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■2006年4月27日(木)の2 Vol.110

本日、二つ目のレポート。 送られてきた二通のメールを紹介します。 昨日、無事手術を終えて退院したスタッフ清川からと、 その代走をした佐々木丸からです。 まずは清川から。

おはようございます、そしてご心配をお掛けしております、清川です。 手術も無事に終わり、皆様のおかげで今日無事に退院できました。 先ほど家に着き早速、雀鬼会HPに目を通したら 胸と目頭が熱くなってきて、 会長からありがたいお言葉がいくつもありまして震えております。
試合の日がちょうど手術だったのですが、 佐々木さんに代走が決まったと聞いてとても安心しました。 ただ、佐々木さん自身が己を追い込みすぎるのではないかと、 そこだけ心配で半分申し訳なく...。 ですが、翌日に佐々木さんの方からメールを送ってきて下さり、 佐々木さん自身にも、意味や気づきなどがありましたと 書いて下さっていてホッとしました。 後書きだと嘘っぽくとられるかも知れないですが、 佐々木さんは兄とダブるところがあり、憧れでもあります。 ありがとうございました、 そしてこれからもよろしくお願いします。
他にも、お電話頂いた安田さん、 お見舞いに来て下さった道場長と祐子さん 、 橋本サブマネ、ヤンマーさん、矢部さん、色々手配して下さった清水さん、 そして励ましのメールを送って下さった全国の皆様の温かみを 改めて感じさせてもらいました。 良い仲間がいるって事は、本当に幸せですね。 涙もんです。 完全復帰にはもう少し時間がかかりそうですが、 木津さんに教えて頂いた食事法をしっかりやって治したいと思います。
本当に皆様ありがとうございました。
                清川正浩


続いて、丸からのメールです。

4月24日(月)清川主任の代走として雀鬼会選抜二回戦を戦ってきました。
その日の朝、会長のレポートを読ませて頂き、涙が出ました・・ 代走をさせて頂くことになってから清川主任からメールが届き、
「丸さんがやって下さるなら安心して治療に入れます。  また、元気な姿でもどりますのでよろしくお願いします。」
と、ありがたい言葉をもらいました。 会長の御言葉に身が引き締まり、 清川主任に安心してもらえるよう自分のできる事を感じ考え、 状況や意味をとらえ、不足してるところはたくさんあるけど 責務を全うできるよう、自分もまわりも壊さないように・・ そういった想いを胸に挑みました。
試合中、言葉はなくても共に戦う思いや気持ち・リズムなど、 同卓した村瀬道場長・四天王志村くん・繁くんが引っ張ってくれ、 見てくださった会長・審判をしてくださった安田選手部長が 要所に的確なアドバイスをくださり、 信頼ある中、前向きに打ちきる事ができました。 試合を終えてからも指導してくださったり あたたかい言葉まで頂きました。
経過や結果に悔いもありますが、しっかり受けとめ、 今後の自分が会長や清川主任、皆の為に まだまだやれる事・やらなければならない事がたくさん見えたし、 見つめなおす事もできました。 日頃からもっと意識し、さらなる向上の為に、 勇気と素直さを持ち、努力と工夫を怠らないよう 行動していきたいと思います。
自分にとってとても意味のある、 そして本当に大切な一日となりました。 会長をはじめ皆様、ありがとうございました。
           佐々木秀樹




■2006年4月27日(木) Vol.109

昨日のレポートにあったように 選抜二回戦でも火傷をした安田です。 肉体的な外傷は大した事が無く 顔では笑っていますけど、心はこなごなに砕けました(笑)。
昨日の試合は立ち上がりから、ペナルティ三回、半ペナ一回が出て かなり壊れた流れになりました。 そういう流れだからこそ、自分がしっかり打つ事が大切なんですが、 何も出来ませんでした。 もちろん、もっと努力や工夫をして 修正できる機会はあったのですが、 今の自分の日常を表わすかのように 間に合わず、間を外し、手もほとんど入らないまま 三回戦が終りました。 会長の書かれた通り、すべて自分の責任です。
実際、今の自分には本当に間に合っていない部分が多く、 かろうじて色々な人たちに引っ張ってもらって 日々に向かっている状態です。 もちろん、それなりに修正を掛けているのですが 昔からの悪い癖を、そのままにしている事もいくつかあります。 頭では分かってはいたのですが、 (分かったつもりになっていた) それを昨日の試合で明確に自覚させて頂きました。
「本当に今の自分のままじゃ、ヤバイ」って。
また、気付かせていただいたわけです。 自分のダメな部分を。 もちろんそれなりに折れましたが(笑)、 気付かせて貰ったことは 心からありがたいと思いました。 さっそく、今日から修正に入りたいと思います。 今すぐできる事から行動に移して。
大体そんな状態で、雀鬼会で勝てたら嘘ですよね。 そういう意味では出るべき結果が出たのだと思います。 申し訳ないのは、雀鬼会は「みんなで創っているもの」。 良くない内容で終って、
「今の俺がダメだから、ダメな結果は正しい結果だった」
では、すまないです。
「気付けて良かった」
では、すまないんです。 ちゃんとやっている仲間に申し訳がありませんから。
「雀鬼会は16人、誰か一人がいい加減なことをやると  全員に迷惑がかかるんだよ」
会長が以前、そうおっしゃってた通りですね。
「麻雀は俺の鏡だよ、  牌に聞けば、自分の気付いていない自分も教えてくれる」
とも、会長はおっしゃってました。 僕らは当然、麻雀が鏡になるほど ちゃんとやっているわけではありません。 でも、少なくとも雀鬼会は僕らの鏡になってる部分が多いです。 それは麻雀もそうだし、それ以外も。 まあ、雀鬼会以外の「日常全てが鏡」と言ってしまえば その通りなのですが。
ともあれ「女女子流」にはさせられないので 気合を入れて修正です。 「やる気、本気」で。
次は火傷せずに、火中の栗を拾うぞーー!
と、自分に活を入れていたら 木津さんからメールが来ました。

桜井章一様 安田様
ぎゃー! HP最終回! 桜井先生、面白すぎです!! 承りました〜。 安田兄貴の火傷は木津が治します!!
押忍  木津龍馬


助かったーー! 木津さん、よろしくぅーーー! って、またぶら下がりまくりじゃん、俺(笑)。
             安田潤司

完全に折れながらも、HPの更新を怠らない安田選手部長

■2006年4月26日(水)の2 Vol.108

今日は、選抜2回戦の後半の部が 下北道場で、これから行なわれる。
前の試合の日は、道場でスタッフが用意してくれた 下北沢の古い昔の味をそのまま引き続けている 三吉さんのコロッケを食う。 何の流れか、哀愁とか思い出の味を恋しくなって、 今日も道場へ入る前に、昔からある古い店へ一人で行く。 年老いたその店の奥方が、店のテーブルの上で、 おしんこと冷やっこで夕食を摂っていた。 その方を気遣って、誰一人居ない「來々軒」という名の 女主人に向かって、大きめな声で 「チャーシュー麺をお願いします。」と注文する。 どうにか一度で俺の注文が通ったらしい。 店の片隅に置かれた小型のテレビに目をやる。 雨降る中、広島球場での野球が映っている遠い昔を思い出す。
敗戦国家であった日本人に、生活は貧しくとも 少しずつ楽しみが生れだし、力道山がプロレスブームを作り出し、 リングで外人選手に闘い戦争と同じく、 始まりはでっかい外国人選手にやられっ放し。 めちゃくちゃにやられその上、 反則攻撃まで受けると、リングアナウンサーが 「リキ怒った、リキが怒りました。」というと同時に、 力道山が空手チョップを使って逆転して勝つ。 水戸黄門ばりの映像に、 大人も子供も、凄い凄いと大喜びしたものだ。 その時代、カラーテレビどころか、 白黒テレビさえまだ一般の家庭には無く、 下北沢駅前にあった街頭テレビには、 プロレス放送の時など黒山の人が集り、 後ろの人たちは自転車の上に立ったり、 電信柱によじ登って見たものです。
そのテレビが「來々軒」さんにもあり、プロレス放送の日は、 それを見たさにまさに超満員状態。 そば屋さんのほうも考えて、 その日に限ってはそば巻だけを売って、 人をワンサカ店の中にいれてテレビを見せていた。 中に入る事すら出来ない我々子供達は、 店の横の20〜30cmの狭い路地から窓を開けてもらって、 重なり合ってプロレスを見たものです。 貧しくも苦しい時代であったが、 今思えばありえない体験が、 「來々軒」さんにも俺の心の中にもある。
昔と少しも変わらぬラーメンの味を、 汁を一滴も残さず食い、ごちそう様でしたと600円を払う。 当時20〜30円だったラーメン代さえ払えずに、 窓の外からテレビを見た頃が、すぐそばに感じる。
「哀愁とは、長い時代が、身近に感じる思いを言うものであろうか」
その店も、今は通りすがりの人には目に入らないが 俺ん中ではラーメン一杯だが、頭が下がる味であった。 肉の三吉さんもラーメン屋さんの來々軒さんも、 70年80年の長さがある。 連続性は生命であり、何より大切なことでもある。
HP最終回、皆さん今までありがとう。。。













・・・これで、HP更新仕事から開放されるっ!(笑) って、訳があるはずも無く、 試合後、町田道場の方に戻られた会長から、 また、すぐファックスが。。。(花岡)

ホレ見ろ安田!! 前回の試合のぬるさと、おもちゃばっかり作って、 遊んでっから熱湯かけてやると言ったろ。
今日の試合は大火傷。 対戦相手の小島は、本戦中眠って打っているし、 花岡はコンピューターボケ。 その熱い(?)湯に入ったお前さんまで、 何も出来ないやれないダメ打ちばかりで、 大赤は食うは、その上俺の評価点は最低ランクのCをつけられちまう。 前期優勝者の落日だ!! 火傷の方は、痛いだろうけんど木津ちゃんに治してもらえよ。
隣の卓では、金村四天王が引っ張って、 金村に加えて塩飽と古島までがA評価。 古島の金村相手に92pの大台をたたくわ 評価点もAということでヤンマーがまじ切れ。 あの気持ちのぬるい甘い弱い古島が ダメ出しを食って何ぼの人生。 初めての当りくじを引いたんだが、 その効果の程はだな Jr、JrIIクラスで、今川、理絵に、 大の男がそろって負けちゃっている流れにあんじゃないの。 そうよ。 女の子には悪いが「女々しい」流れという奴ねえ。 今んところ雀鬼会は、 女々しい奴が天下を取っているてえことじゃない。
「『ということは会長。俺は男の中の男』つうことじゃないですかー」
と安田は、思っちょるだろうけんど安田だけは別。 ほれみろ、ギャル雀どころか「女女子流」になっちまったじゃんか。 それも全て選手部長の安田の責任・・・
「やっぱり俺かぁぁー。」
             雀鬼



■2006年4月26日(水) Vol.107

お久しぶりです、安田です。 昨日の会長の文に「来週からギャル雀、ハゲは出入り禁止」と あったので、今週いっぱいで出禁の安田です(笑)。
さて、昨日格闘家の松井大二郎選手からメールが届きましたので さっそく紹介したいと思います。

随分前にこちらのアドレスを教えてもらっていたのですが 遅くなり申し訳ありません。 挨拶遅れました、格闘家でありプロレスラーの松井大二郎です。 何度か下北沢雀鬼会にお邪魔させてもらいました。 そして、昨年は試合の応援に来て頂き その節はありがとうございました。
初めて下北沢雀鬼会に行った時のことは 昨日のように思い出します。 道場のみんなが「こんにちわ。」と元気に挨拶をしてきて、 そして入り口にあった靴も綺麗にそろってあり 自分の中にあった麻雀のイメージが180゜変わりました。 その日から桜井先生、安田さん、雀鬼会と交流させてもらってますが まだまだ未熟な僕は、挨拶の一つから、 靴を綺麗に並べる処から見習わなければいけませんね。 これからもご指導、交流と宜しくお願いします。
(僕は麻雀できませんが人間形成としてのご指導をお願いします!)
寒い寒い冬を乗り越え、心身共に新しくなって 頑張って行こうと思います。
桜井先生、安田さん、紹介してくれた木津さん、 そして雀鬼会、それに関わるみんなの益々の発展と健康を 心から願っています。 そして僕自身も同じように発展して 健康でいれるように頑張っていこうと思います。 まずは7月、イギリスCAGERAGEから。 また下北に遊びに行きます。 その時は桜井先生、安田さん、ご指導宜しくお願いします! 乱文失礼しました。              松井大二郎


気が付くと松井さんはもう何回も道場に来てくれてますね。 で、その都度会長の遊び相手…いや、体捌きを練習しています。 木津さんの講話会でも良く会うし、 いつも久しぶりな感じがしないです。 格闘技界の現場は本当に体一つの世界だから 大変でしょうけど、松井さんには頑張ってほしいです。 いずれ試合に雀鬼会Tシャツ着て出てね(負けんなよ)(^_^;) みなさんも応援よろしくお願いしますねー!
考えてみると、松井さんや小路さんを始め 色々な格闘家にお会いしたけど、 そのほとんどが木津さんの紹介です。 考えると本当に不思議な御縁ですね。
「ヒーラーが雀荘に格闘家を連れてきた」
「麻雀打ちが格闘家に体裁きを教えた」

文字にするといよいよ意味が分からなくなりますが、 立て続けに早口言葉で3回読むと、 もっと意味が分からなくなります。 もちろん早口で読んでも何の役にも立ちません(笑)。
今日は下北沢道場で選抜の試合があり、僕も出ます。 だから、こんなしょーもない事言ってる場合じゃないんです。 気合入れて熱いお湯にザブッと浸かりたいと思います。 火傷しないようにね。
もちろん見学できますので 興味のある方はぜひ、「牌の音」下北沢道場に。 お待ちしていますv(^_^)v
                 安田潤司



■2006年4月25日(火) Vol.106

分かっていたが、 かつて平成の雀鬼丸と呼ばれた、佐々木秀樹にも、 10年振りの選抜の試合の壁は厳しかった。
終ったあと、しばしその席で 卓上に、牌を一人打ち出す。 その後ろ姿は、清川の代走を無事に乗り切れなかった 淋しい打牌の音があった。 佐々木の無念の背中に、 突如出場を申し入れた俺の行動も 同心として重なる。
その日、偶然いや、必然的な感覚で下北駅に同じ電車で着く。 本戦の日のために日々鍛錬、特訓する者ですら、 本戦は全国大会以上の緊張感をもたらす。 その中に、準備すら一日もない佐々木が加わる。 緊張感の強さと周りの動きの速さに着いて行くことすら、 急な出場の佐々木には酷な話である。 打ち合う相手も選抜の下位クラスならともかく、 今、打ち盛りの四天王の村瀬と、志村が同卓する。 もう一方の隣の卓では、中堅どころと下位陣で打っている。 せめてその卓なら佐々木も修正がきいたはずだ。 佐々木に10年振りに一番高い山に登らしてしまった。 これも運命であろう。
一回戦目に、微細なペナルティーを犯す。 ペナ点を20p取られる。 審判に着く安田もそれを決断せねばならぬ俺も、 非情の決断であった。
二回戦目にはトップを取ったが、 三回戦を終えて、ペナルティー分敗れる。 勝った負けたは、どうってことない。 頭を垂れて帰る佐々木と、 だまって握手をするだけ。
それにしても、情けないことがある。 清川の病欠により、その穴を他の選手や道場生で うめられない状況は、恥ずかしい。
「お前なら変わりになれる」
「僕にまかせてください」
と、思える人材が居ないという淋しさがある。 この方が、指導者として、残念無念である。 佐々木は、厳しかったかも知れないが、 俺は、良い体験が出来たことと信じている。
10年前、若干20才の佐々木が 俺の代走として最強戦に出場した折、
「会長やっちゃっていいスカ」
「やっちまえ」
ということで、 ぶっち切りの攻撃麻雀で優勝して 俺の目からは涙が出た。
そして10年。 今度は、佐々木が俺のHPを読んで 涙が止まらなかったという。 清川も、大先輩の佐々木が代走を 喜んで引き受けてくれたことを知って、 きっと涙を流したことであろう。 それもこれも雀鬼流の流れなんだよな。
同卓した村瀬も志村もしげるも、 一歩も引かずに打ち合い、 丸を引っ張って打っていたことも素晴らしかったよ。 それに比べて安田、お前はおもちゃばかり作って、 あにやってんだ。 この話は前号で書いたからボツ。
それに比べて情けないのは、 選抜の下のクラスのJrもJrIIも 理絵坊と、今川姉さんの女性のたった2人参加の上で 御二人に両クラス伴、トップを走られている。 漢道の看板をはずして、 来週からギャル雀、お姉雀にするしかねぇな。 もちろんハゲは出入りお断りです。
             雀鬼




■2006年4月23日(日) Vol.105

昨日HP用に書いた原稿は、 道場に見たこともない工具を持ってきて そばで、原稿を書く俺を無視して おもちゃを作って遊んでいた安田には渡さず 竹書房の我れ悪のコラムの方へ回してしまったんだけど、 内容は、良いスタッフと、悪いスタッフみたいなことを、 書き綴ってあった。
その良い子、悪い子、普通の子の中でも 22才になる清川は雀鬼流としてもスタッフとしても その若さで◎をつけられる良いスタッフであった。 あったとのべれば、過去形だが、別に今、現在、姿を消した訳ではない。 「我れ悪」でも触れているが、俺はスタッフの人事については、 道場の上の立場にある人達に全てまかせ。 だいたいが良くとも悪くとも承認するだけ。 清川が今から四年以上前に、スタッフに加入する時だけは、 どういう風の吹きまわしか、俺が自ら立ち合い
「清川、お前だけは、何としても三年は、ここで修行しろよ。」
と言い渡す。 男と男の約束って、けっこう強くあらねばならぬもののはず。 だけどほとんどの場合、 時が経ち、事情が変わって 忘れられることの方が多いのだが、 若干18才だった清川と俺との約束は、思った以上に守られた。 それもこれも全く清川の心の持ち方と、 行動を惜しまぬ日々が成したもので、 俺は、三年間じっと見守っていただけ。
我が家にも清川と同じ年の末っ子の息子がいるが、 清川の方が、男としての生き様や鬼力を、十倍も持ち続けてくれた。 清川は、下北道場でも若くて活きのいい子を集めて 「少年隊」とかを作って、道場を何時も明るく元気で、 すがすがしい方向へ向ける道を作ってくれていた。
俺が18才の若い子に、「三年間しっかりやれよ」なんて約束したためか、 三年を過ぎた頃から、体の不調、胸の痛みを見せるようになって、 それでも道場に入れば元気さと明るさを灯してくれていたが、 痛みは失せず、 町田道場生の清水先生の最終診断を受け ドクターストップがかかり入院。 その上、手術を受け長期の静養に入らなければならなくなった。
清川は今や雀鬼会選抜で、 最もけわしい厳しい試合をする席にいる。 その席を病とはいえ、途中でその席をぬけることは、 彼の性格上、悲しいことであろう。 清川が打てぬなら誰かが、その席に着かねば、 雀鬼会本戦は進まない。 だからといって誰しもが勤まる席では決してない。 起きたトラブルに対して瞬間的に清川の姿の上に 若かりし頃の佐々木秀樹の顔が俺の中でダブる。 佐々木は、事情を察して、即答で出場を受けてくれた。 その上、今日道場に来て、雀鬼会のレポートを読むと、そこに

「会長直々に電話を頂きました。  清川主任の体調そして代走……  色々な意味を感じ考えながら朝をむかえました。  はじめて清川主任に会った時、純粋で元気良くて若いのに  良く気付き、目がいき届くし、  しっかりしているなって思いました。  −−中略−−  勝手ながら自分の弟のような感覚を持ってました。  清川主任・本人は試合に代走が出るのは、無念だと思うし、  悔しいと思います。  会長からお話しあった時、  そんな弟のような清川主任の為に、なにか自分が出来るなら  と、代走の話しを受けさせて頂きました。
 選抜16名の中に入るのは、代走とはいえ、  かなりの責任覚悟は感じています。  清川主任が早く良くなり、又、元気な顔が見たいです。  そのためにも自分も少なからずとも  力になれればと、思っています。」
と熱い嬉しい文章があった。
雀鬼会は何時だってすんなり行って 楽だったなんてことは一つもなかったが、 一つのトラブルの中に、又、美しいドラマが生れた。 佐々木が、清川の若さの頃は道場に先輩達も、 歯が立たないほどの強さや、勢いの良さがあった。 その道を自ら律して10年が経つ、 彼には過去に、雀鬼会の歴史を作ったページがある。 そのプライドも意地も今だ彼の中には、 失せたものではないことは、 時折りふれあう佐々木の態度を見れば、 計る事が出来る。 その精神は、失せねども、現実の本戦は、 佐々木秀樹が打ち合った頃より厳しさが増している。
弟のように思う清川のために、 自ら月曜日の日に厳しい舞台に再び立つ。 勝ちだ負けだという、ちんけな問題でない。 世代を越えた友情、思いやりを感じられる。
誰にも愛される清川。 卒業生の中でも存在を認められる佐々木秀樹。 心と行動の美意識を、感じてしまう俺がいる。
             雀鬼



清川正浩と佐々木秀樹


■2006年4月22日(土) Vol.104

夕方から下北道場へ行く 安田や主だった連中の顔ぶれが居ない。 一通り業務に目を通してからHP用の原稿を書きだす。 6枚目の原稿用紙がうまる。 又、長い文章を書くと、読まれる方の中には怒る人もいる。 そこに、怒れる奥方をもつ旦那さんが、 「おはようございます」と入ってきた。
恐ろしい奥さんなら、我が家へ帰れば毎度のことだから慣れたもの。 家の奥方など俺以上のファイターだから、 こちらに戦闘意欲が失せていても、 構わず、誰かれなく闘いをいどむ肉食型。 雀鬼の嫁なら、角が這えてても、おかしかないが、 金棒だって持ってるし、金遣いも凄く荒い。 それ以上つっ込むと危ないから、こっちの話はおしまい。
スタッフがコロッケを出してくれた。 そのコロッケは俺にとっては只のコロッケではない。 俺が幼少の頃から、食した下北沢の 古い古い伝統のある肉屋「三吉」の昔風のコロッケで 俺にとっては、今や数少ない、お袋様の味である。 俺の生まれ育った下北も大きく変わり、 昔し味わった、魚屋も、八百屋も、パン屋も 皆な消えてしまった。
下北という町は、俺の故郷としてあるが、 哀愁は陰をなくしてしまった。 昔からの味を残すコロッケを2つ食して残り2つを そばで、アルミのバッチ作りをして遊んでいる安田に渡す。
「お前さん、何を又くだらないモノを卓上で作ってるんだ」
「会長、分かってませんねぇ!この良さが……」
と、瞬間的に返って来たが、 何なのか分からん安っぽい桜のマークをつけたアルミなんてぇ 全くもって欲しがらない。
「そんなもん家の温舟(一才前の孫)だって、欲しがらねぇよ」
と一言いってやったら、 今日はもうやめたと安田が一人遊びをしまう。
安田を見ていると、家の孫の温舟の方が可愛いし、 良い子だよと、心底実感できる。 安田は道場でくだらん、おもちゃで、遊んでいるし、 面と向かって俺に逆らうので、
「安田、この原稿HP用に書き始めたんだけど、  もう半分書き足して、竹書房さんのコラムの方へ回すわ」
と丁度居合わせた竹書房の鈴木誠さんに渡す。
「誠、これ、とも子に渡しておいてね。」
「会長。とも子の奴は、今日会長は下北に来られるから、  こっちへ顔を出せと言ったんですが、  奴は町田に野菜が届くから行きませんと。  会長の存在なんて、とも子にとっちゃ野菜以下……」
念のため、とも子殿に、正すと 長い間、担当を務めてくれた俺との人間関係の大切さより、 レンコンと、ジャガイモを選択したことを認めた。 ゴールデンウィーク前ですから原稿をお早めにね、 っておっしやっておきながら、 レンコンとジャガイモ以下…… いいですよそれで、
今、木津さんと食についての大切なお話しを、 御本になされていらっしゃるんですから、
「食は大切です。」
特に、レンコンとジャガイモはね。
たまに下北道場へ顔を出せば、女・ハゲに馬鹿にされる。 一昔前なら、口より早く手足が、ぶっ飛んで行ったもんだが、 今の俺の体力じゃ女・ハゲにもやられっ離し。 からきし意気地がなくなっちまったもんだ。 よーし、今日から俺も食や日々の暮らしを改善して 女はともかく、あの安田ハゲだけは、一発かましてやろうと思いつつ 重たい、痛む足を引きずって、最終特急で、 鬼嫁が待つ家路に早めに帰る。
只今、午前3時。 これから風呂へ入ってだなぁ〜 俺の夜は、それから昼頃まで続く……毎度のことです。 個人情報が多い文だからHPには載せるなよ。
「敗者に語る資格はないよ」
と、御二人はおっしゃるでしょうが、 弱者、敗れた者に対する 慈悲のお心があってもよろしいんじゃないでしょうか。
弱った孤独な子羊より



眉間にしわを寄せ、孤独に悩む「弱った子羊さん」(笑)



■2006年4月21日(金) Vol.103

雀鬼会の皆様
桜井先生、安田選手部長
お疲れさまです! 久しぶりの参入です。
リポート100回。おめでとうございます。 あっ、その前に小冊子有難うございました。m(__)m ちょっとヤバかったです。 皆さんの文章を読んでいたら泣けちゃいました。 もう、なんかね、色んな意味で嬉しくてしょーがねぇですよ。 小冊子とは名ばかりの本です。 昨今、本と称する書籍も多い中、 手作り感ありの、まごころありの素敵な小冊子でした。 皆さん、温ったかです。(^^)
HPの更新のスピードも早くて、もう100回越えちゃうんですね。 すごいスピード感だなぁ、と改めて感心してます。
木津はパソコン嫌いなんで、 3〜4日に1度くらいしか開かないんですけど もう、ちょっと見ないとずーーと進んでますもんね。
安田さん、花岡さんいつもお疲れさまです。 ホント大変だと思います。 ますます、がんばってブっとばしちゃって下さい!
桜井先生、いつも温かな文章を有難うございます。 もはや、「言霊」&「文字霊」の集合体です。
「心温かきは万能なり」 「素直と勇気」
これ、やっぱすごいです。 今更ながら、すごいです。
あったかくて やわらかい 生き物になろうと思います。 あ。すいません。 人間になろうと思います。
益々のご繁栄を 心よりお祈り申し上げます。
それから、安さん、「迷える子羊」って誰ですか? あのサングラスをかけてタバコをふかしていた方でしょうか? とても、そんな風に見えないのは…僕だけでしょうか…? 新上さん、ここはやっぱ、 ウルトラ鍵山先生マンの出番しかないと思います。 木津は役不足です。はい(==;)
最後に、安田さん、土曜日バレエですよー。 お付き合いお願いします! また時間の詳細は連絡致します。
皆様、お体には気をつけて。失礼致します。
             木津龍馬


木津さんからの100回おめでとうメールでした。 木津さんいつもあざあーーす! これからも気が向いた時にメールを下さい。 あと、道場にも遊びに来てね。
明日はメールにもあるように 木津さんにご招待されて 家族連れでバレエをを見に行ってきます。 格闘技は良く見に行くけど、バレエは初めてです。 気持ち良くなって爆睡しないか、ちょっと心配です(笑)。 しかし俺らみたいな二人がバレエを見るなんて 二十代の頃だったら、考えられないっすねえ…。
あと、「100回おめでとうメール」を他にも大勢頂いてます。 みなさん、あざあぁーーーす! VOICEのコーナーにアップしますので そちらもご覧になってくださいませ。
               安田潤司


好評につき「迷える子羊」第2弾…「ひつじさんIN新宿」です(^_^)/

■2006年4月20日(木) Vol.102

安田様「100回記念」おめでとうございます。 安田様と花岡さんは「こちら方面は」プロですから、 私くしも他人事でなく 毎日のように楽しく読ませて頂いております。 今だにパソコンの画面には、目を通すことは出来ませんが、 プリントアウトされたものなら 何度となく目を通す事が出来ます。 今はこのHPが私の愛読書となってしまい、 一般書物を読む数が極力減ってしまいました。 内容は、決して「教養」高いものではありませんが、 この年になってギャグマンガ的感覚を楽しんでおります。 お聞きするところ、安田さんは、暇を持て余して 寝てばかりいらっしゃるそうですから、 多様な暇の時間を利用して、 今後ともHPの活用を、 我々一般ファンのためにも続行して下さいませ。 匿名希望でお願い申し上げます。
             雀○

はい、ありがとうございますm(_ _)m 暇を持て余して寝ないように頑張ります。
ということで、今日は待っている子がいるので このままざっくり、失礼します。 あ、お便りは匿名希望の桜井章一様からでした。 では、お休みなさぁーーい。
              安田潤司




 

■2006年4月19日(水) Vol.101

このHPのトップにも書かれていましたが、 昨日でこのREPORTのコーナーも なんと100回目を迎えましたv(^o^)v 最初に会長がHPに
「インターネットへの参入、  いいのかなー、俺 」
と、書かれたのがつい三ヶ月前ですから、 その時から考えると、もの凄いスピードでの更新数になりますね。 内容も道場内に置かれている「雀鬼会レポート」そのままに、 今までのメディアでの「雀鬼会」「牌の音」と違って ありのままの雰囲気が伝わっていると思います。
もちろん、いつまで更新し続けるか、 いつまでこのHPが存在するかは、まったくの未定。 でも、このHPを読んで、道場に来てくれたり、 メールを下さっている方々の応援があったからこそ ここまでやって来れたのは事実です。 また、木津さん日本を美しくする会の新上さんを始めとする 心ある方々とのキャチボールやご協力があって このサイトは成り立っています。 みなさん、ありがとうございます。 これからもまた一緒に遊んで頂けたら嬉しいです。
で、当然ですが、雀鬼会もこのHPも 桜井会長なくしてはありえません。 会長の書かれた原稿やFAXは、もちろん全て保存しておりますが、 いやー、改めてみると凄いページの原稿を手書きで 書いてくださってます。 会長、いつも本当にありがとうございます。 僕も一読者としてこの「日刊 我れ悪党なり(笑)」を 大変楽しみにさせていただいてますので、 もうしばらくお付き合いくださいませ。
というわけで「100回記念おめでとうメール」を募集中です。 ご意見、感想を気軽に送ってくださいね。
追伸… 花岡、本当にご苦労様。 ありがとうね。
                安田潤司


このサイトの白黒写真は北村泰弘氏の提供です。 (北村さん、いつもありがとうございます)


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