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■2011年4月16日(土) Vol.1610

午前一時、歌ちゃんが迎えに来る。 家人や子供達は大黒柱の俺が、 どこへ何をしに行くのかも、分かりゃしない。
誰も居ないが、我が家を一人で出発。 これから、宮城までの長旅が待っている。
正直いって、俺って、 乗り物にじっと座ってるが、苦手。 一時間もすりゃ、飽きちまうが、 今回だけはそうも言ってられない。
シャボ隊長や、 この日も寝ないで、 生のマグロを被災地へ美味しく届けるために、 関さんと黒沢さんは、 どれほどの苦労をなさった事だろう。 その上、今回は御二人も被災地まで、 同行してくださる。
俺の勝手な思いつきで始まったシャボ基金だが、 何人もの方に、多大なご苦労をかけちまった。
午前一時半、町田道場には 歌ちゃん、深山、佐藤カーに、 恒、小鉄、理絵、新屋の木の子荘組に 沓掛、今川、BIG、パゲラ、横ちん、橋本が、 出発の時を待つ。
埼玉の川口では、 シャボ、康夫、金、川原、森が 2トンと4トンのトラックに物資を満載し、 途中で関さん、黒沢さんと合流して、 いくつかの避難所の夕方にマグロが間に合うよう、 これから動く。
20名の有志に一人、 じゃまっけな爺さんが混じって、行っちまう。
何事もないよう、 明るく、元気に帰って来ます。
元郎や緒方のように、 行きたくても、行けないものもいる。
「父さんが宮城に行っちゃったら、  そっちは大丈夫でしょうが、  東京が心配です」
と娘。
「だってよ」

         雀鬼




写真は前回の宮古行きの時の、 川口の康夫さん工場内でのものです。
シャボ基金にご協力いただいております一般の方々、 その皆様のお気持ちを、 マグロや、様々な現地の必要とする物資へと姿を変えるために、 その裏には関さん黒澤さんの、 表にはなかなか出てこないご苦労があると思いますし、 物資調達や積み込みなど動いてくださる道場生には、 いつも心強さ、ありがたさをいただいてばかりです。
道場の元気が少しでも、現地に伝わり、 少しでも笑顔が生まれれば、と願います。 長旅で大変ですが、会長行ってらっしゃいませ!! そして現地組総勢21名が無事に戻って来れますよう、 どうぞみなさま温かく見守って頂きますよう、 よろしくお願いいたします。(緒方)

■2011年4月15日(金)その3 Vol.1609

俺って、「グレ」ている。
「俺って67年間グレっぱなしで、  今もそうだ!!」

「何でボク、あんなに勉強ばっかやっちゃったんだろう  今さらながら後悔している」
と小鉄。
「私も、両親のため、自分がこれ以上嫌われないようにと、  学生時代に勉強に逃げていた」
と理絵。
幼少の頃のグレ、 青年になってからのグレ、 大人になってもグレ、 爺さんになっても、立派なグレを続けている(笑)

「ボクは中学生ぐらいからグレました」
とシンヤ。
お前のグレは、ただのひねくれもん。 本もののグレは、気骨があるんだよ。

良否でなく、悪でもなく、不良でもない話が 道場で始まった。
「君等の父さんって、俺みたいにグレてんか?」
「グレていません」
「じゃお前達、俺みたいにグレられると思うかい?」
「いや、とうてい無理です」

己を売らず、でっかいものにつかず、 根っ子に反骨心を持って己に素直でいるって、 自由に生きるより大変かもな。

俺はオレ、 誰にもおすすめするつもりはございません。

         雀鬼




僕らのグレって言ったら、しょせんヤサグレ程度です。 会長のようなグレは、 正直僕らの憧れでもあるのです。 「とうてい無理」ですけど・・・。(小島)

■2011年4月15日(金)その2 Vol.1608

新潟の五十嵐さん、 2度目のシャボ基金、ありがとうございます。
道場生のそれぞれの犠牲心があって、 その上で、 一般の方々からの温かいメールや シャボ基金へのお力を感じながら、 日々を過ごしております。
町の雀荘という小っこいところと、 皆々様の個人との結びつきに、 改めて、美しさや正しさを感じとります。
日本赤十字というでっかい慈善団体には 1000億以上の基金が集っているらしいが、 今だ政府や行政がからんで、 何ら動きはないようです。
これからも、 弱みにつけ込んで何かを起こすようなことはやらずに、 もう少しだけ、生きたいと思います。

道場生でもないのに、 まぐろの関さんと黒澤さんには、 それ以上の気持ちや力を頂いております。
心って、こういう時こそ計れるものなんですね。

         雀鬼




まだ道場にいらしたことがないような方々が、 雀鬼会を信用して、 お力を貸してくださったりお言葉をくださったり、 本当に、何にもかえがたい温かいお心を感じます。 皆様本当に、ありがとうございます。(小島)

■2011年4月15日(金) Vol.1607

2月頃だったか、 道場から歌ちゃんの車で帰宅する道すがら、 東の方向にでっかいまんまるの赤茶色い月が出ていた。
家々のすぐそばの上でこうこうと輝く。
「いょー歌ちゃん、今日の月ってでっかくないかい」
「・・・・・・・。」
左側の道路端に立つ、 シェルだかのでっかい看板よりでかく見れる。 何時も見る月の何倍もでっかく、 それも家の屋根の上近くで赤茶色く輝いていた。
「歌ちゃん、何かとてつもない大事件が起こりそうなんだけど、  まだねぇよな」
「・・・・・・・。」
そういえば羽生名人も、 でっかい月を見たと言っていた。
「月ってあんなにでかかったっけ?」
「月ってあんなにそばにあったっけ?」
海の満ち潮、引力、電磁波の関係って、 あったよな。

道場では、今度の日曜日の 被災地宮城へ向けての被災者側の意向に 出来る限りそうように、 10人くらいが必死で動いてくれる。 生のまぐろも1000人分と、 子供達への自転車も40台近く揃えられた。
日曜の早朝4時に康夫社長の工場から、 シャボ行動隊長率いる2トンと4トントラックで出発、 途中の蓮田SAで関さん黒澤さんのまぐろ部隊と合流、 その他に車を3台出して、 前回はシャボと清川の2人の先発隊でしたが、 今回は俺を含めて、22名で現地へ行ける。
皆の荷物にならないように、 現地でも目立たないように、 御奉仕のマネ事が出来ればOKです。

今だ余震が続いていて、 片ヅケてもくずれる、 片ヅケてもくずれるさまを、 不謹慎ながら 麻雀もそうだよなーと重ねている。
桜の花も咲いたらしい。 通常なら雀鬼会も開幕されて、 それなりのにぎわいも道場にあったんだろうが、 今はとにかく皆様の温かい志しを、 しかと被災地へ届けることを 第一として行動していますので、 こっち側はどうなるか全く分かりません。

         雀鬼




今回は会長も行ってくださるということで、 被災地の方々には心身ともに温まり、 笑顔ある一日になることと思いますし、 道場生たちもきっと、 皆様に元気を与えて帰って来てくれることと思います!(小島)

■2011年4月13日(水) Vol.1606

内輪だけで地味に、 第一陣をシャボと清川で何となくこなしてくれて、 皆様のお気持ちを被災地の方に 橋渡しをしてくれました。
シャボや清川に合わせて、 何人かは現地に行ったつもりで、 現地感覚になれた。
俺もほっとして、 どっと疲れと眠気がやって来たんだけど、 その日の四時半に羽生善治名人が、 わざわざ町田道場に やって来てくれるってことで、 天下の本物の勝負師を迎えられる喜びがあった。
羽生名人が道場に入ってきた瞬間から なじみの仲間がやって来た感じになり、 次から次へと俺への問いかけに対して、 ビシバシと玉を返す。
勝負師として深い話だったはずが、 笑いが絶えない。 天下の名人が看板を降ろして、 俺の前に座っている。
「羽生くんて可愛いネ」
と何度声に出したことだろう(笑)
「名人のお話も凄ぇ興味あるから聞いて良い?」
と言えば、
「今日はわたしのレクチャーですから」
ほとんどが俺からの受け答えになっちまう。 天下の将棋の名人と雀荘の親父じゃ、 どうみても釣り合いがとれない(笑) 仕方がないから地と素で通すと、 羽生名人も差し手を合わしてくれて、 「素」の姿となってくれる。 俺が認める日本唯一の勝負師は、 俺の思いを一つとして裏切らなかった。
羽生名人は今、名人戦中。 三十分ぐらい居て帰っちまうのかなーと 思っていたが、話が自然とかみ合い、 七時間ぶっ通しで指しちゃった。 名人は強いし、俺も素人だが投了しない(笑) 話しは、ちょっと逢いましょという、 軽いところから始まったんだが、 深い話と笑いが絶えない、 凄ぇ充実した時が過ぎた。
俺が、羽生さんは本物だよ、 と普段から語っていただけに、 道場生等も何時もより多く集まって、 遠くの卓で麻雀を打ちながらも 名人と雀鬼が語る姿の盛り上がりを感じていた。
任務を果たした後、 疲れきっているのに町田道場までやって来たシャボ。 シャボはやっぱし、俺が認める「バカモン」で、 昼過ぎから夜中の二時半まで、
「シャボ、家へ帰れ!!」
「ここまで来たら、これでいきます。」
と疲れもやったことも忘れて、 何時もの明るいシャボがそこに居ただけ。 被災地で感情すら失った避難民の方々に接した清川もやって来て、 羽生名人を12時過ぎに深山が車で送ってくれた後も、 シャボと清川の明るさに救われた。
現地から早朝帰還したシャボと清川の21時間後と、 羽生名人の七時間経った後の写真一枚が、 全てを表している。
「名人、意外に軽いです。  マグロの方が重かったです。」
とシャボと清川の声・・・。

         雀鬼




何時もは夕方前からの取材は、 人も少なく二人ぐらい集まるだけなんですが、 羽生さんがいらっしゃるということで、 何時もよりも多く、10名以上の人が集まってくれました。 会長と羽生さんとの対談で、 どんな感じになるんだろうと思っていたら お二人とも本当に笑われていて、 羽生さんが子供のようになられているなぁと思いました。 TVで闘われている姿やインタビューの様子を見ていて、 会長の前で童心に返られている姿は、 感性が鋭い方は会長の前では全てさらけ出すんだなぁと とても格好よく思えました。(ダッチ)

■2011年4月10日(月)その2 Vol.1605

シャボ
会長の一声とハルシくんの募金から始まった「シャボ基金」。 マグロの関さんや三社タクシーの松原さん始め、 多くの方々が動いて下さり、 無事、募金をしてくださった方々のお気持ちを、 清川主任と共に宮古にお届けしてまいりました。
災害からほぼ一ヶ月が経ち、 松原さんの会社の周りも復興して来ていて、 普通の街並みに見えていたのですが、 数百メートル海の方へ行くと、 テレビのニュース等で見ていた様な酷い状況で、 テレビでは伝わらない風や匂いといった肌で感じるものは全然違い、 被災者の方々のこれからのご苦労やお気持ちを思うと、 本当に辛い気持ちになりました。
それでも松原さんのご両親や従業員の方々のご協力で 関さんの美味しいマグロを6ヶ所の避難所に届けることができ、 被災者の方々が、 「一ヶ月ぶりのマグロの刺身だ。」 と嬉しそうに食べて下さっていて、 辛い状況の中、一時でも笑顔を見ることができ、 自分たちも本当に嬉しくなりました。

清川主任という心強い方が同行して下さり、 自分の抜けている所を全てフォローして下さり、 またトラックの運転の面で助けて下さり、 本当にありがたかったです。
そして会長より会長とヒクソンさんのパワーが詰まっている、 大切な石まで持たせて頂き、ずっと身に付けて、 会長がいつもそばに居て下さっている様で、 プレッシャーと共に大きな使命感と安心感を頂き、 また会長から何度もお電話を頂き、 本当に会長がおそばにいらっしゃっている様な感覚だったのですが、 トラックの荷台に乗っていて下さっていたのですね。 気が付かず失礼しました。
後どれぐらいこの様な事ができるのか分かりませんが、 1人でも多くの被災者の方が喜んで下さる様、 ご奉仕させて頂ければと思います。
上手く言葉にできませんが、 本当に貴重な経験をさせて頂き、 会長ありがとうございました。
そして、募金をして下さった皆様、 ご協力して下さった皆様、 ありがとうございました。

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清川
東北関東大震災がおきてから、ちょうど一ヶ月、 今朝シャボさんと戻ってまいりました。
会長の一声から始まったシャボ基金のマグロ支援ということで、 宮古市へ第一便として行かせて頂きました。
会長はもちろんのこと、 シャボさんが現地の被災者でもある元スタッフの松原さんや、 マグロを切身で千人分以上を 用意して下さった関さん達と連絡を取りあって下さり、 多くの道場生やホームページを見て、 送って下さった物資や基金を 好意で貸して下さったトラックに スペースを余すことなく積み込み、 6ヶ所の避難所へ届けることができました。
出発地である康夫さんの工場に 会長はじめ準備してくれたたくさんの道場生が見送りに来て下さり、 思ってもみなかったことなので、 すごく嬉しかったですし、勇気をもらって、 不安を感じることなく出発することができました。
会長がお守りにと渡して下さったヒクソンさんとの虎目石を シャボさんが持ち、僕もギュッと握りしめさせて頂きました。 道中何度も会長や道場の皆さんから連絡を頂き、 無事に宮古に到着。
現地で一緒になって動いて下さった、 松原さんと社員の方々に協力してもらって、 大きなトラブルもなく マグロを被害を受けられた方々に 食べて頂くことができました。
一ヶ月振りに食べる生ものですと、 すごく喜んで食べてもらえて、 忘れることのできない笑顔を見ることができました。

そして海岸線に出て、被害の状況を生で見てきました。 テレビで見ていても、すごい映像ですが、 実際にその地に立ち、空気を感じて、 地震や大津波のすさまじさを目の当たりにし、 たくさんの事を感じましたし、 これから自分が何をできるかとかを考えることができました。
今回本当に貴重な経験でしたし、 人との出逢いやふれ逢いをさせて頂きました。 実際に現地に行けるのは2人ということで、 他にも行きたい方もいたと思いますが、 第1便はシャボさんと自分で行かせて頂き、 ありがとうございました。
間違いなく皆さんの用意して下さったマグロは 被災地の方に口にして頂けたのを、 見届けてまいりました。
まだシャボ基金は第1投ということで、 どういう形になるかはまだわかりませんが、 動いていくので、よろしくお願いいたします。
会長、虎目石を貸して下さったり、 何度も何度も連絡を入れて下さったり、 そして荷台から見ていて下さり、 ありがとうございました。 トラックの揺れが多かったことは、 申し分けありませんでした。(笑)
そして 「熱くならず」 「冷めずに」 「温っかく、温っかく」 ずっと自然体で一緒に行って下さったシャボさんは、 やっぱりシャボさんでした。 ありがとうございました。

■2011年4月10日(月) Vol.1604

4月9日深夜の11時45分、 人っ子一人いなかった康夫の工場前から シャボと清川の清々しい若者が、 岩手の宮古までの遠路を出発するのを見守り、 現地で大歓迎を受けてテレビニュースの 取材まで受けたらしい。
現地の方へ、シャボ基金に御賛同下さった お気持ちを届けるのはもとより、 大切なシャボと清川の心身を願っていた。
あけて11日の早朝の5時10分に 康夫の工場に帰還。 ろくに休みも取らずに30時間行動したり、 運転したりで、疲労が重なったことだろう。
トラックも運転できない俺は、 一応道場と我が家で彼等の行動を感じていた。 二人に電話を入れる度に、 東北地方の地図もろくに知らない俺の思いと ピッタシ重なる。
「会長どこで見てんですか」
「何でこれほどまでタイミング良く 我々の行動が分かるんです? 会長どこにいるんですか?」
「バカタレ(笑)俺はずーっと トラックの荷台に乗ってんだよ。 魚臭いのはいいが、ガタガタ揺れるんで 身体が痛ぇんだよ」
「ワッハッハ」
とシャボと清川の 元気な笑い声が聞ける。
シャボと清川に混じって俺はお荷物だったけど、 一緒に行けて何よりでした。 清川とシャボはクタクタだろうが、 俺は暖かい部屋でゴロゴロしているだけ。 関さんの美味しいマグロもそうだけど、 活きの良いシャボと清川のおかけで、 被災地の松原御一家を始め、ふれあった方々も きっと良い気分だったことでしょう。
我ら雀荘って小っこい力だが、 気持ちだけはシャボと清川なら誰にも負けない。 健やかなお勤めを果たしてくれた清川は 朝七時に自宅に帰れたが、 シャボはまた茨城まで帰らなきゃならない。
二人は雀鬼会を代表して、 人生の中で素晴らしい体験をした様子が伝わってくる。 これって仕事より、お金より、愛より、 大切なことなんだよな。
俺もやっとこ昼に町田道場へ到着。 少々疲れたから家で眠ろうと思ったら、 四時半から大切な取材が入っていた(笑)

         雀鬼




シャボさん、清川主任、お帰りなさいませ!! 長旅、お疲れ様でした。
お二人のコメントは次レポートにて!!

■2011年4月9日(土)その2 Vol.1603

いや、感嘆したなー。 シャボと清川がさりげなくトラックに乗って、 皆様の、一人一人の気持ちを遠い地へ運んでくれる。



ちょっくら行ってきます、
って姿だったが、10時間を越える長い道のり。 俺なんか車中は一時間がいいとこ。 二人してさぁーと去っていく後姿が、 凄くかっこ良かった。
町田から歌ちゃん、木の子荘の住人である 恒・小鉄・理絵・新屋に、ヘッドと今川に金、 静岡のBIGに、何故か下北道場の横山の11名で 川口の康夫社長の工場まで。
康夫の働く工場に入ると、 何とも言えない鉄くずの匂いを感じて、 シャボと清川らしさを感じて、 男が働く工場をあっちこっち覗く。
女性の香りである香水より、数段俺のお気に入り。 下北勢も、金子・川原・深山・緒方・牧野・木俣も 駆けつけてくれていた。
正直二人が去る姿を見て、 俺も行きてぇなーと思っていた。
シャボに、俺とヒクソンという 男の魂がしっかり入った「虎目石」を手渡す。
感謝でもなく、感激でもない、感動でも違う。 感嘆な気持ちがあった。

         雀鬼




会長はじめ町田のみなさんが自分の工場の近くに来られた時は、 あまりの緊張で、工場まで案内するつもりが、 袋小路へ誘いこみ、失礼いたしました。
色々とやらかしてしまいましたが、 みんなの思いを積んだトラックを 無事に送り出すことができてよかったです。
シャボさん、清川さん、いってらっしゃいませ。 そして無事に帰って来てください。 (康夫)

■2011年4月9日(土) Vol.1602

道場生、一、二を競うシャボと清川が、 今晩11:45分頃、支援物資置き場の埼玉の川口から 岩手の宮古地方の被災地に第一陣で出発します。
余りいきごまず、 自然体で無事のご奉仕を 彼等ならしかとやってくれると思います。
私もこれから歌ちゃんの車に同行して、 二人をこの目で送りたいと思っています。
「熱くならず」
「冷めずに」
「温っかく温っかく」
今回は言いだしっぺの俺が行かず、 シャボと清川にまかせっぱなし。
次回の宮城入りの時はトラックを運転して 現地へこっそり行きたいと思います。
免許か、そういや一つもないな。

         雀鬼





シャボと清川なら、道場生の誰もが なんの申し分もないと思います。 シャボ基金に関わる皆様の想いを いつもの生き生きとした自然体で きっと届けてくれると思いますし、 会長に見送って頂ければ もうほとんど心配はないですね。
自分は会長と逆で車の運転はできませんが、 車の免許だけは持っているので、 よかったらお使い下さいませ。 (橋本)

■2011年4月7日(木)その3 Vol.1601

今川と理絵と金さんと 四人で仲良く平和に食事をしていたら、 「平和って変ですね」 と金さんが口を滑らす。
その時を逃さず新屋が 金さんのチャーハンに手を出してしまう。
またいつもの乱闘かと思っていたら、 新屋がチャーハンを奪った上に、 「どけよ」 と金さんの席に座っちまう。
金さんの顔が怒りで青ざめた瞬間、 カタカタと揺れが起きる、 額縁も、カタカタ。
上の階のスタッフが階段を駆けおりて来て、 平然と食事を続けている我々の姿を見て立ち止まるが、 そのまま道路へ避難した。
揺れが続いている中で、 熱いスープを飲んでいた。
金さんチャーハンで怒りがたまっているだろうが、 「八つ当たりはダメダ!!」 宮城地方で再び、強い震度6の揺れを起こしてしまう。 金さんが富士山をかついで歩いている姿を、 恒も小鉄も見たという。
宮城の方々が心配です。
食事を終えて皆んなが立ち上がったが、 俺は座ったまま久し茶を飲んで動かず。
「こし抜かしちゃったんだよ」
に今川が、
「そうだったんですか」
今日も深夜に時が過ぎました。
「本当にもう・・・・・・」

         雀鬼




じしんがきても、 会長とりえちゃんと金さんとの、 食事の最中だったので、 かなりの安心感がありました。 食べ終わった後でも 会長がそのまま、その席に。 その場所がいごこちがいいのかなぁ〜と、 かってに思っておりました。 こし、だったのですね・・・。 こしかなぁ・・?(今川)


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