ただいま雀鬼会のオフシーズンということもあってか、 道場内はちとばかし静かでございます。 3月に選抜、ジュニアの入替戦があり、 その後、ジュニアの予選を行います。 来月から少しずつ始動していくのですが、 現在の町田支部は、下北沢本部に比べて 明らかに人材が不足しています。 そこで、このHPを見ている方に、 町田道場の新しい仲間を募集したいと思います。 おそらく、初めて雀鬼流道場の門を叩くことは、 かなり勇気のいることだと思いますが、 きっと思っているより敷居は低いと思いますよ。 道場のスタッフに、HPを見てきましたと言っていただければ、 話題も広がりますしね。 麻雀の上手下手は、気にしなくても大丈夫です。 本当に大歓迎なので、少しでも『行ってみたい』、 『雀鬼流麻雀を体験したい』と思っている方は、 行動してみましょう。              志村政憲
という事でイベント以前に、新人募集が始まってます。 これは、下北沢本部も同様ですね。 雀鬼会の選手になるとかじゃなく、 まず、一度気軽に来てくださいな。 ある程度通って選手達に顔を覚えられたら、 色々なイベントに参加して、楽しみながら色々な事を 学べると思いますよ。 夏には、伊豆の別荘で会長と共に自然に触れたりね。 心のあるものと過す時間は最高です、本当に。
いつまであるか分からない雀鬼会と道場。 ちょっとの勇気を出して、 門を叩いてみてください。 素直な心をもってね。 お待ちしていまーす。
                   安田潤司


■2006年2月24日(金) Vol.49

今日は冷雨。 昔し折った、折れた、足の骨折部分が痛む。 海外中、俺を痛みからとりほどかなかった、 歯を治療するために岩本歯科に行く。 奴もこりないが、俺もこりない。 ねぇ、くされ縁でしょう。
医院の裏口から中に入ると、閉じた部屋で岩本が眠っていた。
「起きろ」
と軽いケリを入れてやる。 寝ぼけ眼の岩本先生が「すぐやりましよう」と言う。
「お前、また夜遊びかい」
「いや、昨晩遅くまでトリノの女子フィギュアを見てました」
「いいからか顔を洗って来いや」
冬季オリンピックで女子フィギュアの荒川選手が 金メダルを取った。 俺達の今回の旅行と同様に、 トリノオリンピックは、期待を持たせるだけ持たせておいて、 今までまったくいい所が無かった。 冬季オリンピックはというのは、 白人のためのオリンピックなのか 熱い国の人々や黒人の姿がほとんど見れないのだから、 これって五輪の輪じゃない。 五大陸世界大会じゃなくて 「冬季北半球大会」と名付けた方が正しいと思う。 嘘っぽいよなー。 ウインタースポーツを流行らされ そこから利権を作りだした。
西武の堤帝国が崩壊し、バックアップが無くなった為か、 日本選手は弱かったよなー。 海外の選手は、昼も夜も働いた上で選手活動を続け、 その上で好成績を取った人もいるらしい。 何か日本人の選手は、企業とか何かに守られて 国の為と言うより、企業のために 一心不乱で練習を重ねてきた。 選手達に一心が無くなって、不乱の顔つきを感じたのは 俺だけだったのかなー。
俺たちが行った島国の人々と同様の アバウト人間の岩本先生も、 流石にホームページで真実を書かれた為か、 奴にしては珍しく、謝罪と心配の電話を 幾度と無く掛けてくれた。
だがよ、 日々痛みと疲れと希望に破れ果てた俺や、 「自然と雀鬼」と素晴らしい被写体を撮ろうと 性根を入れてきた安田。 一年中、道場や皆を、裏側から支え続けてきてくれた花岡。 皆んなに楽しみを味わってもらおうと 必死に神経や時間を割いて、準備してくれた繁。 そん中にだよ、 仕事と家庭の問題を改良しようと急遽参加した、 「ちくしょうぼう」の偉い方は、 娘さんという、もう一個の荷物を抱えてやって来ていた。 俺に取っちゃ、怒りの「ちくしょうぼう」の偉い人だが、 そこは雀鬼流。 俺も安田もみんなも、その田舎の娘っ子に 少しでも楽しんで頂こうと大サービス。 そのお蔭か「ハァン」としか言えなかった娘っ子が、 みんなの「ふれあいの力」で心を開き、 旅行中、楽しい行動をなさっていた。 この飛び入りの何もしなかった親娘が 一番楽しみ、嬉しそうにしていたのは確実。
「俺たち、何しに行ったのか…」
家族の不和を改善するために、 痛みも疲れも全部使っちまった。 それなのにだよ。 帰国してからは、お礼の電話も無いのだから 偉い人は違うよな。 と、いうわけで、こちらから電話を入れると、 便秘気味な声が聞こえた。
「お前、またウンコ溜まったのか?」
「ハイ」
「お前ねえ、ウンコっつうのは  食い物だけの影響じゃねえんだよ。  仕事のウンコ、人間関係のウンコ、金のウンコ。  人間が生活することで触れ合うものは  全てウンコなんだよ」
「なるほど、いいこと言いますねえ。  便所に行きたくなりましたよ」
嫌になりますよね。 俺の周りにもウンコ友達がいてねえ(笑)
冷たい雨が降るわけだ…。
                  雀鬼



■2006年2月23日(木) Vol.48

我々が泊まったその島のヒルトンホテルは、 テロで破壊されたツインタワー並みに 天高く人工的に作られていた。 ホテルだから人工的であることは分かっちゃいる。 が、そうではない。 アメリカ資本で作られているそのホテルは 全てが人工的なのである。 一応、ホテルは海に面して建っており、 プライベートビーチがあるのだが、 その海ですら高い城壁に囲まれ、 ちょっとしたプールほどしか海岸が無い。 どこから毎日運んで来るのか、その海岸だけが白砂で、 城壁の外側は一般用の海なのか、 砂地も黒く海の色も汚染されている。
オーシャンビューのベランダから眺めると、 プライベートビーチだけがスッポットライトを当てられた 狭い領域に見える。 城壁の外の海は、とてもリゾート客が入れる海ではなく、 プライベートビーチは箱庭に作られた水辺のようで こちらもとても入る気にも、そばに行きたい気持ちにもなれない。
自然に逢いに来たのに、そこいは少しも美しい自然が無い。 白人資本の作ったホテルなのに、 ゲストの姿に白人の姿が見当たらない。 ゲストは、日本人か韓国人系ばかり。 江ノ島より10倍汚い海になんか、 白人達は近づいてはいけないことを知っている。
「白人達にとっては、そこはビジネスの場であっても  決してリゾートの場ではないことを  利口な彼らは知っている。」
宿泊客を守るというか、アメリカ資本を守るため、 ホテルは2重ガードになっていて現地の人を寄せ付けない。 我々もヒルトン城からオンボロ車で出掛け帰る折には その2重のガードの入り口でチェックされる。 自由と平和どころか危険に対する厳しいガードである。 車の中も、我々の手荷物もその度に火薬犬に息をかがれる。 ガードされているのか、犯罪者扱いなのか、両方とれる。
その国、その島の人々は、 とうの昔しに他国の宗教が入り込んでいて、 クリスチャンが大半。 町並みの家にはキリストやマリアさんの絵が飾られていた。 その国には少数のイスラム過激派が棲んでいる。 そのための厳重なチェックを行う。
その国がとうの昔から宗教、政治、経済、文明、文化すら アメリカ化されていることは、俺でも知っていた。 戦後、どう転んだってアメリカの力の元で 日本社会は子分化されているが、 この国はもっとひどい。 都合の良いことだけをアメリカ化され ほとんどの人々は放ったらかされたまんま。 それこそ資本主義、市場主義、個人主義の持つ ドロップアウトの姿が見て取れる。
あるアフリカの言葉で、 「何時のまにか、手の中に聖書を持たされたが、  気づくと自分達の土地も全てを失った。」
という言葉を思い出す。
翌日のジンベイザメとの対面を控えて我々は 人工的なビーチを捨てて、 船をチャーターして少し沖に出る。 その船のオーナは日本人で、自ら現地のスタッフ5人と伴に 船に乗ってガイド役を勤めていた。 ポイントに船を止めて潜ってみる。 珊瑚は、見えないか死んでいて 一時間ほど潜っても小指ほどの魚が数匹いるだけ。 この海は汚れている。 死んでいる。 日本のきれいな水を飲んでいる我々には 海水すら下痢を起こしそう。
船着場では、現地の大人や子供達が 素手で米だけの食事をして 海水で食器を洗い、 親子そろってその後入浴したり、トイレ代わりにしていた。 現地の人にとっては水辺は生活全ての一部なのだ。
我々が、船着場からチャーターボートに乗るまで、 小さいハシケで三往復かかる。

その間、暑い日差しをまともに受けながら 真っ裸の子供達が水辺で遊ぶ姿をながめ、 日本から持ってきた紅茶のボトルを一口のどに通すや それを見た七〜八人の子供達が 裸でやって来て手をのばす。 紅茶を差し出す。 もらわないという態度を取る子が2人いた。 彼等も物を"乞わない"というプライドを教えられているらしいが 瞬間、背の一番大きい子が、 俺の手からうばうように紅茶を持って走り逃げると、 まわりの子等も一団となって一本のペットボトルを追う。
「分け合うことをしないのか」
その姿を見てガイドが、 彼等には「ありがとう」と「ごめんなさい」がないという。
裁判制度が発達した米国では、自分の否を認めたら負ける。 その前に相手の否を攻撃することが勝つという。 個人主義とはそういうものなのだろうか。
素直と勇気のTシャツを着た我々は そういう社会的環境に違和感を感じる。 彼等にも昔し昔しには 彼等なりの掟の中に、正しいプライドが存在したはず。 そこへ悪い要素が海外から文明、文化として入り込んで へんてこりんなプライドになってしまっている。
使命感や責任感などを学ばない彼等の習慣はアバウトである。 そんな彼等でも日曜日には クリスチャンのお勤めで教会に行き、 神様には感謝をし、 金をもうけた、 食物を頂いた、 ありがとう神様という。
その人達の暮らしの全ては自然の恵みか、 まわりの人々からの協力で何かを頂いているのだから、 神の前に、互いの人間関係の中に 「ありがとう」があるのが必然である。 人に何かをしてもらっても、 その人に直接「ありがとう」を言わずに、 日曜日に教会へ行って まとめて神様に「ありがとう」というのもおかしな話である。
学校を出たハイレベルな人の中にも、 キリストはアメリカ人だと思っているという話には、 笑ってしまったが、全てが含まれているような気がした。 その船のオーナのガイドさんの話によると、 この船も現地の人達に頼んで製造したが、 作っているうちにどんどん船体が重くなって、 日本から取り寄せたエンジンでは とても早く動くことが出来ない。 その上、船を止めて置くと、 エンジンを含めいろいろな物が盗まれてしまうので、 今は現地の人が2人寝泊りしているという。
何もない島。 自然の姿すら失いかけてる南の海を 船はよたよたしながら走っていた。
                  雀鬼

沖縄の海で亀と戯れる雀鬼

■2006年2月22日(水) Vol.47

旅先のヒルトンホテルの九階にある俺の部屋。
「安田なんか揺れてねえか?  俺、少しふらふらすんだけど」
「自分は何ともないですけど…  今は、至って健康状態は良好ですから」
「ふぅん、そうかな…俺には揺れを感じんだけど」
「会長、この旅行中体調がすぐれませんし、  毎日車や船に乗りっぱなしだから  それで揺れてるように感じるんじゃないですか」
「う〜ん、そうかい…そうかなぁ…」
名前も忘れたその島から成田に向かっての機内、 日本にやっと帰れるとホッとした俺は、 四時間以上の飛行時間中、眠れた。
日本のあれやこれやの疲労を、 少しでも癒すことが目的でその島に行った。 旅行に備えて、痛くも無い歯を点検治療に行ったが そのお蔭で返って歯が暴れ乱れて 痛さが増すばかりであった。 それと同じく、消しに行ったつもりの疲労は 今回の旅行に限っては何倍にも重なり、 帰国日には限界点にまで達していた。
何から何まで目標を外され 全て思った以上の期待はずれ。 何か全てに裏切られたような気持ちに落ちていた。
もちろん同行者に悪いものなど一人もいない。 前回の旅行はお荷物的人間が多くて 出発前から俺がポーターを覚悟したが、 今回の参加者は、雀鬼会でも先頭を走る 現チャンプの安田選手部長という右腕はいるし、 裏方番長の花岡という、 他人のために力を注ぎ、 道場守bPの頼りがいある男がいて、 スタッフ代表、四天王、道場長でもある村瀬と、 まさに三強がいて、 脇に繁やシャボという知性派と体育会派までいる。 これ以上の好メンツはないよ、 というメンツが揃ったのだから、 まさに雀鬼流代表者の旅に相応しいはずだった。 が、旅行中ことごとく戦に敗れ、 今や全員、矢折れ弾尽きて落ち武者状態。 日本に逃げ延びるように帰ってきた。 どういうわけか残る雑兵の中に、 「ちくしょうぼう」のお偉いさんが 娘を連れてくっついて来ていた。
はっきり言って今回の旅は最低。 ただでも、もう一度は行かない。 金を210万円くれても絶対行かねえ。 それほどがっくりした旅でした。
俺等が機内でぐっすり落ちている頃 俺等が行った島のすぐ隣にある島で地滑りが起き、 2000名近くの島民が行方不明や死者となる 大災害が起きてしまっていた。
ほら見ろ安田、やっぱし揺れが何かを伝えていたんだ。
思えば旅行中、何度も我々を襲った大雨、 俺達がいた島、俺達が一日中走り回った道程の中で あの地滑りをまともに食らっても 決しておかしくなかった。 あの南の島からの帰国、いや脱出日の予定を 災害寸前に取り入れてくれた繁に 助けられたのかも知れない。
これも不幸中の幸いというのかなー。
二酸化炭素いっぱいの街。 人々が蟻のようにうごめく沿道や クラクションの響きと汚染された島々であったから 「自然には敵わない」と思いながらも 我々の腹の中にあった期待外れの怒りと同様に 人々が汚し、駄目にしてしまった自然がお怒りになって、 「地滑り」という大痛手を引き起こしたのだろうか。
良かったのか、悪かったのか、 俺達、雀鬼会の選択が間違っていたのか それとも弱かったのか。 答えはすぐに出る問題じゃない。 が、とにもかくにも俺達全員、 今は無事で日本にいることは確かである。
俺達やっぱり 転んでも転んでも ただで起き上がらねえもんだなー。
                  雀鬼


 


■2006年2月21日(火) Vol.46

10日ぶりに飯らしい飯を食えた。 こんな事で嬉しくなって、側にいた娘と女房に
「ありがとう。ありがとう」
と、しっかりした声を掛ける。
「良かった。良かったね」
と、返ってくる。
たった一食、 それも、決してご馳走でもなければ大好物でもない。 極一般的な食事を取っただけなのに、 食事を出来た喜び、一食のありがたさを感じて 久しぶりにホームページ用の原稿を、 今、お茶を飲みながら書いている。
10日間、スープ以外は柔らかい食べ物でも 小さく砕いて騙し騙し食べ、 どうにか体力を保っていた。 が、そんな食事の取り方では、 気分がすぐれる訳は無いし、 腹や心から湧き出る気力や根性なんか 出る方がおかしい。 心強さや腹を据えた姿を無くし、消していた事は 自分が一番分かっていた。
木津くん、安田、 一食ってこんなに大切な事なんだよな。
お前たちは日々食の食べ方の間違いや 正しい取り方をみんなに訴えていて、 自ら一食一食を選択して 食の改善をしていたよな。 俺はそれを見たって「俺は俺」みたいに食っていた。 もちろん、決してお二人さんに逆らっていたり、 反抗したんじゃないよ。 正しい事に対しては少しの疑問も無かったんだ。 それなのによー。 俺も食改善の勉強会に参加させるにゃ、 どーすべーかと企んだ末に、 海外旅行のチャンスを待って 二人は実行に移したんだよな。
海外に行く前にヒーラマンが安田と共に現れて 陰謀を計った事を感じた。 俺はヒーラマンを倒したつもりだったが、 知らぬ間に毒を盛られたのか その後俺は食を取れない立場、病院の流動食状態。 多分こうでもしなけりゃ
「会長は言う事を分からないし、聞かめぇ」
と、二人の一致した決断だったんだ。 俺は麻雀だって読めるぐらいだから 二人の企みぐらい読めるって。
どうもおかしいと思っていたんだ。 海外に同行した安田は食事のとき いつになく俺の側に座り、メニューを勝手に決めちゃ、
「会長、このスープがいいですよ」
とか、優しい振りをしていたが、 スープを差し出す奴の手の平の中に、 小さな瓶からパラパラと何か毒物を入れているのは、 しかと見ていたもんね。 安田光秀に……それも運命。 どうせやるなら武士の情け、 一気にやってくれればいいもんの
この10日間、特に海外じゃ機内の気圧の変化や 廃車扱いのボロ車で、悪道を早朝から晩まで長時間移動。 その上、熱射が差し込む。
「そんな楽はさせないよ」
という地獄的手段、手の込んだ責め苦。 それも表面上は、俺を愛している、思っている振りをしながら 行動を一つ一つやるのだから、 たいしたもんだよ、ということは敵ながら認める。 君等を敵にしてしまった俺が悪かった。 ゴメンナサイ。 この次は、どうせやるなら一気にやってやって下さい。 そこんとこ、よろしく。
それにしても安田光秀はたいした男だった。 さすが雀鬼会選抜チャンプを取った男だ。 南の島だ、ヂンベエザメだ、 それもヂンベエザメのスクランブル交差点状態で、
「さぞや、会長も大喜びでしょう」
と、散々、俺の好み所、狙い所を知った上で、 俺を、海外まで引きずり出しての犯行だったもんだから、 国際的だよな。 手の込んだ事をやるねえ、君は。 いや、決して恨み辛みがあるわけじゃ御座いませんよ! そこまで見事にやられちゃ、やったことに賞賛、 いや、スタンディングオベーションものですってことです。
しかし、俺もしぶといねえ、全くよ。 何か書いてるうちに楽しくなっちまってるよ。
ところでさあ、 俺、どこの国の何ていう島に行ったんだっけ?
知ったこっちゃねえや。
                  雀鬼




■2006年2月20日(月) Vol.45

Vol.42ホメオパシーという同種療法の薬の事をちょっと 書いた。で、海外からの帰りの成田エクスプレスで、僕がホメ オパシーの本を読んでいたら、
「ちょっと見せてみろ」
と、会長が本を読み始めた。
「うん、大体分かった。  毒を持って毒を制すって奴だ。  まあ、理にかなってるな」
その本の中に、ストープで火傷をした子の手を、 急いでもう一度ストープに近づけてから、 ホメオパシーを飲ませて直したという話が載っていて、 なるほど、逆転の発想だなと僕は思った。
以前、海で泳いで過呼吸で倒れた花岡を、会長が介抱した時、 その後、事故を起こした同じ場所で泳いでいる会長がいた。 会長のお子さん達が海で溺れかけた時も、落ち着いた後、 再びその海に「放り込んで泳がせた」とも言っていた。 それは正に、同種療法だと思います、と会長と話をした。
普通なら、溺れたすぐ後に 同じ所を泳ぐという発想は出てこない。 むしろ、「危ないから近づくのは止めよう」となるのが普通だ。 そうやって僕等は、 苦手なものを増やしているのかもしれない。 牡蠣で食あたりした人は、 牡蠣を食べるのに抵抗が残るだろう。 会長の発想だと、食あたりが治まってすぐにもう一度、 牡蠣を食べるのと同じ行為だ。 苦手意識を克服し、不安やトラウマを残さないためにも、 自ら毒を喰らう。 車の運転が下手だからと、 広い道ばかり走ろうとする人と、 あえて狭い道で練習しようとする人には、 おのずとしてその運転力に、差が生まれるのだろう。 それは、人間関係においても まったく同じ事が言えると思う。
「拒否反応と闘え」
と、会長は言う。
「好きな事ばっかりやってちゃ駄目だ。  嫌いな事もやらないと」
とも言う。 それには色々な意味があると思う。 でも、そこには苦手なものを減らし、 どんな事でも「受け入れられる強さを育む」 という意味も間違いなく入っていると思う。 それができるようになったら、その次に来るテーマは、 「それすらも楽しんでやること」になるんだろうな。
「もっと強くなりたい」 「もっとしっかりしたい」と思うなら、 自分が一番苦手な所へ飛び込んで行けばいい。 一番大変だと思うことに、向って行けばいい。 とりあえず、一日に一つ位は拒否反応と闘ってみよう と、思ってみたりした。
今日の道場は完全にオフな空間。 近づく来期を前に、嵐の前の静けさなのか、 それとも、もうしばらくは 何も始まらないのかなあ…。
                  安田潤司

   とってもオフな雰囲気の下北沢道場

■2006年2月17日(金) Vol.44

ただいま、帰ってきました。 海外に行っている間にも、大勢の方にメールを頂きました。 まずは、木津さん。 Vol.42で会長が、「歯が痛い」と言っている文を見て、 送ってくれたものです。

安田様 レポート読ませていただきました。 まさか海外にいってまで更新していたとは… おそれいりやした。m(_ _)m
桜井先生の歯なんですけど、人さし指と親指の間の股を マーサージするとイイですよ。 「ゴウコク」っちゅうツボですわ。 これは左右、両手両足刺激を与えると、歯が楽になります。 そんで寝る前に、同箇所に爪楊枝の丸い方か、 生米を縦に皮膚へ突き刺すように、 バンソウで貼り付けると効果ありますです。はい。 くれぐれも、皮膚を突き破らないように…
本当は梅干があれば、歯の痛い部分にすり込むとイイんすけどね。 セブ島にあるかどうかはわからないですけど、 大根おろしをガーゼでヒタヒタにして噛んでも結構効果ありますよ。
ホメオパシーの場合は、雑菌云々ちゅうよりは、 治療時の薬害を出そうとするので、 顔が好転反応で腫れたのだと思います。 アロエみたいなモンを噛んで、液をすり込んでも痛みとれます。 オレンジの皮なんかもいいんすけど、 桜井先生は柑橘系ダメですもんねー。 いずれかやってみてください。 このメール、間に合えばいいんですけど。
南の島の太陽光生活は羨ましいっすねー。 残りの時間、存分に楽しんでくださいねー!!
ではまた〜。    木津龍馬
追伸 東京も今日は20度近く気温が上がりましたよ。     朝の遠隔があったかくて楽でしたー!!


このメールを海外で見て、会長にお伝えしようとしたら、 すでに「ゴウコク」のツボを自分で、押されてました(^^;)
今回の旅は、僕的には本当に色々と学ぶ事が多く、 特に心と体の健康については、本当に勉強になりましたね。
で、続いては「日本を美しくする会」の新上さん。

桜井会長及び安田さんへ… セブ島自然研修の旅!お疲れ様でした! 日々の様子はレポで拝見しておりました。 日本での「心の垢」を大自然の中、 目一杯落とされてこられた事と存じます。 (安っさんは…?大丈夫?)羨ましい限りです。
ところで、
VOL・34レポート拝読させていただきました。 桜井会長からまたまた!?お褒めの言葉を頂き、 光栄に思っております。 安っさんも同様だと思いますが、桜井会長からお電話を頂くと 「ドキッ!」としますよね。 それに背筋が「ピン」と張り、私的には「怖さ」を感じます。 別に悪いことは何もしていないのですが… どうも「見透かされているようで…!」 電話でこうですから、お会いしたもんにゃ 目を合わすのも…コ・ワ・イ!?
桜井会長も鍵山相談役も、一道を極めた本物のお人なだけに 「全ての表裏が見える」真の感性を持った 「偉人」「哲人」なのでしょうね。 安田さんと私は、そのお二人の傍に居られる 最高に幸せ者だと思います。
講演会(桜井会長・相談役・木津さん)の件、 関西(大阪か京都)での計画!真剣に考えてやりましょうね! 木津さんにコーディネーター役をお願いし、 安っさんが「総監督」でお願い致します。 ↑相談役のご命令です!(ウシッ!) てなもんで、よろしくっす!
新上政広 拝


「ウシッ!」とか「てなもんで、よろしくっす!」とか、 段々とノリが僕等に似てきている新上さんでした(笑)。
関西講演会の話も出てきています。 やるとしたら、時期は暖かくなった頃でしょうか。 現時点では、全て未定です。 で…木津さん、コーディネーターだって。 鍵山先生のご命令ですって。 これは、お断りできないだろうなあ…(笑)。 頑張ってくださいね。 僕は総監督として、裏方に全力投球しますから(^^;)v
昨日までの投げっぱなしレポートで、 「詳しい真相は明日のレポートで」と書きましたが、 今回の総括に関しては、いずれ会長が書いてくださる (と、思うので)そちらにお任せしようと思います。 僕の個人的な感想はいずれまた別の機会に。
                  安田潤司



■2006年2月16日(木) Vol.43

朝五時半。 部屋に電話があって、理絵の部屋に行った。 顔が青白く、貧血とめまいで起きれないという。 出発を遅らせて、しばらく様子を見る。
「今回の旅で危ないのは理絵と今井だな。  二人とも気を付けろよ」
昨日、会長が車の中でそう言い、 その言葉通りに理絵が体調を崩してしまった。 会長が血が巡るように、マッサージをしてくださり、 持ってきていた玄米粥と梅干しを食べ終わる頃には、 随分、顔色が戻る。 一時間遅れで出発。 今日は、セブ島の反対側の海亀の見えるポイントまで、 三時間半の車の旅だ。
繁華街からスラム街を横目に車は走る。 やがて、徐々に田舎になっていく。 子供、犬、鶏、山羊、 辺りの風景はアジアそのもの。 二時間ほど走った頃に再び、理絵の体調が崩れ休憩。 再び、会長が看護をしてくださる。
目的地に着いた頃には、お昼になっていた。 着いた海岸は、ハイビスカスの花が咲き、 いくつものバンガローが並ぶ静かな街。 が、空は曇っていて結構寒い。 今にも雨が降りそうだ。
昼食後、海亀のいるポイントに潜る。 寒い。 まるで、伊豆の海で泳いでいるようだ。 やがて、雨もパラついてきた。 現地のスタッフが息を吸うために、 海面に顔を出している海亀を見つける。 みんなが、再びその辺りに潜るが 誰も亀を見つけられない。 唯一、みんなと違う方向に潜った会長だけが 海亀を見つける。 が、会長と同行していたシャボには それが見えなかった。
「ありゃ、シャボには無理だよ。海は雨で濁っているし、  珊瑚と同じ色して動かないんだから。  いくら、そこだよって、指さしても  シャボには分からないんだもん 」
あまりの寒さに陸に引き返す。 再び、車での長時間の旅。 今回、一体どれだけ車と船と飛行機に乗ったんだろう。
「なんなんだよ、これ。今まで一度もこんな事なかったよ。  こんぐらいの事は、気持ち一つで何とかできたのになあ…  どうして良い事も悪い事も、  感じた通りになっちまうんだろう…」
ジンベエ鮫に続き、今日も不発。 それぞれがこうなった意味を考える。 この旅の企画者の繁、 今年、本厄の花岡、 一行の責任者の自分、 みんな自分のせいかなぁ、と考える。
夕食の時間になり、会長の部屋に行く。
「そこに正座しろ、安田。  全部、お前が呼び込んだ流れだ、ボケ。  こんだけの面子集めて、  なんでこんなショッパイ旅にしてんだ、この野郎」
かくして、全ての責任は私、安田にあった事が告げられた。

というオチを考え、この写真を撮ったが、 雀鬼流でこんなダークなオチはねえだろ、 会長が何かを人のせいにするわけがない、という事でボツ。 では、このオチの付かない旅と話の真相はいかに?
明日は早朝出発で、朝四時にはホテルを出て、帰路に着く。 なので、詳しい真相は明日のレポートで。 おいっす。 お疲れっす。
(続く…)
                  安田潤司


南の海でクロールをする雀鬼

 

■2006年2月15日(水) Vol.42

「歯が痛えんだよ」
と、来る飛行機の中から会長は言っていた。 会長はこっちに来ても歯が痛くて、 堅い物が食べられず困っていた。 夜もそれほど眠れないと言っていたので、 昨夜、睡眠と歯の炎症と痛みを抑えるホメオパシーを 飲んでもらった。
ホメオパシーというのは、薬の名前。 例えば熱が出たときに、あえてもっと熱の出る極微量の毒を飲み、 身体がそれに反応して、自分で免疫を作り熱を抑える。 これによって耐性が出き、 自然治癒力をアップさせ、 次に同じ病気にかかりにくくなるというもの。 西洋医学の対処療法に対して、 ホメオバシーは同種療法と呼ばれている。 その全てが自然界から取れた成分の物で、 抗生物質のような副作用もない。
今回の旅行には、このホメオバシーのセットを 救急箱として持ってきていた。 乗り物酔いのホメオバシーもあって、 そのお陰か、あれだけ船や飛行機に長時間乗っているのに 今回は誰一人として船酔いをしていない。
ホメオバシーには、時によって薬が効いたとき 一時的に症状が悪化する「好転反応」が出るときがある。 これは薬が効いている証拠なので、暫くすると症状も治まる。 この「好転反応」が出たとき、「ヒットした」と言う。
さて、会長にホメオバシーを飲んでいただいた翌朝、 僕の部屋に電話があった。 呼ばれて言ってみると、会長の顔面が大きく腫れていて、 目も良く見えない様子。
「どうしたんですか?」
「ジンベエ鮫に逢えなかったから、みんなに殴られた」

と、会長は膨れた顔で軽るーく冗談を飛ばした。
「眠れました? 」
「効きゃしねえよ、あんな薬。  ったく、お前は俺で人体実験しやがって…  そんな事しなくても、俺は自分で直せるのによ」

どうやら眠れるホメオバシーは効かなかったようだが、 歯の炎症と痛みを抑える方は、完全にヒットしたようだ。 その好転反応で顔面が腫れているらしい。 歯の治療の時の雑菌が、顔に回っていたのだろうか。 一応、この腫れを抑えるホメオバシーを飲んで貰ってから 様子を見て出発することにした。
暫くして無事、腫れも治まってきて海に出た。 今日は近場の海に船を出して、のんびりした感じ。 大した冒険が無くても、やはり海にいると気持ちがいい。
やがて、会長がガイドさんと色々話をして、こう言った。
「よし、明日はその海亀を見に行こう。決定」
明日は最終日なので、のんびり過ごす予定であったが、 会長の一言で再び早朝出発で、海亀を見に行く事になった。 今回撮影で来ている僕としても、ジンベエ鮫の映像が撮れなかったので、 この案は願ったり叶ったりだ。
「ジンベエの次は、海亀のスクランブル交差点ですね、会長」
「うるさいよ、馬鹿野郎」

こうして、急遽、決まった海亀ウオッチング。 僕ら一行は珊瑚の上を泳ぐ、青海亀に逢えるのだろうか? 亀仙人と呼ばれる会長の写真で、
「ああ、ついに海亀に出逢えた!!!!!(涙)」
なんて、昨日のジンベエの様なベタな落ちが、 また待っているのではないか? 読者の不安と僕らの期待を最大限に拡げつつ、 明日の早起きのため、今日も僕らは床に付く。
お疲れっす…zz(_ _)zzz
                  安田潤司



 

■2006年2月14日(火) Vol.41

朝、四時半起床。 辺りはまだ、薄暗い。 誰も寝坊することなく、車に乗り出発。 徐々に夜が明けてくる。 一昨日、東京で冬の真っ盛りに居たことが、もう思い出せない。 完全に夏の夜明けだ。
二十分ほど車に乗り空港に着く。 ここからは、セスナに乗り、移動する。 機内は五人乗りで、軽自動車より狭い。 離陸して暫くすると、 右から日が昇り、左から月が沈む。 雲の上で体感する夜明けは、とても幻想的だ。


二時間ほどして、目的地に着くと 今度は更に二時間、車で移動。 途中に見える町並みでは、 下級階層の人達の生活が見える。 ゴミの山を漁る子どもたちもいた。
暫く走ると舗装道路が完全になくなり、砂利道になる。 こうなると、遠出というより、もう完全に旅行だ。 やがて、見えてくる海。 ジンベエ鮫の書かれた看板がそこらここらに見え、 目的地に着いたことが分かった。
時間は九時。 ジンベエは水温が上がるお昼頃には、 プランクトンを追って深いところへ行ってしまうらしい。 午前中が勝負だ。
カヌーのようなボート二台に分かれ、海に出る。 いつ、ジンベエに出会っても良いように、 すぐにシュノーケルを付けて、準備。 五人のガイドたちが、目を凝らして四方の海を見る。

風がやたら気持ちいい。 いやが上にも期待は高まる。


一時間ほど、その辺りの海域を走り回った。 いまだにジンベエの姿は見えない。 辺りには十隻近い船が出ているが、 どの船もジンベエを見つけた様子はない。 昨日現地で降った雨により、水の透明度が悪く見つけにくいらしい。 空がちょっと雲って雨がぱらつき始め、 僕らの気持ちにも若干の暗雲が立ちこめ始めた頃、 会長が言った。
「どこがジンベエ鮫の交差点なんだよ、安田」
「今日は道路工事中なんですよ、会長」

そう言いながら、自分でも笑えない冗談だなと思った。
時計がお昼を示す頃には、完全に出逢え無い感じが漂う。 会長も船の上で横になっている。 向こうの船では、今回の旅の企画者の繁が、 完全に折れているだろう。
一時を過ぎたので、陸に戻る。 今、戻らないと帰りのセスナに乗り遅れてしまう。 港に向かう船、 誰も口を開かない。 船のキャプテンが、アイム・ソーリーと言い、 僕は、ノープロブレムと、しかたなく答えた。
結局、今回の目的だったジンベエには出逢えなかった。 一行に長旅の疲れがどっと出る。 ピーチで昼飯を食べたが、 完全に折れた繁は、一口も食べず黙っていた。
再び、車とセスナを乗り継いで、 来た道を帰る。 終わった…。 完全に終わった…。 無駄ヅモで流局。 ラストーーーー!! という冗談を思いついたが、 今言うと、この場で車から降ろされそうなので、黙っていた。
長旅の末、ホテルに戻り、シャワーをあびて 海辺のレストランで待ち合わせ。 もう今回はジンベエに逢えないんだなと、 レストランへの道を歩きながら、 ふと海に目をやった。
「!!!!!!!!!!!!」
夜の海辺になんか見える!? 再び目を凝らす! なんて事だ! 瞬間、込み上げてくる涙を抑えきれない。 涙に曇った眼で、再び見る。 間違いない! ジンベエ! ジンベエだ! こんなところでジンベエに逢えるなんて! 僕は大声で叫んだ。
「か、会長ーーーー!!!」



「ん?なあに?」
コレかい。 こんな落ちかい。 こんなに大変な思いをしてやって来て、 こんなベタベタな落ちかい。
雀鬼流に大切なのは、修正力。 トラブルを楽しめ。 楽しみを作り出せ。 僕らは日々そう教わっている。 夜の食事の後、 僕らの意識は「どう残りの日々を楽しむか」に変わっていた。 前に気持ちを向け、 ちゃんと今と向き合えば、 ジンベエに逢えなかった意味も、 いずれ自然と分かると思う。
海辺のレストランの帰り道。 忘れられない、この日の思い出に 僕らはジンベエ姿の会長と記念写真を撮った。
                  安田潤司


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